「創価学会はこわい」の終焉(1)

創価学会はこわいか。創価学会の規約に゛永遠の指導者゛と死んでもいないのに刻みこまれている池田大作センセイはこわいか。
歴史的にも実体的にも創価学会政治部の役割を果たしてきた公明党自民党との連立政権の一角を占めていた。当然、公明党員にして創価学会員である゛大臣゛もわがニッポン低国は何人も輩出したし、そもそも政権政党であることしかセールスポイントがなかったような自由民主党創価学会の支援なしに政権に復活することは不可能であるのかもしれない。創価学会は政治権力と密接な関係を持つ宗教団体だ。一説によると国民の五人に一人が創価学会員であるというハナシもあるし、その機関紙である「聖教新聞」は全国紙の「毎日新聞」を凌駕する発行部数を誇っている。
 だから、創価学会はこわい? そんなことはないというのが私の結論。創価学会は宗教としてのラジカリズムをとうの昔に失ってしまっているのである。創価学会は゛政治の宗教゛として単なる集票マシンへと変節しまったのである。だから細川連立政権にも、自民党との連立政権にも加わることができた。そのように考えるべきなのである。
言うまでもなく創価学会の宗教としてのラジカリズムとは、仏法(=宗教)を国法(=政治)の上位に置く日蓮主義のラジカリズムであり、カント哲学を゛脱構築゛することで生まれた牧口常三郎の『価値論』のラジカリズムである。その両者の相乗効果としてのラジカリズムなのである。そして、誤解を恐れずに言えば、社会党共産党といった革新政党は大衆のイメージを繰り込むことなく、結局は゛虚妄の戦後民主主義゛の゛虚妄性゛に絡め絡め取られていくしかなかったが、創価学会のラジカリズムはこれに代わって貧しき人々病める人々の只中にあって機能することになる。創価学会の゛人間革命゛は机上の社会主義よりも、はるかにリアリティを持って実践的だったのである。創価学会は戦後の始まりにおいて、じゅうぶん過ぎるほど革命的であったということである。だから創価学会はこわかったのである。かつて創価学会広宣流布(自らの組織を拡大すること)は殆ど階級闘争の様相を呈していたのである。゛解放の神学゛ならぬ、゛解放の仏法゛であった。

諸君よ、目を世界に転じたまえ。世界の列強刻も、弱小国も、共に平和を望みながら、絶えず戦争の驚異(脅威?)に脅かされているではないか。一転して目を国内に向けよ。政治の貧困・経済の不安定、自然力の脅威、この国にいずこに安心なるところがあろうか。「国に華洛の土地なし」とは、この日本の国のことである。 隣人を見よ! 道行く人を見よ! 貧乏と病気とに悩んでいるではないか。「不幸」よ! 汝はいずこより来たり、いずこへ去らんとするか。目をあげて見よるに、いま、国を憂い、大衆を憂う者はわが国に幾人ぞ。国に人なきは、はたまた、利己の人のみ充満せるか。これを憂うて吾人は叫ばざるをえない、日蓮大聖人の大獅子吼を!・・・・・・われわれは、この大獅子吼の跡を紹継した良き大聖人の弟子なれば、また共に国土と任じて、現今の大苦悩に沈む民衆を救わなくてはならぬ。青年よ一人で立て! 二人は必ず立たん、三人はまた続くであろう。
かくして民衆を救いうること、火を見るよりも明らかである。・・・・・・青年は日本の大船である。大船なればこそ、民衆は安心して青年をたよるのである。諸君らは重大な民衆の依頼を忘れてはならぬ。

第二代会長の戸田城聖の「国土訓」(一九五四)ならぬアジテーション池田大作が『人間革命』のなかで紹介している一説だ。戸田は「アメリカの子分にならぬようにするには、広宣流布する以外にない」なんてことも叫んでいるし、「もし原水爆を、いずこの国であろうと、それが勝っても負けても、それを使用したものは、ことごとく死刑にすべきであるということを主張するのもではあります。なぜかならば、われわれ世界の民衆は生存の権利をもっております」とまで言い切ってしまう。「世界の民衆は生存の権利を持っているので、アメリカ帝国主義を死刑にせよ!」と理解できませんか?少なくとも現在のような従米路線は選択せず、対米自立を目指していたのだから、創価学会は本当に本当にこわかったのである。
こうした゛こわい創価学会゛の原風景を掘り起こしてみることにしようか。当然のことながら戦前、治安維持法違反と不敬罪に問われ獄中死を遂げた初代会長の牧口常三郎に行きあたる。創価学会の歴史の幕は牧口常三郎折伏されたことによって切って落とされるのである。昭和三年(一九二六)六月、目白学園の前身たる研心学園で校長をつとめていた四九歳の三谷素啓によって、白金小学校の校長をつとめていた五七歳の牧口常三郎折伏されるのである。三谷は学園の理事長であり、衆議院議員でもあった佐藤重遠や出家して僧侶の道を選び、牧口同様に不敬罪で逮捕され獄中死を遂げる藤本蓮城こと藤本秀之助も折伏したことで知られている。三谷は日蓮宗の常在寺に所属する直達講の理事として名前を連ねることになる。そして牧口に続き、牧口の教育思想に影響を受け、その教育理論をベースにしてミリオンセラー『推理式指導算術』を出版する戸田城聖こと戸田甚一も、実は三谷に折伏されているのである。
三谷は昭和四年に『立正安国論精釈』を出版している。日蓮の『立証安国論』は周知のように、゛国家諌暁の激烈なる政治思想を説いている。
曰く「天下泰平。国土安穏は君臣の楽ふ所、土民の思ふ所なり、天れ国は法に依って昌へ、法は人に因って貴し、国亡び人滅ぼせば、仏を誰か崇むべき、法を誰か信ずべきや、先づ国家を折って、須らく仏法を立つべし」「早く天下の静謐を思わば須く国中の謗法を絶つべし」「汝早く信仰の寸心を改めて、速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国なり、仏国其れを衰えんや、一方は悉く宝土なり」。
日蓮によれば、゛政治゛が正しい法(=仏法=法華経)に基礎づけられていない限り、国家の平和も人々の幸福もあり得ないということになる。ちょうど゛価値論゛を根底に捉えた『創価学会教育学体系』を構想し、その執筆に全力を傾注していた牧口にとって、学校という場における教育にとどまらない自らの教育思想と日蓮の゛娑婆即寂光゛の宗教=(法華経)は不思議なくらいにぴったりと折り重なっていたのではあるまいか。郷土会の盟友であり、『創価教育学体系』第二巻に序文を寄せた『遠野物語』の柳田国男は『人生地理学』の牧口の入信の動機について、次男、四男、長男を次々に亡くしていった家庭の不幸にあると類推している。柳田によれば、牧口は「以前は決して宗教法人ではなかった」ことからしても、三谷に折伏され日蓮法華経に帰依した理由は少なくとも家庭の不幸だけではなかったのではあるまいか。牧口の人生の軌跡そのものが、思想の軌跡そのものが日蓮の宗教と折り重なることなしには「柳田にとって徹底した合理主義として映った」(鶴見太郎『ある邂逅』)牧口は決して折伏されなかったはずである。むしろ、牧口は折伏されたというよりも、三谷の折伏を通じて、三谷を飛びこえて日蓮と一体化してしまったのである。だからこそ牧口は獄中にあって次のように書き記す。

カントの哲学を精読している。百年前及び其後の学者共が、望んで手を着けない『価値論』を私が著し、而かも上は法華経の信仰に結びつけ、下、数千人に実証したのを見て自分ながら驚いて居る、これ故三障三魔が粉起するのは当然で経文の通りです。

現在の創価学会は゛師弟゛なる物言いをやたら好むようだが、本来であれば折伏した゛教化親゛の三谷と折伏された牧口は宗教上の師弟関係にあるはずだが、この両者の関係は必ずしも良好ではなかったようだ。日蓮と一体化してしまった牧口に三谷を師とする必要はなかったろうし、三谷にしても牧口の『創価教育学体系』にそれほど関心もなかったのではあるまいか。三谷は直達講の講頭をつとめ、牧口もここに加わっていたが、昭和七年(一九三二)に三谷が亡くなると、直達講は自主解散してしまうことになる。
創価学会は、創価学会の歴史の始まりを『創価学教育体系』が刊行された昭和五年(一九三〇)十一月十八日に置いているが、これは正確ではない。創価学会創価教育学会として発足するのは、直達講の解散以後とすべきはずだ。直達講が解散された後、東京中野の歓喜寮を拠点にして活動を始め、昭和十二年麻布で創価教育学会の発足式を行っているが、ここをもって創価学会の起点にすべきであろう。
ちなみに牧口ははじめから創価学会として発足しようと意図していたらしいが、歓喜寮住職の堀米泰栄(後の六十五世日淳上人だそうだ)に許可されなかったため、やむなく創価教育を研究していく団体として発足したとも言われている。
既に発足の時点で創価学会は宗門との対立を宿命づけられていたというべきだろう。まあ、牧口にとってみれば、その名称などどうでも良かったはずである。法華経信仰を媒介として『価値論』実践の場をとにもかくにも獲得する必要があったはずである。
牧口は『創価教育学体系』を執筆するにうあたってプラグマティズム社会学からタルコット・パーソンズにいたるまで社会学関連の書物を渉猟していた。そこにマックス・ウェバーの社会学があったとしても少しも不思議なことではない。ウェバーの『プロテスタンティズムの理論と資本主義の精神』は牧口にとっては『日蓮仏法の倫理と資本主義の精神』と読みかえられるのはあるまいか。牧口常三郎の『価値論』の哲学とは? 最もカンタンに言ってしまうと、次のようなことになる。昭和三十二年(一九五七)九月六日に池田大作曰く

広宣流布の時には参議院議員衆議院議員もいてさ、皆な財布の中には少なくとも十万や二十万は入れて、洋服にも月賦じゃないの着てさ、一つの国会議事堂やプリンスホテルや帝国ホテルで会おうじゃないか。要所要所を全部ね、学会員で占めなかったら広宣流布出来やしませんよ。一つ天下取るまで諸君は大事な体だから、うんと修行して行きなさいよ。

人はパンのみに生きるとあらずと言えるのは、パンが喰える状況に生きているからである。
貧しき人々にとっては、まずパンを喰うことが肝心なのである。そしてパンが喰えるようになり、財布の中のカネが増えていくことが人々に幸福をもたらすのである。戸田城聖などは、敗戦の焦土のなか折伏すれば今日パンを食べられない貧しき人もパンを食べられるようになると断言している。牧口の『価値論』とは貧しき人々がパンを食べられるようになる哲学なのである。日蓮であれば゛娑婆即寂光゛。ろくにパンを食べられないで゛娑婆即寂光゛はあり得まい。牧口の『価値論』は個人の利的価値を実現すべき価値の第一にあげるのだ。

…哲学上の価値論では、一般に「真」「善」「美」「聖」を価値の内容の基本として認めるが、牧口の価値論では、価値の領域から「真」「聖」を除き、そのかわりに「利」を設定し価値の基底とする。牧口によれば「聖」つまり宗教的価値も「利」に包含、吸収されてしまうものである。

牧口常三郎の『価値論』はカント哲学を大胆に読み替えているわけだが、同時に共産党主導によるマルクス主義の゛乗り超え゛も射程に入れている。キリスト教徒にして、郷土会を組織したことで知られる新戸部稲造は牧口の『創価教育学体系』に柳田同様に序文を寄せて、まさにその点を礼賛している。日本共産党創価学会の対立は、これまた宿命づけられていたわけである。かつて創共協定なるものが結ばれていたことがあるが、牧口『価値論』においては、そもそも゛共゛との協定などあり得てはならなかったのである。
註 以前、雑誌に発表した原稿の改訂版です。