原発被災者の「自殺」について考える

5月31日、100歳を迎えた新藤兼人監督が亡くなったことを新聞は伝えた。新藤兼人が凡百の「社会主義リアリズム」と一線を画した映画作家であったのは、新藤が人間を描くに際して「性」の問題から決して逃げなかった。新藤は人間が人間であり続けるための可能性としての「性」と人間が人間でしかあり得ない不可避性としての「性」にともに向き合ってきたのだ。私は『讃歌』や『本能』『鬼婆』、永山則夫を取り上げた『裸の十九才』のような作品が好きであった。毎日新聞は新藤の死を取り上げた同じ紙面で大飯原発について次のように伝えた。

大飯再稼働:首相「私の責任で判断」…関西広域連合が容認
毎日新聞 2012年05月30日 22時06分(最終更新 05月31日 01時38分)

政府は30日、関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)の再稼働を近く最終決定する方針を固めた。電力消費地や周辺自治体でつくる関西広域連合(連合長=井戸敏三兵庫県知事)の同日の会合で、再稼働に大筋で理解を得られ、原発が立地する福井県が求めた「電力消費地の理解」などの条件をほぼ満たしたと判断した。野田佳彦首相と枝野幸男経済産業相ら関係3閣僚は来月初めにも会合を開き、決断する。

関西電力原発依存度を考えれば、この夏に電気不足に陥ることなど早くから予想できたし、そのためには大飯原発を稼動せざるを得なかったこともわかっていただろう。しかし、消費増税に政治生命を賭けるといった政権は大飯原発を再稼動させるにあたって、放射線物質を撒き散らし、多くの民衆から故郷を奪った東京電力福島第一原発の過酷事故を検証し、未来に生かすという作業は停滞しているし、原発に対して原子力安全保安院経済産業省の傘下にあったためアクセルの役割しか果たせなかった反省を踏まえ、ブレーキの役割を果たすはずの原子力規制庁に関する国会での審議はようやく緒についたばかりである。「想定外」は相変わらず「想定外」に放置されたままである。福島第一原発の過酷事故から1年以上が過ぎているにもかかわらず、だ。
民衆の多くは大飯原発を再稼動せざるを得ないことは理解していよう。原発に対する恐怖と政府の原子力行政に不信を抱きながらも再稼動は仕方ないと思っていたと言って良い。しかし、政府はそうした民衆の「善意」にただ甘えるだけで何もしないに等しかった。「野田政権が進めたのは、ストレステストの後、付け焼き刃ともいえる暫定的な安全基準を原子力安全・保安院にまとめさせ、専門家の評価なしに政治判断で再稼働に踏み出すことだった」(5月31日付朝日新聞社説)のである。このように民衆に甘えるだけの政府に対する不信、不満や嫌悪感が社会に充満している。だが、このことに民衆に甘えるだけの政府はあまりに無自覚である。民衆に甘えるに当たって、何とか現状を取り繕うのに忙しく、屁理屈を捻り出すのに精一杯なため情況を未来への創造力をもって俯瞰することもできず、また情況に生きる人間を想像力をもって具体的な顔としてクローズアップすることもできないで、いたずらに時間だけが過ぎてゆく。
5月31日付東京新聞の「こちら特捜部」は福島第一原発の過酷事故によって精神的に追い詰められ自らの命を絶つ被災者が後を絶たないことを報じている。記事によれば58歳の女性は計画避難区域に指定された自宅に一泊の予定で亭主とともに戻った際に自宅近くでガソリンをかぶり命を絶ったという。昨年、7月1日のことであった。確かに彼女は原発事故に精神をむしばまれていたのかもしれない。しかし、彼女の「死」にはもっと深い意味があるのではないだろうか。今年に入ってからも5月28日には62歳になるスーパー経営の男性が浪江町に一時帰宅をしていた際に倉庫で首をつって命を絶った。知人は男性に福島市内でスーパーを始めたらどうかと声をかけたというが、なれない土地で商売を再開する気はなかったようだ。男性は生前「このまま生きていても仕方ない」と漏らしていたという。また昨年6月に相馬市の酪農家も命を絶っているが、堆肥舎の壁にはチョークで「原発さえなければ」と書き残されていたという。男たちは己が人生に諦めたから自殺を選んだのだろうか。そこに強く積極的な生の意志はあったにちがいない。記事は自殺した酪農家と親しかったやはり酪農家である58歳の男性のコメントが印象に残る。一年すぎて自殺はまだまだ増えると思う。
他者に危害を加えない限り個人の自由は徹底的に尊重すべきだとベンサムとともに功利主義を代表するイギリスの思想家ジョン・スチュアート・ミルは『自由論』のなかで述べている。また他者からすれば間違いや誤りであっても、自分にとって正しければ、それを行う自由は保障されているとミルは考えた。「愚行権」というが、ここに紹介された三人の自殺は、「権利」であっても決して「愚行」ではないはずである。「愚行」を責められるべきは民衆に甘えるだけで何も決められないという点において「専制」の限りを尽くす政府である。何も決められないことは政治にとって最大の愚行である。いたずらに時間だけが過ぎてゆく、のだ。
そんな閉塞感にみちた情況に自身の「死」をもって亀裂を走らせる「たったひとりの蜂起」であり、わが国の民衆叛乱の歴史を踏まえるのであれば「たったひとりの一揆」だと思った。自殺とは一個の魂がその極限において発動する抵抗権の行使なのである。それは自殺というありきたりの言葉で表現してはならない誇り高き「死」でもある。断固として無駄死になどではない。無駄死にでないどころか、東京新聞が取り上げた原発被災者の自殺は三者三様に佐倉 惣五郎に代表されせるような「義民伝説」の精神を受け継ぐものであり、三島由紀夫の自決に匹敵するような「重み」を刻み込んでいるといって差し支えあるまい。「たったひとりの一揆」たる所以である。
下総国印旛郡の堀田領内佐倉に生まれた本名・木内惣五郎こと佐倉惣五郎は農民の実情を無視したあまりにも厳しい年貢の取立てに対して、1653年(承応2年)上野寛永寺に参詣する四代将軍の徳川家綱に直訴することで3年間の課税免除を勝ち取ったと伝えられている。しかし、直訴は御法度であることから佐倉惣五郎は磔に処せられる。佐倉惣五郎からすれば農民が集団で一斉蜂起して、多くの加担者が重刑に処せられるよりも、自分が処分されるだけで済む「直訴」のほうが犠牲が少なくて済むと考えたのである。
線引きの政治に故郷を奪われ、今なお安住の展望すら見出せずに翻弄されつづけている原発被災者を代表して58歳の女性や62歳になるスーパー経営者や58歳の酪農家は、原発の過酷事故に際しても民衆に甘え続けている政府に福沢諭吉をして「古来唯一の忠臣義士」と言わしめた佐倉惣五郎がそうであったように生命を賭して「直訴」を試みたのである。それは民衆が自分の生命と引きかえに到達した「自由な表現」であった。その自身の「死」による抗議は、究極の「肉体言語」にほかなるまい。そこでは新聞などのマスメディアによって毎日叫ばれる思想的には一切の価値を欠如させた死語の群れもまた批判されているのだ。
首相の野田佳彦民主党元代表小沢一郎と会談するに際して「運命をかけて大勝負をすること」を意味する「乾坤一擲」という言葉を使った。元代表に会って話をするだけのことが「乾坤一擲」とは私など驚きを禁じえなかったが、原発被災者の「肉体言語」に比べるならば鴻毛のように軽い政治的な死語であったということである。