出版の歴史から「美しい顔」を消さないために  第三回

歴史は「茶番」として繰り返された!

講談社は2018年7月6日付で「群像」の佐藤辰宣編集長名義「『美しい顔』に関する経緯のご説明」なる文章を発表した。三日前の7月3日付で発表した「群像新人文学賞『美しい顔』関連報道について 及び当該作品全文無料公開のお知らせ」の居丈高で威圧的な文章とは、まるで違っていたことに私は驚いた。これは単純に文体を変えたでは済まされない問題が孕んでいると思った。「転向」でもしない限り、7月3日付の文章を出した出版社が、次のような文章を発表できないはずである。しかし、この「『美しい顔』に関する経緯のご説明」には「転向」した理由が書かれていない。講談社は一度吐いた言葉をすぐに飲み込むことができてしまう、そのくらい言葉を軽く扱う出版社であることを満天下に知らしめているように思えてならない。大袈裟ではなく歴史は繰り返しているのだ。魚住昭が『大衆は神である』でいずれ明らかにするであろう悲劇の歴史を講談社はまさに「茶番」として繰り返しているのだ。この「『美しい顔』に関する経緯のご説明」も全文を引用しておこう。

 

《株式会社講談社(本社:東京都文京区)は、7月3日付のプレスリリースにおいて、群像新人文学賞当選作「美しい顔」の受賞決定からこれまでの詳しい経緯について、後日ご報告することをお伝えしていました。
本日、群像編集部から「美しい顔」に関する経緯を発表いたします。
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「群像」2018年6月号に掲載した第61回群像新人文学賞当選作「美しい顔」(北条裕子)について、本日発売「群像」8月号巻末にて告知文を掲載いたしました。さらに、当選作決定から今日までの経緯について、以下ご説明いたします。
4月10日第61回群像新人文学賞の最終選考会において、「美しい顔」が当選作に決定しました。当該新人賞は昨年10月末に応募を締め切り、2003篇の応募がありました。
4月12日作者の北条裕子氏が来社し、編集部で初めて面会しました。その際、「群像」6月号(5月7日発売)での掲載・発表に向けて、著者校正用に当選作のゲラ刷りをお渡しするとともに、編集部から北条氏に、「今回の応募作を書かれる上で参考にされた本などの資料があれば教えてください」と伝えました。なお、当選作決定からこの初面会におよぶ連絡のやりとりから、北条氏が妊娠中で4月末の出産予定日を控えていることがわかりました。
4月20日北条氏の著者校正済みのゲラ刷りを受け取るため、編集部員がご自宅へ伺いました。このとき、『遺体震災、津波の果てに』(新潮社)、『3・11慟哭の記録71人が体感した大津波原発・巨大地震』(新曜社)を始めとする主な参考文献について北条氏から提示され、編集部員が机上のそれらの本を目視しました。
しかし、この時点での北条氏にとって「参考文献」の認識が十分ではなく、また初めての自作の小説雑誌での掲載・発表であった北条氏に対する編集部の確認も不足していたため、編集部と北条氏双方で問題を認識できませんでした。さらに、この時点での北条氏の記憶から、執筆時に参考にした文献の詳細と、応募時から半年以上経っていた自作の「美しい顔」の表現との関係について、整理して思い出すための時間が必要だと編集部員が認識しました。そして、出産を目前に控えた北条氏に対し、3日後の校了までに詳細をつめてゆくことは困難だと判断し、そのまま適切な対応ができずに23日の校了を迎えてしまいました。
5月9日群像新人文学賞・同評論賞の贈呈式が開催され、前月末の出産を経た北条氏が出席しました。贈呈式前の打ち合わせ時に、編集部員の求めに応じ、「美しい顔」単行本化のための資料として、北条氏が自身所有の主要参考文献を持参されました。
また、このときまでに北条氏の記憶を整理してもらい改めて確認したところ、「美しい顔」を書く上で主に参考にされた文献として、『遺体』と『3・11慟哭の記録』の2点を挙げられました。『遺体』からは特に遺体安置所などの状況について示唆を受け、『3・11慟哭の記録』からは被災地全般の状況について示唆を受けた、という旨のことをうかがいました。
北条氏の認識によれば、現地を直接見ていない自分が、震災直後の被災地の様子を小説として描く上で、客観的な事実に反することのないように、自身が読んで感銘を受けたノンフィクション作品と、被災者の手記の集成であるこれらの文献を主な手がかりにさせていただいたということでした。編集部でそれらの文献を預かりました。
5月10日編集部の調査で、『遺体』については5点の類似とみられる箇所を確認しました。また別途『3・11慟哭の記録』についても、類似とみられる箇所を確認しました。
そこでまず、類似箇所のうち、より同一に近い記述を含んでいると認識した『遺体』の著者である石井光太氏にご連絡をさせていただき、直接事情をご説明申し上げてお詫びするため、面会の希望をお伝えしました。
5月14日石井氏と初めて面会し、「群像」6月号での参考文献未表示についてお詫びした上で、類似とみられる箇所については単行本時に表現を改めさせていただきたい旨をお伝えしました。このとき、石井氏はまだ「美しい顔」を読まれていなかったため、読まれた上で版元の新潮社と相談して連絡をいただける旨をうかがいました。
以後、石井氏の代理人としての新潮社の方々と、協議を開始しました。
6月下旬新潮社を通して石井氏と協議を続ける中で、「群像」8月号(7月6日発売)で参考文献未表示の過失に関する告知を掲載する方針が決まり、その中で「美しい顔」の主要参考文献として、『遺体』『3・11慟哭の記録』に加え、『メディアが震えたテレビ・ラジオと東日本大震災』丹羽美之/藤田真文編(東京大学出版会)、『ふたたび、ここから東日本大震災石巻の人たちの50日間』池上正樹ポプラ社)、文藝春秋2011年8月臨時増刊号『つなみ被災地のこども80人の作文集』(企画・取材・構成森健/文藝春秋)の5冊を明記することを、北条氏と編集部で確認しました。
6月25日『3・11慟哭の記録』の版元である新曜社から群像編集長宛の6月22日付けお手紙をいただくかたちで、「美しい顔」の中に同書の記述と類似しているとみられる箇所のご指摘を受けました。同書は、『遺体』と並んで被災地の記述にあたり北条氏が示唆を受けていたことを編集部で認識していながらも、編者である金菱清氏に対するご連絡が遅れておりました。
結果として先方からご指摘を受けるかたちとなり、編集部としては直ちに金菱氏と新曜社にお詫びを申し上げ、以後、現在も協議中です。
6月28日参考文献未表示の告知が掲載される「群像」8月号発売(7月6日)を前に、読売新聞社より取材の申し込みが入り、編集部責任者が取材に応じました。
またこの時点で、告知掲載を前に、群像新人文学賞の選考委員の方々にご連絡し、今回の経緯をご説明しました。
6月29日読売新聞朝刊の記事を皮切りに、マスコミ各社の報道が始まりました。
ここで、主要参考文献5冊のうち、すでに協議を開始していた『遺体』と『3・11慟哭の記録』以外の3冊の書名が報道されたことにより、その著者編者および版元の方々に多大なご迷惑とご心配をおかけすることとなってしまいました。以後、版元三社のご担当者様に参考文献未表示についてのお詫びのご連絡と、「群像」8月号での告知掲載についてのご報告をさせていただきました。
7月3日6月29日からの報道により、インターネット等で北条氏および「美しい顔」に関して、誹謗・中傷が続く事態に対応するため、弊社見解をリリースいたしました。
7月4日「美しい顔」全文を講談社ホームページに公開いたしました。
今回の「美しい顔」に関する経緯のご説明は、以上になります。
文献の扱いに配慮を欠き、結果として主要参考文献の著者編者および関係者の方々、さらには東日本大震災の被災者と被災地で尽力された方々に大変ご不快な思いをさせたことを、心よりお詫び申し上げます。
なお、本件については現在も関係各位と協議中であり、協議内容の詳細については公表を差し控えさせていただきます。
群像編集長佐藤辰宣
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※北条氏の個人情報については、同氏と協議のうえ了解を得て記載しております。》

なるほど、講談社は4月20日の時点で「問題」は認識しており、石井光太には素早く対応を開始したが、『3・11慟哭の記録』の版元や同書の編者たる金菱清に対しては講談社から二カ月にわたって一切連絡を入れず、新曜社から6月25日に手紙をもらった時点で、初めて対応を開始したと、そう理解で良いのだろうか?加えて疑問に思ったのは北条裕子が出産を控えていたという個人情報を公開する必要があったのかということだ。いずれにしても北条裕子は金菱清の言い分を木っ端微塵に粉砕しない限り、「美しい夏」は文学としての生命を絶たれてしまうことになるのではあるまいか。ちなみに金菱清が背負っているのも「文学」なのである。柳田国男の「遠野物語」が文学であったように金菱清の「3・11慟哭の記録」や「呼び覚まされる霊性の震災学」「私の夢まで、会いに来てくれた」も文学なのである。しかし、講談社は「3・11慟哭の記録」を初期の段階で無視してしまった。その存在を軽く見てしまったということである。問われているのは『群像』の文学観であり、誤解を恐れずにいえば、問われているのは講談社で文芸を担当する渡瀬昌彦常務取締役の帝国主義的な文学観なのである。
2018年7月18日、ニコニコ動画は「第159回芥川賞直木賞発表&受賞者記者会見生放送」を配信した。この番組に解説委員として「〈盗作〉の文学史」の栗原裕一郎が登場することを文藝春秋の社員から教えてもらった。「〈盗作〉の文学史」の版元も新曜社である。これは栗原のツイート!
「これはたしかに『編集部の過失』だ。北条さんは大変な時期に騒動になってしまいましたな。産後2ヶ月のお母さんって本当に大事だからみんなあんまり無体なことを言うんじゃないぞ」
産経資本の「zakzak」が「芥川賞候補作騒動で講談社が苦しい言い訳 『出産』が理由で参考文献示さなかった?」を掲載した。
東日本大震災を題材にした北条裕子さん(32)の芥川賞候補作『美しい顔』が文芸誌『群像』掲載時に参考文献を示さなかった問題で、驚きの事実が発覚した。プライベートがほとんど謎だが〝美人〟と評判の北条さんが校了時に出産を控えていたというのだ。それにしてもそれを理由に詳細を詰め切れなかったとするのはいささか苦しいのでは。》

「俗情との結託」を排して考えたい

「盗用」問題が発覚する前に文芸時評で北条裕子の「美しい顔」を絶賛した田中和生が自らのブログ「郷士主義!」に「これは盗作ではない──北条裕子『美しい顔』について[生活と意見]」をエントリした。さすが田中という擁護の仕方である。
《……それらの部分だけをならべて見ると盗用に見えかねないことは事実である。ここでは明らかに文学的な表現を放棄したような、震災後の現実に取材した信頼できる文章をなぞるしかないという書き方が選ばれているからである。
どうしてそのようなことが起きるのか。わたしはそれが、マスメディアが望む役割を演じつづけてきた語り手の『私』が作者に強いたものであり、いわば生き物としての小説という表現形式がもたらしたものだと思う。なぜなら『私』は、なによりマスメディアのように震災後の現実を自分たちに都合よく表現する者に対して憤っているからであり、それはここでその『私』を震災後の現実と対面させようとしている作者もまた例外ではないからである。
つまり作者はマスメディアの震災報道の欺瞞を暴く『私』を、それまで生き生きと描いてきたがゆえに、ここでは震災後の現実を自分に都合よく表現することができない。仮に作者がこの場面を自分なりの表現にしてしまえば、その時点で語り手の『私』はリアリティを失い、作品は死ぬ。だからこれは、学生のレポートなどと同列に論じられる問題ではない。
作者がここで突き当たっている表現上の問題は、日本の近代文学史上でもそれほど例がない、きわめて根源的で解決困難なものである。
下敷きにした資料の言葉をなぞるしかない、という書き方になっているという意味で比較することができるのは、おそらく井伏鱒二が1966年に刊行した長篇『黒い雨』ぐらいである》
結局、田中にしても「それらの部分だけをならべて見ると盗用に見えかねないことは事実である」と盗用を認めたうえで擁護するしかないのである。著作権法的には問題ではなくとも、これは「盗用」なのである。総ての議論は、その地点から始めなければならないはずなのだが、渡瀬昌彦を頂点とする講談社帝国主義的な文学観がそれを許さないのである。
私は柄谷行人の『反文学論』(講談社学術文庫)に収められた文章を「盗用」しながら次のように書きたくなった。
《先日喫茶店にいて、何気なく若い人たちの会話を聞いていると、『群像』の締め切りがどうの、『文学界』は何枚だのといった話をしている。新人賞のことを話しているらしいが、どうもそこに文学青年の雰囲気すらなく、一発山をあててやろうという野心しかないのが不快だった。たとえば、群像新人賞の北条裕子『美しい顔』を読むと、そういう光景が浮かんできて仕方がない。なるほど、そこには、選考委員をだまくらかすだけの技術はあるが、この技術の背後にはうそ寒いものしか見当たらない》
実は原文と違えたのは「北条裕子『美しい顔』」だけ。原文は「小幡亮介『永遠に一日』」である。
村田沙耶香を「物語」と「私小説」を同居させてみせた中上健次の後継者として捉えることで文学史の更新を試みた「村田沙耶香の『物語』と『私」』」が私には新鮮だった中沢忠之の連続ツイートも紹介しておこう。
《「美しい顔」参考文献問題、双方の論点が出揃ったので、ここまで色々書いてきた私の考えをまとめて、自分なりに終りにしたい。出版社間の交渉については、双方の思惑があるだろうので考慮しません。「美しい顔」については、その参考文献とした作品に対する配慮のなさは、モラル・マナー上の問題があり作品の価値にも大きな瑕疵をもたらしている。ただし、それでも文学作品として評価すべきところがあると私は考えます。当該作の震災に対する向き合い方も一概に否定できるものとは思えません。他方、参考文献とされた作品の方々の発言は、その被災地との関係を作ることの難しさ・相当のリスクとコストをかけた表現についてのお話は一々納得できるものですが、表現修正の要求を(心情的には頷けるものの)残念に思います。
法的に争った結果の変更でないなら、原文で読まれ、議論されるべきと考えます。これは文学として評価されるためではなく単に表現のオープンネスの問題。最後に、芥川賞というショウのエントリーの保持はいまもって納得できません。これは「表現がよければ一次資料を軽視してよい」という発想を前提としたものだからです。渡部直己氏問題と同様文学の思い上がりを感じます。
以上。長くてごめんなさい。いずれにせよ、震災を代弁できる人は誰もいないんだなと今回改めて思いました。
芥川賞と渡部氏問題についての類縁性は、「表現がよければ一次資料を軽視してよい」が「批評家として優れているからセクハラも有耶無耶に」と似ていることからです。一作家が批判されるだけの問題でなく、文学を一定代表する芥川賞がこの発想に荷担していることは、見ていて気分のよいものではない。》
北条裕子の「美しい顔」は「『表現がよければ一次資料を軽視してよい』という発想を前提とした」小説という枠組にとどまったままなのである。
ところで、中沢は新潮社が主張している「類似箇所の修正要求」を無批判に「冷静」で「筋が通った」ものと捉えてしまうことにも批判的である。そういう物言いは私に言わせれば情緒的なのである。「俗情との結託」が見られるということだ。中沢はこんな連続ツイートを残している。
《新潮社側の「類似箇所の修正要求」のどこが、「冷静」で「筋が通った」ものなのか、僕には理解できない。表現する者としてここは非常に慎重に判断すべき大きな問題のはず。
むろん類似箇所の修正要求は、心情的には理解できるし、要求すること自体問題があるとは思わない。でもそのような要求がある発言を「冷静」「筋が通っている」とする評価が何故生まれるのか。新潮社が法的に対応するというなら、「冷静」で「筋が通っている」と思いますが。
ここをスルーしたら、震災に関する冷静な議論はできないし、あえてパクるみたいな表現ふくめ多様な表現を抑圧しかねません。》

『群像』編集部と北条裕子では見解が異なった!

講談社は「群像新人文学賞『美しい顔』作者・北条裕子氏のコメント」を2018年7月9日付で発表した。何とか「世論」を味方にしようと必死なのだが、作者の北条裕子に謝らせておけば事足れりとする判断がこの文章の裏側には透けて見えた。講談社にとって大切なのは講談社のプライドであって、作家や作品のプライドではないのだろうか。こうした戦略を描くのは、講談社で広報部門を担当する渡瀬昌彦常務にほかならないのだが、渡瀬常務はまた、文芸部門のトップでもあるのだ。こうした「倒錯」は次々に問題を起こしていくことになる。「群像新人文学賞『美しい顔』作者・北条裕子氏のコメント」には、こう書かれていた。

この度、「美しい顔」という拙書において、参考文献未掲載と、参考文献の扱い方という二点において配慮が足りず、その著者・編者と取材対象者の方々へ不快な思いをさせてしまったことを心からお詫び申し上げます。
「美しい顔」はその執筆にあたり、主要参考文献を始めとする当時の報道やさまざまな映像資料に示唆を与えられました。すべての参考文献を読んでまず感じたことは、著者・編者の方々がいかに大変な苦労で現地に向き合い、膨大な時間とエネルギーを費やして作品を仕上げたかということでした。現地で傷ついた当事者に向き合い、長い時間をかけて信頼関係を結び、話を聞くということは気の遠くなるような粘り強さと対象への情熱が必要なことで、また取材対象者である被災された方にとっても重い口を開き話をするというのはとても苦しいことであったと思います。さらにはそれを書籍という形にして出版する際には葛藤もおありだったろうと思います。
私はその関係者の方々の思いや労力に対して抱いている敬意を表明するために、参考文献一覧を小説の末尾に載せたいと考えていました。しかし、この作品がもし新人賞を受賞し、単行本を刊行できるようなことがあれば、その時にそれをすれば良いと思い込んでしまっていたのは私の過失であり甘えでした。なぜ新人賞応募時に参考文献を明示しなかったのか、そのことを今とても悔いております。結果的に参考文献の著者・編者、さらには現地の取材対象者の方々に、敬意と感謝の気持ちを伝えるどころか、とても不快な思いをさせてしまうことになりました。大変至らなかったと反省しております。
また、参考文献の扱いへも配慮を欠いたことも猛省しております。いくつかの場面においては客観的事実から離れず忠実であるべきだろう、想像の力でもって被災地の嘘になるようなことを書いてはいけないと考えました。その未熟な判断が、関係者の方々に不快な思いをさせる結果となりました。大変な思いで綴られたご著書を軽率な気持ちで扱ったのだとお思いになられたとしても、いたしかたなかったと自覚しております。
私は自身の目で被災地を見たわけでもなく、実際の被災者に寄り添いこの小説を書いたわけでもありません。そういう私が、フィクションという形で震災をテーマにした小説を世に出したということはそれ自体、罪深いことだと自覚しております。
それでも私には被災地をテーマに小説を書く必要がありました。
なぜなら私には震災が起こってからというもの常に違和感があり、またその違和感が何年経ってもぬぐえなかったからです。理解したいと思いました。主人公の目から、あの震災を見つめ直してみたいと思いました。それは小説でなければやれないことでした。
例えばその違和感のひとつは、自分が東京からテレビで見ていた3.11と、当事者が現地で体験している3.11は同じものだろうかということ。現地にいる人と、こちらから『被災者』と呼んでいる人は同じ人であったろうかということ。
また、数え切れない喪失体験の連続であった被災地に対して、どう考えればよいかわからなかったというのもひとつです。それをわずかでも理解しようとする試みが、ひいては、人間が生きる上で絶対に避けては通れない喪失体験というものと、どう向き合って乗り越えていくかということを考えることになるかもしれないと考えました。
人間を理解してみたかったからです。小説の主人公を作り上げることでしか理解しえない、理解しようと試みることさえできない人間があると信じました。そしてその理解への過程、試みが、人の痛みに寄りそうことにもなると信じました。それが「美しい顔」という小説になりました。
しかしこのようにして自分が表現したかったことを表現するならば、同時に、他者への想像力と心配りも持たなければなりませんでした。大きな傷の残る被災地に思いを馳せ、参考文献の著者・編者を始めとした関係者の方々のお気持ちへも想像を及ばすことが必要でした。
私の物書きとしての未熟さゆえに、関係者の皆様に多大なご迷惑をおかけしてしまったことを、改めて深くお詫び申し上げます。
講談社は、この文章を果たして発表すべきだったのか私には疑問だ。何しろ北条裕子と「群像」編集部では弁明が異なってしまったのである。お分かりだろうか?この問題に関心を持つ人々を混乱させてしまう可能性もあるだろう。
これが『群像』編集部の見解。
《小誌二〇一八年六月号P.8〜P.75に掲載した第六十一回群像新人文学賞当選作『美しい顔』(北条裕子)において描かれた震災直後の被災地の様子は、石井光太著『遺体 震災、津波の果てに』(新潮社)に大きな示唆を受けたものです。主要参考文献として掲載号に明記すべきところ、編集部の過失により未表記でした》
これが北条裕子のコメントでは、こうなる。
《私はその関係者の方々の思いや労力に対して抱いている敬意を表明するために、参考文献一覧を小説の末尾に載せたいと考えていました。しかし、この作品がもし新人賞を受賞し、単行本を刊行できるようなことがあれば、その時にそれをすれば良いと思い込んでしまっていたのは私の過失であり甘えでした。なぜ新人賞応募時に参考文献を明示しなかったのか、そのことを今とても悔いております》
両者の弁明が異なるのは、読者に対して、社会に対して、嘘をついてしまったことになるのではないか。そうした整合性を勘案しないとは、いったいどういう料簡なのだろうか。文芸と広報をともに担当する渡瀬常務の雑駁な性格が反映されてしまっているのかもしれない。渡瀬常務は「嘘」で逃げるのが得意なのだ!
私が北条のコメントで気になったのは「客観的事実から離れず忠実であるべきだろう、想像の力でもって被災地の嘘になるようなことは書いてはいけないと考えました」という件。こう書くのであれば「美しい顔」を書くにあたって被災地に足を運ぶべきだったのである。北条には『新潮』8月号に掲載された木村友祐の「生きものとして狂うこと──震災後七年の個人的な報告」を是非ともお読みいただきたい。パリで6月21日に行われた講演の記録である。
《『イサの氾濫』のときもそうでしたが、あまりに圧倒的かつ手に負えない現実を前にして、どのようにフィクションにできるのか、つまり、どうすれば「嘘のないフィクション」に仕立てられるのか、という難問と格闘しなければなりません。「嘘のない」とは、「見た現実を矮小化しない」ということです。》
北条は果たして、この難問と格闘し切ったと胸を張れるだろうか。木村はこうも言っている。
《小説は、文学は、だれに寄り添うのか、ということです。目の前で、または見えないところで悲鳴をあげているだれかに寄り添うのが文学ではないのか。それは人間ばかりではなく、生きものすべてに、と言いたいのですが、まずは、そんな声なき人々がどこかにいると想像し、外に出て声を聴きに行く、つまり、表現もふくめて、つねに外部に出て行くところに文学があるんじゃないのか。》
北条裕子の「美しい夏」には「声なき人々がどこかにいると想像し、外に出て声を聴きに行く」姿勢が欠けていたのではなかったのか。私はそう思う。
『焼け跡のハイヒール』の小説家・盛田隆二のツイート。盛田は編集者出身の作家である。
《戦争小説を書く時、戦争体験記を参照します。行軍が何日続いたかなど事実を書くのは問題ないけど、兵士の心象まで引き写したらアウトですよね。
「美しい顔」の作者が「遺体が蓑虫のように並ぶ」という「遺体」の表現を引用した時、著作権問題とは別に、心が痛んだはず。その倫理が問われていますね。》
「〈盗作〉の文学史」の栗原裕一郎のツイートで終えることにする。
《北条さんの謝罪文と、講談社の突っ張りおよび「美しい顔」全文無料公開の兼ね合いはどうなっているのか。いろいろちぐはぐに感じる。》
そう、まさに「ちぐはぐ」なのである。この「ちぐはぐ」は克服されるどころか、更に加速されることになる。講談社を代表する女性誌「ViVi」が自民党とのタイアップ企画を実現し、大炎上したことも、この「ちぐはぐ」さの延長にあるのである。むろん、「ちぐはぐ」を産む病巣は渡瀬昌彦常務─乾智之広報室長のラインが育ててしまったのだ。