【文徒】2020年(令和2)8月12日(第8巻147号・通巻1804号)つづき

◎「命どぅ宝!いのちが一番!今は動くな!集まるな!」(@urutobi)がデニー玉城を評価するにあたって政治家としての田中康夫を思い出している。
《康夫ちゃんを思い出す。県民の声が届く県政を実感した長野県の田中県政。小さくて遠くて弱い声を大切にしてくれた。現場を大事にしてくれた。前例がないことに縛られず、いま本当に必要なことに目を向けて解決してくれた。あんな知事に出会えることは二度とないと思っていたけど、ここにもいてくれた。》
https://twitter.com/urutobi/status/1290994876562038785
「誰のこと?」という問いが投稿された。
https://twitter.com/shamrockfour/status/1291373784482476037
@urutobiが答える。
《若い方はご存知ないかもしれないですね。2000年から2006年まで長野県知事だった田中康夫さんのことです。ネット選挙の先駆けだったり、脱ダム宣言、脱記者クラブ宣言、いろんな意味で画期的な時代でした。長野県時代の実績はここで見られます。
http://nippon-dream.com/?page_id=161
https://twitter.com/urutobi/status/1291387407988744192
「仮面 虚飾の女帝・小池百合子」(扶桑社)の横田一リツイートしている。
《脱ダム、脱記者クラブ、脱土建政治、給食の地産地消地場産業の振興、環境を守る公共事業……田中康夫長野県知事は当時としては先駆的すぎました。今の時代だったら、もっと理解されたのかもしれません。》
https://twitter.com/yokotahajime1/status/1292965804913246208
こうしたやり取りを知った田中康夫が横田をリツイートして当時を振り返っている。
《脱ダムも脱記者クラブも的確に評価したのは日経 中日「地動説派」
批判の為の批判に終始したのが朝日 産経 毎日 読売「天動説派」
20世紀型OS「リベ・パヨ」礼賛の信濃毎日「既得権益派」は公書毀棄「冤罪」を仕立て 落選運動に邁進!
神奈川新聞 神戸新聞とは対極》
https://twitter.com/loveyassy/status/1293001673279860737
全国紙はパヨもウヨも「天動説派」だったのである。加えて地元の信濃毎日が田中の足を引っ張る。天動説派とは既得権益護持にほかならないのである。更に田中はつづける。
《つまり
「組織」に安住しているのか
「人間」に立脚しているのか
「私」という主語で「考え 語り 動く」一人ひとりなのか 責任の所在が曖昧な「我々は~」で主張しちゃう方はウヨ・パヨ・ノンポリ・上下左右を問わず「令和の大政翼贊會」予備役なのよ》
https://twitter.com/loveyassy/status/1293012067666993152
田中は退院する日も近い。毎日、ツイッターで病院食を紹介している。
https://twitter.com/loveyassy/status/1292989952448327680

朝日新聞デジタルは8月11日付で「松江の高校クラスター、感染者90人以上に 寮生に集中」を掲載している。
新型コロナウイルスに88人が感染し、クラスター(感染者集団)が発生したとされる松江市立正大淞南(しょうなん)高校で、8日に最初に感染が確認された男子生が発熱の症状が出た後、いったん平熱に下がったとして登校していたことが分かった。88人はサッカー部員86人と教員2人。》
https://www.asahi.com/articles/ASN8B7DGXN8BPTIL01R.html
立正大淞南高校と聞いてピンと来たならば、あなたは相当な「歴史通」である。立正大淞南高校と名乗り始めたのは21世紀になってからのことだ。もともとは淞南高等学校と言った。松江騒擾事件(島根県庁焼き打ち事件)の主犯格として服役した岡崎功によって1961年に創立された学校なのである。
松江騒擾事件とは玉音放送に納得できなかった若者たちが岡崎を中心にして皇国義勇軍を結成し、8月24日に武装蜂起を企てたが、知事・検事正の誅殺には失敗し、県庁の焼き討ちにとどまった。岡崎は切腹をはかったが、一命をとりとめ、大審院無期懲役の判決をうけた。しかし、「第2次大戦終結恩赦および日本国憲法公布恩赦」と「平和条約発効・講和恩赦」という二度の恩赦により、6年7ヵ月で出獄している。
こうした経歴の岡崎が創立した高校であっただけに建学の精神は教勅語であった。岡崎も教壇に立ち、自らが著した「國史」上中下三巻を駆使して教えていたという。
岡崎功について知りたければ安田浩一の「『右翼』の戦後史」、猪瀬直樹の「天皇の影法師」、林雅行の「天皇を愛する子どもたち」を読むと良いかもしれない。1920年生まれの岡崎が亡くなったのは2006年のことである。猪瀬直樹は「天皇の影法師」で、こう書いている。
《この事件は単なる示威行為として県庁を焼き打ちしたものではない。事件の首謀者らは民間人であり、島根県松江市という一地方で決行されたとはいえ、全国的規模の騒乱を前提として計画された、大日本帝国最後のクーデターなのである。
県庁焼打事件は全国一斉蜂起をめざしたが東京はじめ各地に伝播、波及することなく消え去った。事件がほとんど注目されることなく消え去ったのは松江という遠方で起きたことや、もはや唐突とも思える時間的ズレによるが、当時の報道管制も考慮されねばならない。二十年八月二十五日付朝日新聞は、ベタ記事七行で「島根県庁舎焼く」とわずかに報じたにすぎない。
安田浩一は「『右翼』の戦後史」で、こう書いている。
《同校の特徴は、徹底した愛国教育にあった。毎朝の朝礼は宮城遥拝に始まり、君が代斉唱、教育勅語朗誦、国旗掲揚と続いた。教室にも教育勅語が掲げられ、全校生が岡崎の先導で祝詞をあげる儀式も月に2回、設けられていたという。日本史の教科書「国史」も、岡崎が執筆したものを使っていた。》
サッカー元日本代表の岡野雅行は、この高校のサッカー部OBである。岡野の「野人伝」には、この高校の特異な校風が描かれていた。しかし、2001年に岡崎功が学校経営から退いたことにより、校風は一変したそうである。
http://kokutaigoji.com/reports/rp_n_h220809.html
http://bungeikan.jp/domestic/detail/89/
http://blog.shonangakuen-h.ed.jp/?p=1762
http://koritsumuen.hatenablog.com/entry/2018/09/27/183056
http://blog.livedoor.jp/monnti3515/archives/1053528581.html

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4)【深夜の誌人語録】

悲しいから怒るのだ。