南三陸町の人々の小さな希望を食い物らした博報堂映画「ガレキとラジオ」

ドキュメンタリー映画「ガレキとラジオ」に出演した被災者が代理人弁護士を通じて4日までに、「やらせ」と報じた朝日新聞社に対し、質問状を送っていた。
「質問状は、被災者は報道されたような『演技』をした認識はなく、『映画を見た人に申し訳ない』と話したこともないため、記事は事実に基づいていないとしている」
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2014040400912
「ガレキとラジオ」は民衆のひとりとして東日本大震災に遭遇した何の罪もない70代の女性を自らの「やらせ」の共犯者に追い込んだという意味において、「ガレキとラジオ」はドキュメンタリー映画として許してはならない作品だと私は思っている。
彼女をはじめとした南三陸町の人々に「なぜ大事な映画まで奪い、さらなる苦しみを負わせるのでしょうか」「彼女に映画を返してください」「南三陸町に映画を返してください」と言わしめるほど追い込んでしまったことに私は怒りすら覚える。朝日新聞の取材に問題があったにせよ、その原因を作ってしまったのは「ガレキとラジオ」というドキュメンタリー映画における「やらせ」なのである。南三陸の人々が本気で「ガレキとラジオ」を自らの映画として奪還したいのであれば朝日新聞のえげつない取材手法を否定するだけでは駄目なのである。
「ガレキとラジオ」はドキュメンタリー映画だなどと名乗らなければ良かったのである。被災者自身が出演するドラマを名乗っていれば何の問題もないのである。しかし、この映画を制作した広告代理店たる博報堂のいわば「復興キャンペーン」からすれば、ドキュメンタリー映画でならなければならなかったのである。
要するに「ガレキとラジオ」はレニ・リーフェンシュタールの「民族の祭典」がナチスプロパガンダに加担したように(作品の出来栄えは「民族の祭典」に及ぶべくもないが)復興プロパガンダ映画だったのである。だからこそ「希望」を象徴するシーンを「やらせ」としてデッチ上げる必要があったのである。博報堂という広告代理店が自己増殖させた「欲望」が被災地の小さな「希望」を食い物にしたのである。それは東日本大震災の本質的な悲劇を隠蔽することでもあった。そう「ガレキとラジオ」を南三陸の人々が心の底より取り戻したいと願うのであれば、朝日新聞の取材手法を批判すると同時に「ガレキとラジオ」をドキュメンタリー映画として公開してしまった博報堂に対しても「落とし前」をつけさせなければならないはずである。