もし私が読売新聞社の社員であったならば・・・

私が読売新聞社の社員であれば、どう思うだろうか。
記者をやっていようが、営業であろうが、さすがに嫌気がさすと思う。読売巨人軍の内部文書を朝日新聞に手渡した犯人探しを紙面でしたかと思えば、今日は昨日の記事で最も怪しい人物であると臭わせた清武英利が暴露本を出すことを知るや、「野球界から批判が噴き出している」と客観性を装いながら、私憤に紙面を費やしてみせるなど、連日にわたって「巨人軍巨額契約金」に端を発した問題に社会面の多くを費やして報道する紙面に嫌気がさすだろう。

昨年11月に解任された元代表清武英利氏は、17日、本紙記者が接触し、「朝日の取材を受けたか」と質問したのに対し、「弁護士事務所を通して下さい」と話し、明確な答えをしなかった。弁護士事務所に取材を申し込んだが、17日夜までに回答はなかった。3月18日付

独断で記者会見を強行し、機密事項を暴露したなどとして、読売巨人軍から解任された元球団代表・清武英利氏の著書(今月16日発売)を巡り、野球界から批判が噴き出している。
巨人軍以外の球団が大学の有力選手と結んだ契約の詳細が明らかにされており、スカウトらからは「アマの選手たちとの信頼関係が崩れてしまい、今後の獲得活動にも大きな支障が出る」と怒りの声が上がった。3月19日付

もっと他に取材すべきことは山のようにあるだろうと読売新聞の現状を憂いたればこその嫌気だ。
その原因はどこにあるか。私であれば、それは会社を支えている現体制にほかならないと考えるだろう。そして、こうした体制がつづくことは読売新聞にとって不健康だし、不幸なことだと口ら出さずとも思うはずだ。もちろん、清武さんの二の舞にはなりたくないよなとも思う。だから、当面は表立って現体制に反旗を翻すようなことはしないが、内心では現体制に終止符が打たれることを望むに違いない。面従腹背の選択である。私であれば間違いなく、そうなる。それがサラリーマンの性というものだ。
朝日新聞のスクープによって幕が切って落とされた今回の大騒動は渡辺恒雄読売新聞グループ本社会長をピラミッドの頂点に戴く経営体制を内部から瓦解させてゆくことになるのではないか。現体制に対する嫌気は内部にこもり、そのエネルギーはやがて沸点にまで高まって、解放の契機を模索することになる。つまり、渡辺体制がどういう形で終止符を打たれるかはいざ知らず、ポスト渡辺体制は、たとえ「親渡辺」と周囲から評価されていた人物がトップに就こうとも、必ずや「渡辺色」を一掃することで経営の求心力を高めることになるということだ。恐らく読売新聞社にあっては、歴史は繰り返す、のだ。何度も何度も茶番として!