私のヒロシマ・アピール

1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、核兵器が実戦で初めて使われた。使用したのはアメリカであり、使用されたのは日本であった。アメリカのB29「エラノ・ゲイ」によって「リトルボーイ」と呼ばれる原爆が広島に投下されたのである。その犠牲者は約14万人に及んだ。言うまでもなく大半が非戦闘員たる民間人であった。

コレガ人間ナノデス
原子爆弾ニ依ル変化ヲゴラン下サイ
肉体ガ恐ロシク膨脹シ
男モ女モスベテ一ツノ型ニカヘル
オオ ソノ真黒焦ゲノ滅茶苦茶ノ
爛レタ顔ノムクンダ唇カラ洩レテ来ル声ハ
「助ケテ下サイ」
ト カ細イ 静カナ言葉
コレガ コレガ人間ナノデス
人間ノ顔ナノデス      原民喜「コレガ人間ナノデス」

アメリカの核兵器による皆殺しは、この日にとどまらなかった。8月9日午前11時02分、アメリカによって二発目の原爆が長崎に投下される。その犠牲者は約7万4千人。アメリカは二発の原爆によって21万4千人にも及ぶ人間の生命を奪ったのである。これを大虐殺、大殺戮と言わずして何と言えばよいのか。紛れもなく戦争犯罪である。しかし、日本政府は一度たりとも、アメリカによる大虐殺、大殺戮に抗議することもなければ、アメリカ政府に面と向かって批判することなく、今日を迎えている。戦勝国アメリカによって日本が占領されていた敗戦直後であれば、アメリカの戦争犯罪を糾弾できなくとも致し方なかったのかもしれないが、サンフランシスコ講和条約を締結し、サンフランシスコ講和条約をもって占領から脱し独立してからも、アメリカに何も言えなかった。
広島平和記念公園に設置されている原爆死没者慰霊碑には、こうある。

安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから

誰に対して「安らかに眠って下さい」なのかは、原爆が落とされた場所にあるのだから、約14万人に及ぶ犠牲者であることは想像に難くない。では誰が過ちを繰り返さないと誓っているのか。「過ちは繰り返しませぬから」と誓うべき主語はアメリカでなければならないはずだ。しかし、原爆死没者慰霊碑には原爆死亡者名簿が奉納されていることを踏まえるのであれば、生き残った者が安らかに眠って下さいと祈念している「原爆死亡者」がまるで過ちを犯し、その過ちを「原爆死亡者」が二度と犯さないことを誓約しているという意味にも取れるはずだ。東京裁判A級戦犯の無罪を主張したインドのパール判事は、この碑文に驚愕したという。

…原爆を落としたのは日本人でないことは明りょうである。落としたものの手はまだ清められていない。

パール判事は碑文の意味を日本人が日本人に謝罪していると解釈したのである。この碑文を書いたのは広島大学教授であった雑賀忠義であり、雑賀に碑文を依頼したのは広島市長の濱井信三であった。濱井はこう言っている。

誰のせいでこうなったかの詮索ではなく、こんなひどいことは人間の世界にふたたびあってはならない。

濱井以来、一貫した広島市の見解によれば主語は人類全体を指すのだそうだ。何てことはない、人類と普遍化することで問題の本質から逃げてしまったのである。「誰のせいでこうなったかを詮索」しないということは「無責任」を堂々と肯定することである。日本は日本の戦争責任についても「誰のせいでこうなったかを詮索」せず、総てを戦勝国による東京裁判に任せてしまい、自ら向き合うことはなかった。日本は東京裁判により、アメリカを中心とする連合国によって戦争犯罪を追及され、A級戦犯天皇誕生日に絞首刑を執行されたが、アメリカの原爆投下による大量虐殺は不問に付されたままなのである。
日本および日本人は原爆について結局は自ら向き合っていないのだ。だからアメリカの原爆による大虐殺の責任を正面から追及することもなかったのである。そうした欺瞞のうえに戦後民主主義は成立したのである。日本は敗戦に甘えただけなのである。その意味でポツダム宣言の受諾は日本の無条件降伏というよりも「無責任」降伏であった。
戦後史を紡ぎだしたのは「自虐史観」でもなければ、「自由主義史観」でもない「無責任史観」であった。「無責任」を選択するということは、アメリカに対する怒りを捨ててアメリカに政治も軍事も依存するということにほかなるまい。だから、アメリカは8月6日と8月9日を無視できるのだ。原爆によって一瞬にして命を奪われた無辜の民は犬死を未だに強いられたままなのである。21万4千人に犬死を強いることで、日本はアメリカの核の傘に入り、平和を貪りつくして来たのである。1945年8月15日以降、日本は戦争に巻き込まれることなく、戦争放棄憲法を掲げて平和でいられたのは、アメリカの核のお陰なのである。アメリカの核兵器による非戦闘員の大量虐殺という戦争犯罪に目をつむることでアメリカの核兵器の恩恵を受けることになったのである。果たしてこれで21万4千人の犠牲者は安らかに眠ることができるだろうか。私が犠牲者であったとすれば往生を断固として拒否し、日本の伝統に従って怨霊となって現世を祟りつづけるだろう。
「原爆死没者慰霊式・平和祈念会」で毎年、広島市長による平和宣言が出されるが、私には美辞麗句を並べただけの儀式的な文章にしか思えない。いつものことだが、「悲しみ」だけを宣言では強調する。昨日も広島市長の松井一実が「…怒りや憎しみを乗り越え、核兵器の非人道性を訴え、核兵器廃絶に尽力してきました」と平和宣言のなかで述べているが、「核兵器の非人道性を訴え、核兵器廃絶に尽力してき」たのはアメリカの核の傘に庇護された場所からのことであり、アメリカに管理されながらも原子力発電という潜在的核抑止力を擁してのことではなかったのか。そのような「非核」や「反核」が世界を説得できると私には思えない。
こうも思う。怒りや憎しみを乗り越えることは人間として素晴らしいことであるりがゆえに安易に乗り越えてはならなすはずだ。安易に乗り越えることは原爆に殺された死者を愚弄することになりはしまいか。首相の野田佳彦も挨拶に立ち「核兵器の惨禍を決して忘れてはいけない」と述べているが、誰によって核兵器の惨禍がもたらされたかを忘れてしまって良いのだろうか。私たちは順番を取り違えてはいないだろうか。「怒りや憎しみを乗り越え」るためには、まずアメリカが原爆投下の過ちを認めることである。
そのためにも本来であれば広島市長が発する平和宣言は、原爆投下が「人道に対する罪」に相当することをアメリカが認めるよう促さなければならないはずである。「核兵器の惨禍」を訴えるだけでは核抑止戦略の正当化に貢献するだけだということに何故にヒロシマナガサキは気がつかないのだろうか。ヒロシマナガサキの「核兵器の惨禍」を知っていればこそ、対立する国家間において相互が核兵器保有することで、相互に核兵器を使用できない状況を作り出し、結果として戦争を回避するというのが、核抑止戦略の本質である。アメリカの核の傘を頼る日本の平和もそうした恐怖の均衡戦略と無縁でないのである。日本の安全保障は従米、属米を前提にして組み立てられているということだ。
皮肉なことに日本もまた「過ち」の側に加担してしまっているのである。「核兵器の惨禍」を経験しながら、その経験を未来に向けて生かすことなく、逆に「過ちは 繰返しませぬから」という原爆死没者慰霊碑の主語をアメリカともども引き受けざるを得ない「平和」を私たちの「無責任」は享受しているということである。コレガ日本人ナノデス!戦争放棄を高らかに謳いあげる憲法9条が実現した「平和」ではないということである。憲法9条に価値を見いだすとすれば、それは「夢」としてである。