こんなツイートをしています!

政府が情報さえ開示していれば、避けられた無用な被曝が福島第一原発の過酷事故では間違いなくあった。その政府を率いていたのは誰か。菅直人にほかなるまい。とすれば菅は脱原発を政治家として騒ぎ出す以前に取るべき責任があろうよ。お調子者という点で敗戦後の近衛文麿と菅の何と似ていることか。 7月31日

私は菅直人を免罪する一切の言説を信じない。

民主党自民党も同じ穴の貉であることがはっきりと見えて来た。 7月31日

「民意」を正確に汲み取ろうともせずに党利党略でしか動かないという意味で「同じ穴の貉」なのである。

菅直人元首相は福島第一原発の過酷事故におけるA級戦犯の一人だと私は思う。東京電力を批判するよりも自己批判が先だろうよ。東京電力の全員退避問題も官邸の早とちりにほかなるまい。議員辞職すらせず、脱原発だと?戦争に協力しておきながら、敗戦を迎えるや否や民主革命を唱え始めた輩と瓜二つだ。7月31日

菅直人はフクシマの人々に無用な被曝をさせてあきながら、自らの首相としての責任に頬被りして「脱原発」の旗を振る。菅こそポピュリズムに毒された政治家である。

オリンピックは大好きだが、マスメディアがオリンピック一色に染まる大政翼賛会的報道には嫌気がさす。しかも、その手口は東日本大震災のときと全く同じである。涙腺を刺激し、感動への同調を求める。これが「報道ムラ」の実態なのである。特に酷いのは、いつものことながらNHKである。7月31日

私もオリンピックが好きだけれど、「冷静さ」の欠片もない記事というか、スポーツ的価値を人間的価値にすり替えた報道の大氾濫には吐き気を催す。マスメディアがそういう方法をどこで学んだのかといえば、大東亜戦争においてである。

間接民主主義だけでは民主主義としては不完全であることを認識したほうが良いのではなはいだろうか。民主主義とは代議制にあらず。主権を単なる投票権に矮小化してはならないはず。もちろん、選挙も主権行使の一つの手段だが、それはあくまでも一つの手段にしか過ぎないのである。7月31日

デジタル革命があらゆる分野で「中間」を解体し、「直接性」のダイナミズムを実現しているが、政治においても「直接性」のダイナミズムを実現することが可能なのではあるまいか。

日本は戦争の始め方にも負け方にも失敗した。然り。その検証も総括もできなかった日本なればこそ菅直人のような無責任政治家の跋扈を私たちは今に至るも許してしまっているのほである。議員辞職も離党もできなはい機会主義者に騙されたくないよな。7月31日

最初に民主党が2009年に掲げたマニフェストを反故にしようとしたのは菅直人総理にほかならない。

フリージャーナリストは劣化しているというよりも、職業として成立しなくなりつつある。新聞、テレビの体制ジャーナリストは、反動化を加速させつつある。その一方で商売とはべつの領域で「誰でもジャーナリスト」が成立する可能性が芽生えつつあるように私は思っている。これは悪いことではあるまい。8月2日

部分的にではあるがソーシャルメディアは「誰でもジャーナリスト」を実現しつつある。

水泳はスポーツクラブがあちこちにできるようになって裾野を広げることに成功したが、柔道は街の道場が消えるばかりで裾野が広がっていないのではないか。私の住む街にもスポーツクラブはあるが柔道場はない。 8月2日

そうは言っても7つもメダルを獲得している。

自民党という政党は「国民益」「国益」よりも自らの「選挙益」を優先する議員ばかりらしい。内閣不信任案を提出するのであれば、消費増税法案を衆議院で可決する以前でなければならないはず。それを今になって大騒ぎするのは「選挙益」しか頭にないのだろう。無党派層からすれば自も民もダメなのだ。 8月6日

二大政党制が実現しやすい小選挙区選挙であっても、次の総選挙では多党化が進むのではないだろうか。

東京電力福島第一原発の過酷事故に際してのテレビ会議映像を公開。様々な制限を設けての公開であるうえ、ロンドンオリンピック開催中の公開も意図的なものであろう。こうしたテクニックを使うことが「原発」に対する不信を募らせているということに東京電力は気がつかないのだろうか。 8月7日

東京電力が反原発派、脱原発派を増やしているのではないだろうか。

内閣不信任案の提出をめぐって右往左往する自民党に確固たる「世界観」はあるのか。自民党民主党同様に機会主義に汚染された政党である。いや、民主党自民党同様に、と言ったほうが正確だろうか。自民党民主党公明党が合併したほうが政治は圧倒的にわかりやすくなる。 8月7日