ウォルター・アイザックソンの『スティーブ・ジョブス』(講談社)は上下巻を合わせてミリオンセラーになった。これは私の周囲にいるジョブスに革命家のイメージを抱くアップル原理主義者に限ったことなのかもしれないが、驚くべきことに彼らは電子でも紙でも、この本を買っているのだ。版元の講談社からすれば、この手の読者は大歓迎だろうが、私としては信じられないことだった。これが宗教団体の信者であれば教団発行の新聞なり、出版物を何冊も買うのは、例えば自らの「福運」のためであったりするのだろうけれど。
そのなかのひとりによれば、電子書籍は読むために買い、紙の書籍は本棚に保管(=飾る)するために買ったというのだ。この感覚も私には驚きであった。私などは電子書籍をストック面から便利だと考えていた。我が家の住宅事情を考えれば、本の置き場に困りつつあったからだ。ところが、私が買うような類の本はなかなか電子書籍化されず不満を抱いていたわけだが、そんな私とは全く逆に考える読者がいることを私は知るに至った。
読むのはデジタル、取っておくのは紙という私の知人の発想を先鋭化させるのであれば、暇つぶしに読み捨てでもかまわないようなコンテンツは紙である必要がないという考え方に行き着くはずだ。確かにスマートフォンを最も有力な(出版ビジネスにとって有力な)電子書籍リーダーとして考えたとき、リビングのソファでくつろぎながらスマートフォンで読書するというイメージは湧いてこない。それは通勤通学の電車の中であったり、マクドナルドやドトールでコーヒーを啜りながら、暇つぶしの読書をするに際してスマートフォンで読書をするというイメージだ。そうした「暇つぶし」の読み捨て読書に貢献するコンテンツが電子書籍には求められているのかもしれない。具体的に言えば、ビジネスに役立つコンテンツであったり、生き方のカイゼンにかかわるノウハウを網羅したようなコンテンツなどがこれにあたろう。
最もタブレット端末を持つマンガ好きの知人に言わせれば、何十巻にも及ぶマンガが次々に電子書籍化されることが喜ばしいそうだ。コミックスの場合、本棚にストックしておくとなると、ともかく場所をとったので、泣く泣く処分していた作品もあるという、この知人からすれば電子書籍はストックにこそ最適だということになろう。
これも予想されたことだが、気が弱いとレジに持って行くにも憚られるという類のコンテンツは電子書籍に向いている。セックスにかかわる本などは、その典型であろう。特に女性にとっては!『女医が教える最高のセックス』とか『女医&整体師が教える40歳からのもっともっと気持ちいいSEX』などというタイトルの電子書籍は花盛りである。紙の書籍では数千部しか売れなかったにもかかわらず、電子書籍にしたところ、その十倍以上のダウンロードがあったというケースもあるようだ。
ただ残念ながらと言うべきか、私が求めるような電子書籍は一向に世に出てこない。1月13日付のエントリで述べた志木電子書籍による『風流夢譚』(深沢七郎)の電子書籍化のようなケースがこれにあたるわけだが、要するにビジネスとして旨味がないから、点のようにしてしか世に出てこないのだろう。そうするとオッチョコチョイの私などは、グーグルブックスの「理想」に親近感を抱いてしまうのである。グーグルブックスでは民俗学者・中山太郎の、例えば『日本盲人史』や『日本若者史』をタダで読むことができる。これは慶應義塾大学のお陰でもある。