人口減少と高齢化は悪いことなのか?「怒れる老人たち」を夢見るのも悪くないのかもしれない

人口減少が新聞やテレビで話題になっている。厚生労働省の国立社会保障・人口問題研究所が将来人口を推計し直した結果を1月30日付で発表したことによる。

人口推計の出発点である平成22(2010)年の日本の総人口は同年の国勢調査によれば1億2,806万人であった。出生中位推計の結果に基づけば、この総人口は、以後長期の人口減少過程に入る。平成42(2030)年の1億1,662万人を経て、平成60(2048)年には1億人を割って9,913万人となり、平成72(2060)年には8,674万人になるものと推計される。
出生高位推計によれば、総人口は平成66(2054)年に1億人を割って9,962万人となり、平成72(2060)年に9,460万人になるものと推計される。
一方、出生低位推計では平成56(2044)年に1億人を割り、平成72(2060)年には7,997万人になるものと推計される

このうち最も可能性が高いのが「中位」の推計であり、この数字がマスメディアを通じて広く流布されているわけだ。具体的に言うと、2010年に1億2806万人だった人口が50年後には3割減って8674万人になり、しかもそのうち4割が65歳以上になるというのだ。こうしたデータの発表は野田政権の目指す「増税」路線を後押しする役割を担っているであろうことは容易に想像がつく。
いずれにせよ、総人口が減り、若者の人口が減り、GDPが減り、米の生産量が減り、右肩上がりなのは老人の人口だけというわけである。しかし、地球規模で考えれば、これは悪いことではあるまい。地球的な規模で言えば人口減少ではなく「人口爆発」が問題になっているのだ。世界人口は2050年に100億人になると危惧されている。そういう意味からすれば、わが国は地球に優しい「老源郷」への道を確実に歩み始めているということになる。もちろん、その過程では様々な矛盾も噴出して来ることだろう。しかし、総人口が減り、社会の高齢化が進むということは決して「停滞」ではあるまい。そこに「成熟」を読み取っても良いのかもしれないが、もしかすると、それは「成熟」でもないのかもしれない。高齢化を安易に「成熟」に結びつける必要はあるまい。むしろ、高齢化という右肩上がりの「力学」が新たなカウンター・カルチャーやサブ・カルチャーを担うことになるのではないかと想像するのも一興だろう。
総人口が増え、経済が高度成長を遂げるという社会においてカウンター・カルチャーやサブ・カルチャーの担い手は若者であったが、総人口が減り、経済も横ばいが精一杯で、高齢化が進むという社会ではその担い手が老人になるという逆転現象が起きるという可能性はゼロではあるまい。「不良」と「長寿」が合体し「成熟」を拒否する「怒れる老人たち」の誕生である。ローリングストーンズのようなジジイがごろごろしている社会、あるいはあちらこちらにイーストウッドオリヴェイラが存在し得るような社会は間違いなくステキなはずである。それとは対称的に若者たちを特徴づける言葉が「成熟」であったりして!