毎日新聞・小川一「記者の目 ソーシャルメディアと新聞」を読んで違和感を覚えた理由

「@pinpinkiri」は私もフォローしているアカウントのひとつであった。何故、フォローをしていたかと言えば「記者とかしています」とあり、職業が新聞記者らしいことが推測されたからだ。そんな「@pinpinkiri」が実名を公開した。

毎日新聞で記者とかしています。社会部に18年間在籍、社会部長を務めました。ソーシャルメディアとマスメディアの協働を追求していきます。

小川がツイッターを匿名ではじめたのは彼自身のツイートによれば「私は仮面舞踏会のようにいつもと違うペルソナをつけられるTwitterの空気感が好き」であったからだそうだが(新聞の社説が匿名なのも、こうした「気分」に支えられているところがあるのだろうか)、9年ぶりに「記者の目」に登場し、「ソーシャル・メディアと新聞」を書いたことに端を発するようだ。「記者の目」は署名入りの記事であるから、これを書いたことをツイートすれば自動的に「@pinpinkiri」が「小川一」であることがわかる。それでも小川がツイッターを続けようとすれば、実名が発覚したことを引き受けて「@pinpinkiri」のままで臨むか、別のアカウントを登録するかの二者択一であったろう。小川は「周囲の人に相談したら『そんな面倒なことすんなよ』という反応だったので、実名に切り替え」たという。
私などハナからツイツターでは実名だが、マスメディアの仕事を生業としているアカウントで匿名というのは「卑怯」とほぼ同義であると私は考えている(新聞の「社説」が匿名であることも私からすれば当然「卑怯」なことだ)。そうしたなか「@pinpinkiri」が実名を公表したことは評価したい。これでフェイスブックにも参入できるだろう。ご同慶の至り、だ。
小川は「記者の目」で書いた「ソーシャル・メディアと新聞」について、こうツイートしている。実質的に実名を公表したツイートでもある。

毎日新聞に「記者の目」を書きました。フォロワーの皆さんに教えていただいたことを私なりにまとめました。私としては9年ぶりの「記者の目」です。デスクに原稿をバサバサ削られて少し悔しい思いもあるので、削られた部分は随時ツイートしていきます。http://t.co/ReuMhNTh

小川が「ソーシャル・メディアと新聞」で主張しているのは、マスメディアとソーシャル・メディアが「協働」すれば、毎日新聞が標榜してきたという「情報デモクラシー」とやらを更に進化させることができるということだろう。小川は記事の冒頭で何の疑いもなく、次のように書く。

ツイッターミクシィフェイスブックなどのソーシャルメディアは、東日本大震災をはさんで日本で大きく進化し、今、その流れはさらに加速している。一方、震災では、マスメディアの一つである新聞も被災者に寄り添う報道を続けてきた。二つのメディアが今後、力を合わせれば、社会はさらによりよい情報を受け取れると思う。

この文章を引用するに当たって、私が敢えて「何の疑いもなく」という一節を入れたのは「ツイッターミクシィフェイスブックなどのソーシャルメディアは、東日本大震災をはさんで日本で大きく進化」したのは事実であったとしても、「震災では、マスメディアの一つである新聞も被災者に寄り添う報道を続けてきた」と言い切ってしまって良いのかと思ったからだ。この箇所に私は激しい違和感を抱かざるを得ない。震災によって引き起こされた最悪の人災とも言うべき福島第一原発の事故において、新聞やテレビなどのマスメディアは「被災者に寄り添う報道を続けてきた」と小川は考えているのだろうか。確かに、ここには「震災」としかないから、福島の原発事故は別としてというニュアンスが込められているのかもしれない。しかし、一連の報道を振り返れば、原発の事故は別にして「マスメディアの一つである新聞も被災者に寄り添う報道を続けてきた」などとは言えまい。小川自身も記事の中で福島の詩人である和合亮一の「放射能が降っています。静かな夜です」「髪と手と顔を洗いなさいと教えられました。私たちには、それを洗う水など無いのです」というツイート(=詩)を紹介しているから、ここに言う「震災では」の「震災」には福島第一原発の事故も含まれているのだろう。だとすれば新聞は、毎日新聞は、その記者たる小川は「被災者に寄り添う報道を続けてきた」と安易に断言してしまって良いのだろうか。毎日新聞に限ったことではないが、マスメディアは被災者に寄り添うも何も、福島第一原発の「現場」から逃げた。この点を毎日新聞とは言わない、小川はどう評価しているのだろうか、次のような文章をどう読むのか。

南相馬市では屋内退避になったとたん、物流が途絶え、銀行が閉鎖された。郵便局までが撤退、郵便物の配達もなくなった。民営化だから関係がない、とでも言うのだろうか。これでは政府は余りに無責任である。でも、批判は現れない。理由は簡単。新聞メディアもいっせいに記者を引きあげた。国と共同歩調となったのである。

加藤典洋の『3.11死に神に突き飛ばされる』からの引用である。加藤によれば「メディア的に見捨てられた場所があれば、メディアは、そういう地域の住民に責任がある」と書いている。「そういう人々がいる場合、その人々を報道しなければならない」のは、その姿勢こそが「メディアの公共性」を支える根拠となり得るからである。しかし、新聞はメディアとしての公共性を放棄するばかりではなく、最悪にも「政府と共同歩調を」とってしまったのである。小川の言を借りて言えば「公権力や企業が隠す情報を市民の側に取り戻す『情報主権』『情報民主主義』の実現」を新聞は福島第一原発の事故に際して頓挫させてしまったのではないのか。マスメディアは寄り添うべき人々を見捨てた。私に言わせればマスメディアの震災報道は「隠蔽」を前提としていたということである。新聞は恥ずかしげもなく、むしろ胸を張って「国家のイデオロギー装置」としての役割を引き受けた。そして、その「隠蔽」すら「隠蔽」しようというのが、小川の書いた「震災では、マスメディアの一つである新聞も被災者に寄り添う報道を続けてきた」という一文なのである(拙著『報道と隠蔽』も参照されたし!)。この点を総括することなしに震災を契機にしてマスメディアとソーシャル・メディアの「協働」に言及し、そのことによって「情報デモクラシー」を進化させようというのでは、その主張がどんなに立派でも「背骨」を欠いた物言いに踏みとどまるだろう。新聞の震災報道が「情報デモクラシー」を後退させてしまったという認識が小川には必要不可欠なはずだ。何より、小川に「新聞は被災地の避難所で奪い合うように読まれた」ことに対する記者としての「痛み」は欠片もないのだろうか。
私は戦後のある光景を連想する。戦争中は嬉々として戦争に協力し、戦争を煽っていた連中が、戦争が終わると、何のためらいもなく平和や民主主義を唱え出したという、あの光景だ。