ツイッター記者について私が知っている二、三の事柄part1

毎日新聞朝日新聞ソーシャルメディアに本格的に関与を始めている。ツイッターでは「組織」ではなく「個人」で、しかも「実名」のアカウントが増えているのは、このためだろう。新聞というマスメディアにとってもソーシャルメディアを無視できなくなり、ツイッター記者が誕生したというわけである。私はツイッターを始めた当初から新聞記者のアカウントはできるだけフォローするように心がけてきた。そこで私がフォローしているツイッター記者をそのツイートとともに紹介していくことにしよう。

高田昌幸 masayuki takada ‏ @masayukitakada
高知新聞に来て20日。所属は社会部。研修は終わったが、仕事の流れや社内の人と顔はまだまだ覚えきれず。30数年ぶりに住む高知はずいぶん変わったし、戸惑いもそれなりに多い。今まで同様、焦らず、淡々と、でも熱く、やるときは一気呵成に。そんなふうに思っています。

もともとは北海道新聞の記者であった高田だが、今年の4月から高知新聞の社会部に籍を置いている。北海道新聞時代には新聞協会賞、日本ジャーナリスト会議JCJ)奨励賞を受賞した「北海道庁公費乱用の一連の報道」の取材チームの一員であったし、取材チームを自ら率いた「北海道警の裏金問題取材」ではJCJ大賞、菊池寛賞新聞労連ジャーナリスト大賞と賞を総なめにした敏腕記者である。私はブログやツイッターで新聞を批判することが多いのは高田のような新聞記者が絶滅危惧種になりつつあるからでもある。『真実-新聞が警察に跪いた日-』を読めば何故に高田が北海道新聞を去らねばならなかったかがわかる。次のような昨年12月のツイートは「新聞記者」高田の真骨頂だろう。

オリンパス事件。朝日新聞21日夕刊の其山史晃記者の解説記事に違和感。「威信をかけた捜査」「世界が注目する」「新生・特捜部の存在意義をかけた捜査」。こんなヨイショ記事はもうやめるべき。読者はもっと冷めている。それより雑誌FACTAに本件スクープを許した新聞界の現状を書いた方がいい

次のようなツイートを読めばわかるのだが、高田は新聞社という会社という組織に属しながらも、ジャーナリストとして会社という組織よりも、深くあろうとしているようだ。

既存大メディアがダメと言っても個々には良い記者もいる。問題は既存メディアをどう変えるか。政治と違って私企業だから国民(読者)からの変革要求には玄海があるが、言い換えれば、この場合の変革とは「良い記者」をどう生かすかということ。既存組織を見限るなら、新党をつくることも必要。2011年11月20日

朝日新聞ツイッター記者のアカウントをオープンにする以前からツイッターを活用していた記者のひとりが神田大介である。ツイッターのプロフィール欄には次のように書いている。

神田大介
@kanda_daisuke
朝日新聞記者(名古屋本社報道センター)。ネットの「かかりつけ記者」めざしてます。http://theinterviews.jp/kanda_daisuke 内部告発、情報提供はメールアドレス kanda-d の asahi.com へ。社公認ですが社の見解ではなく、リツイートやリンクは賛否その他ないまぜです。
名古屋市中区 · http://www.facebook.com/daisuke.kanda

このプロフィールを見ればわかるように神田はフェイスブックも既に駆使している。図書館問題に関しては実際の新聞記事と神田のツイートを併せて読むと、なかなかスリリングである。神田はツイッターを記者という仕事の一部分に組み込んでおり、朝日新聞のプロモーションのための俄かツイッター記者でないところに私は好感を抱いたいる。しかも、神田はツイートで結構というか平気で間違いを犯す。しかし、間違いであることが判明した段階で即座に訂正とお詫びのツイートを書く。例えば神田は「京都・亀岡の児童死傷事故で、交通課の警部補が加害少年の父親に被害者の携帯電話番号を教えてしまった」とツイートのなかで述べたが、これに対して「携帯番号は教頭で、警察は固定電話と聞きましたが、違ったんでしょうか?何が正しい情報なんでしょうか?」という返信があると、即座に「大変失礼しました。ご指摘の通り、亡くなられた女性については、携帯番号を教えたのは教頭でした。訂正いたします」とツイートしている。こうしたところが俄かツイッター記者でない何よりの証拠であり、ツイッターのメディアとしての本質を見事に捉えている。ツイッターにおいては新聞社の看板を背負っていようがいまいが、誰もが五分と五分の関係にあるのだ。新聞記者がツイッターに参入することで神田のように「偉そうでない」記者が増えることを私は願ってやまない。ちなみに電話番号を教えた警部補は次のような神田のツイートによれば「辞職」の可能性もあるようだ。

神田大介 ‏ @kanda_daisuke
(8/8)おそらくこの警部補は地方公務員法違反等で立件、処分される。私が警察を取材した経験では、こういう問題で処分された警察官は辞職することが多かった。辞職すれば退職金は出ない。一つの事故が、多くの人を不幸にする。返す返すも事故が憎い。そして辛い。4月27日

新聞では読めない記者の思いの篭った文章である。
ツイッターで実名を名乗らない新聞記者もいる。「不惑記者」もそのひとりだ。プロフィールにはこうある。

不惑記者
@o40kisha
アラフォーならぬ、over40の新聞記者。不惑は超えたけど、惑ってばかり。日本AE党党首。不自由報道協会エロ局次長。得意技:エロ改変RT(=ERT)。

不惑記者」自身は匿名である理由をツイートで述べている。

僕が匿名にしている5つの理由 1、本名だとエロツイートがやりづらいから  2、本名だとアホツイートがやりづらいから  3、本名だといがやちか愛を語りづらいから  4、仕事のことを書くつもりがないから 5、ツイッターで現世利益(自分や家人の仕事への誘導など)を得ようと思わないから

不惑記者」がもし実名を名乗ったならば「不自由報道協会エロ局次長」などとは絶対に名乗らないということだ。そういう意味で「不惑記者」の記者としての感性は本当に不自由なのであり、「不惑記者」であると同時に「自虐記者」でもあるのだが、むしろ、そのツイートの魅力は新聞批判を孕んだツイートに対する加虐ぶりにこそあると言うべきだろう。

上杉隆氏には記者クラブ撲滅という大義があるのだから、デマや捏造も許されるという理屈が通るなら、東電には電気の安定供給という大義があるんだから、原発推進も許されるという理屈も通っちゃうんじゃね?3月23日

不惑記者」はこんなツイートもある。

マスコミ、特に新聞批判については、「自分の言葉」での真摯な批判なら、応えるけど、キーワードとして「マスゴミ」「記者クラブメディア」「御用新聞」あたりが出てきた段階でその気をなくす。今までの経験でそう言う人たちは、メディアに改善を求めているのではなく、批難したいだけだったから。5月8日

不惑記者」にとってツイッターのTLに乱舞する「マスゴミ」「記者クラブメディア」「御用新聞」という言葉がお気に召さないらしい。「自分の言葉」ではないではないかというわけだが、私など「不惑記者」に問いたいのは、では新聞記事は紙面の隅から隅に至るまで「自分の言葉」で書かれているのかということである。また私見を言うならば「マスゴミ」「記者クラブメディア」「御用新聞」といった新聞批判の常套句も書き方次第では「自分の言葉」にできるはずであるし、更にいえばそうした言葉が単に常套句としてしか使われていなくとも、そこに日々を普通に暮らす「ただの人」の新聞に対する「心情」も場合によっては読み込めるということを忘れてしまって良いのか、である。
不惑記者」を「不惑先輩」と呼ぶ「ペンカメ」も新聞記者なのだろう。プロフィール欄は素気ない。

ペンカメ
@h1pster
ペーパーバックを積み上げて、僕は自分の玉座をこしらえた。
災難合衆国 ·

ツイートもまた素気ない。誰かのツイートをRTしたうえで「いいえ、違います」とか、「今日もスーパームーンなの?」とか、たわいのない一言をまさにつぶやいている。しかし、そのシニカルな視点は興味深い。「47news」の「府警交通部長が祇園事故当日宴席 懇親会、本部長も出席」というツイートに対して「たとえばサツ担当の記者は事件があったら飲まないのだろうか」とつぶやくツイートなど新聞のみならず、あらゆる商業メディアの本質を衝いていよう。また「『匿名さんによる誹謗中傷がー』とか言ってる人が誹謗中傷するコトに無頓着であるコトって珍しく無いよね」というツイートに対して「最近、ブーメランが飛ぶのを久しく見てない。飛ばすヤツは大抵、額にブッ刺したままTLに現れるようになってるから」とツイートしているのはソーシャルメディアの本質に接近しているように思う。その一言、一言は決して新聞では使えない「自分の言葉」であるはずだ。