ツイッター記者について私が知っている二、三の事柄part2

民主党政権交代して首相の座に就いた鳩山由紀夫菅直人野田佳彦の三人は三者三様にアメリカの壁の高さに驚愕し、アメリカの影の濃さに怯懦し、アメリカの懐の深さに感涙したに違いない。「決められない政治」と大阪市長橋下徹は喝破したが、そこにはアメリカという問題が間違いなく根を張っているのだ。オキナワにしても、ゲンパツにしても、アメリカの意向を無視しては何も決められない現実が日本には存在する。至る場所にアメリカは根を張っているのだ。この現実を直視せず、戦後政治を総決算することもできなければ、戦後レジームからの脱却など画餅にしか過ぎない。自主憲法を制定するといっても、アメリカがお許しになる範囲の自主でしかないことを自民党とやらは自覚すべきだろう。そのナショナリスティックな言辞とは裏腹の対米従属は自民党という保守政党の相変わらずのお家芸にほかなるまい。民主党にしても政権に就くと、鳩山による若干の抵抗を例外にして、このお家芸を全面的に継承することになってしまった。明治維新の原動力となった「攘夷の精神」は1945年8月15日をもって政治家から消え失せたのである。せいぜい自らの対米従属を隠蔽するために反中国の旗を掲げる程度の自称「愛国」政治家はいるのかもしれないが、その手の輩などアメリカからすればかわいいものであろう。ペリー来航以来、日本の政治にとって最大の難問は対米従属でもなく、対米敵対でもない対米自立をアメリカという「帝国」の支持のもと果たせるかどうかである。
さて、前回の続きである。
朝日新聞ツイッターの活用に本腰を入れているが、その草分けのひとりがデジタル編集部に籍を置く丹治吉順である。プロフィール欄では自らをこう紹介している。

丹治吉順 aka 朝P
@tanji_y
朝日新聞報道局デジタル編集部記者。デジタル技術とウェブが引き起こす社会や文化の変容を追っています。ボーカロイド界隈での通り名は朝P、仕事はこちらなど http://youtu.be/xBZOlipfjkQ 。書き込みは個人の考えで、朝日新聞の見解とは関係なく、RTやリンクは賛意を示すものではありません。
· http://blog.goo.ne.jp/tristan_tristan

ブログ「夜明けまで3時間 よしなしごとの記録と備忘」は2009年7月27日以後、更新されていない。ツイートの内容は仕事がデジタルだけにソーシャルメディア関係の発言も多い。次のようなツイッターの匿名性を擁護するツイートには私も考えさせられた。

使わないと機能が把握できないのと、ウェブに書く場は数カ所にまとめておきたいのとで、今のところツイッターFacebookを使い分けていますが、やはりFacebookの徹底的な実名縛りは気になりまね。匿名ならではの可能性も多々見てきただけに。たぶん当分はツイッターが主です。5月8日

ツイッターの場合、実名か匿名かはユーザーの選択に委ねられている。得てして読むに耐えないツイートは匿名に多いにしても、「匿名ならではの可能性」があることは「朝P」の指摘の通りであろう。誰でもメディア足り得るソーシャルメディアにおいてこそリテラシー能力が実は問われているのである。また既存メディアのドンたる朝日新聞の記者とは思えないほど柔らかい発想によるツイートも魅力のひとつか。こんな具合である。

あえて挑発的に言えば、著作権制度って「天動説」に基づいているんですね。印刷革命以降に生まれた「固定された作品が絶対」という固定観念に基づく天動説。人間の創作や伝承は、本来そんな観念に縛られない。だから無理が生じている。そこを解決するには、多分「ビッグデータ処理」が必要だろうなと。5月4日

ちなみに私見を述べておくが、「著作権」もまた「知の権力体系」に君臨する権力の一形態であると私は考えており、「著作権」を解体することは無理にしても、「著作権」が強いより弱いほうが、労働力しか売るものを持たざる民衆にとって明らかに有益なはずだ。私がネットという新大陸が好きな理由のひとつが「著作権」に干渉されない「知」を誰もがシェアできる可能性を孕んでいるからに他ならず、こうして原稿料の発生しないブログやツイッターフェイスブックを使って、「自由な言論」を実践しようと思っているのも、このためである。インターネットが民衆に対して成し得た最大の貢献は「知」の資本主義にデフレ現象をもたらしたことである。インターネットという新大陸は玉石混交といえども高価な「知」を民衆に解放するツールなのだ。
次のようにプロフィールを書いている伊丹和弘も朝日新聞ツイッター記者を公表する以前からツイッターを駆使していたひとりである。

伊丹和弘
@itami_k
朝日新聞横浜総局記者(元ジャーナリスト学校主任研究員、月刊Journalism編集部記者)。ネット時代のジャーナリズムと地元の話題についてつぶやいていきます。女房と娘と息子を愛する自称イクメンお兄さん。沖縄と海、マリノス、相撲が好き!(発言は個人の見解で社を代表するものではありません。RTやリンクは賛意とは限りません)

現在は朝日新聞横浜総局記者だが、ついこの間まで『月刊Journalism』の編集にかかわっていただけにやはり次のようなツイートをここでは掲げておこう。

SNSでのメディア内個人による発信には「新たなメディアとしての可能性」「秩序を乱しかねない脅威」の両面があります。朝日新聞は前者に重きをおいて、SNSの積極利用に打ち出し、某ライバル紙などは後者を重視し、基本的には制限する方向で運用している。僕はそう理解しています。3月28日

朝日新聞の判断は、別に格好良いことではありません。部数減の中で、どうやったら光明を見いだせるか、という追い詰められた中での試みなのですから。もちろん、記者個人が自律・自立していくことが、結果的には朝日新聞のジャーナリズムに良い影響を与える、と僕は信じておりますが。3月28日

伊丹のツイートに付け加えて言うのであれば新聞という(カミさんを殺してしまったマルクス主義哲学者として知られているアルチュセールの言葉を借りれば)「国家のイデオロギー装置」としての役割も果たしているマスメディアの内部の個人がソーシャルメディアを活用することには確かに「新たなメディアとしての可能性」と「秩序を乱しかねない脅威」との両面があるだろう。伊丹は「新たなメディアとしての可能性」に賭けているのだろうが、メディア内の個人が発信して「新たなメディアとしての可能性」を獲得するには、その個人が属しているメディアの秩序を乱しかねない脅威となるような発信でなければならないのではないだろうか。記者ツイートが、「国家のイデオロギー装置」であった新聞が民衆に開かれてゆく契機になるかどうかということでもある。そういう意味では永田町の「黒沢」で首相の野田佳彦と三時間近くにわたって同業の岩見隆夫(毎日新聞)、橋本五郎(読売新聞)らとメシを喰った星浩の臨場感あふれる連続ツイートこそを私などは朝日新聞に要求したいところだ。こういうことが恥ずかしくも、みっともないことだと思わない限り、新聞の部数減は止まらないはずである。それにしても、この連中は新聞のこういう習慣が日本の政治を駄目にしているということに気がつかないのだろうか。
「秩序を乱しかねない脅威」を重視し、記者のツイッター使用を制限している「某ライバル紙」のほうが朝日新聞よりも新聞の「国家のイデオロギー装置」としての役割を自覚しているということなのかもしれない。どうせ滅びつつある新聞なのだから、「国家のイデオロギー装置」としての役割に無自覚であるよりも、その方が正直に私には思えてならない。そう言やあ「某ライバル紙」のトップって徳富蘇峰という感じがしないでもないものな!
毎日新聞の記者で私が最初にフォローを始めたのは石戸諭であるようだ。

石戸諭(Ishido Satoru)
@satoruishido
毎日新聞で記者をしています。仕事では主にリスクコミュニケーションに関心あり。なおここでの発言は会社と一切関係ありません。1984年生まれ。ご連絡はsatoruishido(at)gmail.comまで。 電子書籍にて「安心の風景―子どもと犯罪、ホントのところ」を発売中。→http://bit.ly/glH68H
大阪市在住 · http://twilog.org/satoruishido

現代思想』もしっかりとチェックしていると思しき石戸らしいツイートは短いが次のようなものであろう。

ガレキ問題など具体的な対策が必要な話に対して、観念論で問うという姿勢は、いい加減どうにかならないものか。4月9日

新聞記事であれぱ「観念論で問うという姿勢」という表現はしないはず。こういう言い回しに石戸の地が出ていると言って良いだろう。いずれにしてもリスクコミュニケーションに関心を持っているという石戸の次のようなツイートに私は「激同」(ツイッターで良く見られる言い回し。激しく同意するということだろう)する。

福島では健康調査よりも避難、という声をいただいた。避難も権利というのは賛成だし「避難したいけどできない」という方に支援も必要だと思う。しかし「福島に住む権利」、住みたい場所に住む権利というのは当たり前にある。いまは選ぶことが大事なのであって、一方的な押しつけが必要なのではない。3月15日

しかし、だからこそ私は新聞に首を傾げざるを得ないのだ。昨年、政府が福島第一原発から20キロ圏を立ち入り禁止にした際に、20キロ圏内で暮らす普通の人々がいたにもかかわらず、新聞が20キロ圏内に入らなかったことに、である。たとえ会社が建前上、入ることを禁じていたとしても、個人として入って、それこそツイッターで発信する新聞記者がいなかったことが私からすれば不思議で仕方ないのである。新聞は福島第一原発の過酷事故にかかわる報道で自らが「事実」を放り出してしまった側面を否定し難いのではないだろうか。石戸も言うように「必要なのは解釈ではなく、事実」なのである。福島第一原発の過酷事故の報道において新聞は「事実」を前に膝を折らなかったと胸を決して張れまい。

「●●●の陰謀」「●●●が洗脳」。いろんなところで聞くけど、とどのつまりは「真実を知っている私」を強調したいケースがほとんど。その手の自慢話にはついていけないのですよ。必要なのは解釈ではなく、事実であろう。3月23日

よく読んでみると「その手の自慢話」でしかなかったという類の記事が毎日新聞に掲載されないことを心からお祈り申し上げておこう。
原発全停止や検審誘導の報道はいいけど、実は悪夢の大型連休。打てない(T_T) 」とツイートする竹田昌弘は虎キチ(阪神タイガースのファン)のようである。ツイートは新聞の記事を紹介する「個人通信社」という趣きであるが、私からすれば新聞を駅の売店やコンビニで購入するに際しての貴重な情報源である。

毎日新聞東京朝刊9面、佐藤優さんの『異論反論』。石川議員に取り調べの隠し録音を勧め、ためらう石川氏を説得した経緯や田代検事が捜査報告書の虚偽を証言後、石川氏から田代氏を守る方法について相談され「真実をすべて明らかにするしかない」と答えたことが書かれている。ネット見当たらず。5月9日

こういうツイートを目にすると毎日新聞を買いに走るわけである。私の場合、通勤電車で朝刊2紙に目を通すようにしているが、どの新聞にするかは、まあその日の気分と言って良いだろう。たまさか今日は東京新聞朝日新聞を買ってしまったため毎日新聞を漏らしてしまった次第である。私からすればとても実用的なアカウントのひとつである。竹田のプロフィール欄にはこうある。

竹田昌弘
@TAKEDAmasahiro
1961年富山県生まれ。共同通信企画委員兼編集委員twitterは個人の活動です。岩波ブックレットの『知る、考える裁判員制度』や『裁判員時代に死刑を考える』(今年5月刊、郷田マモラさんと共著)などを出しています。よかったら読んでみてください。詳しいプロフは http://p.tl/RfWL
東京 · http://twilog.org/TAKEDAmasahiro

現在、最強のツイッター記者は誰がと問われれば、私は迷わず小川慎一の名前をあげるだろう。

小川慎一
@ogawashinichi
東京新聞(中日新聞)・社会部記者。裁判、検察担当。1975年生まれ。取り調べの全面可視化、証拠の全面開示が必要。金に余裕のある人は口だけじゃなく、金も出そう。クール寄付!チャーハンバンザイ、チャーハン記者。
東京都 ·

小川は自らが属する東京新聞の社説にツイッターで異論を唱えたことがある。ツイッター記者は数多くなれど、自分が属する新聞の社説に堂々と異論を唱えたのは私が知る限り小川だけである。

内容がどうこうではなく、社説内の「私たち」は社員のことなのか。それとも「私たち国民」のような意味なのか。/東京新聞:週のはじめに考える 傍らに立つということ:社説・コラム(TOKYO Web) http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012021902000047.html 2月19日

社説に異論を挟むことで、それが社内外に波紋を呼べば小川からすればシメタものであろう。そのようにして新聞を開いていくということは全面的に良いことであるはずだ。だいたい匿名の社説で「私」や「私たち」という主語を使うことが単なるポーズなのである。署名原稿の多い東京新聞にしても、社説は未だに匿名なのである。しかし、小川のような記者が増えれば新聞も変わらないこともあるまい。小川は社説に異を唱えるばかりではない。ロンドン五輪に出場できなくなってしまった猫ひろしに堂々とエールを送るのだ。多くのメディアが猫ひろしに否定的な言説を投げかけるなか、小川は堂々と個人を主張する。

猫ひろしコールして、励ましてあげよう。猫ひろし猫ひろし猫ひろし!5月9日

競合紙の内容も平気で批判する。次のようなツイートに私は思わず笑ってしまった。

産経の「賢者に学ぶ」って、執筆者が誰かほかの賢者に学びに行った方がいいのではないかと思わせるコーナーなのか、もしかして。5月4日

次のような提言も本気なのだろう。

5月3日の新聞には、憲法全文を載せるべきだな。1年に1回ぐらい読んでも損はないような気がする。5月3日

社説に異を唱えるからといって、猫ひろし日本国憲法を擁護するからといって、産経新聞をコケにするからといって、小川は東京新聞で脇道を歩かされている記者ではない。東京新聞では小沢無罪判決の社会部記事を書いたのは小川であった。東京新聞のデジタル版で小川慎一の名前を検索すると25本の記事が出て来るし、東京新聞の社会部における主力記者のひとりであることは間違いない。
それでいて少しも偉そうでないのが小川のツイートの特徴である。自分が間違えればすぐに誤るし、間違いを恐れて新聞記事と同じようなことしか書けないツイッター記者とは段違いのフットワークの良さである。しかも自分はどういう人間であるかも積極的に開こうとしている。東京新聞という新聞社の代紋を背負っていながら、次のようにツイートする小川はツイツターというソーシャルメディアを誰のものでもなく自分個人のものに昇華し得ているのである。そこには裸の小川慎一が躍動しているのだ。

ラブホのエレベーターで相乗りを嫌がる人がいるが、時間がもったいないじゃないか。どんどん相乗りしなさい 5月7日

イケイケなカップルも相乗りしたときは静かだった。オレはワザと大きめな声で会話をして快感を得ていたのである。5月7日

こうツイートする小川慎一の記事を読みたいと思うのは私だけだろうか。新聞という既存のマスメディアに必要なのはツイッターを活用することで民衆の原イメージを繰り込んでいくことにほかなるまい。そのためにはツイッター記者は民衆の生活する場に降りてきて、その場所から140字以内の言葉を紡ぎ出すことが欠かせないはずである。