小沢一郎を第二の美濃部達吉にしてはならないはずだ!

3.11が時代の分岐点となるのは間違いない。しかし、3.11以後を8.15以後のアナロジーで語るのは間違いである。それは「以前」を無効化するような「以後」ではなく、むしろ「以前」を加速化させるような「以後」である。政治の液状化は首相・鳩山由紀夫による「静かなる革命」(吉本隆明)がオキナワ問題で挫折し、鳩山次いで首相の座に就いた菅直人が突然、消費増税を言い出すことで始まったが、3.11以後、被災地の復興・復旧、原発、TPP、消費増税と難問を前に政治の液状化は一気に加速しているというのが私の見立て。アメリカの占領によって次々に民主主義的かつ自由主義的改革によって、日本国憲法、農地改革、財閥解体などが次々に押し付けられ、国家改造に邁進した8.15以後とは、まるで様相が異なる。むしろ、3.11以後は9.18以後とのアナロジーでこそ語るべきなのではないだろうか。9.18とは言うまでもなく満州事変を指す。9.18以後、政治が液状化し、軍部が政治的に台頭し、やがて大日本帝国は戦争の泥沼から抜け出せないままにアメリカとの戦争を始め、広島、長崎の原爆による大虐殺を経て遂に崩壊する。3.11以後を生きる私たちは9.18から8.15に至る15年に及ぶ歴史の過程を教訓にすべきではないだろうか。ちなみに私は坂野潤治の『日本近代史』における「ブント史観」(だよね?)を大枠では認めている。
このように考える私からすると、政治資金規正法違反で検察が起訴を断念しながらも強制起訴され、一審で無罪になったにもかかわらず、検察官役の指定弁護士に控訴されることに相成った民主党元代表小沢一郎天皇機関説問題で「排撃」された美濃部達吉が重なってならないのだ。小沢の天皇機関説問題にあたるのが陸山会事件という「政治とカネ」の問題である。
1930年(昭和5)の浜口内閣によるロンドン海軍軍縮条約締結に対し、軍部や国家主義者団体が「統帥権干犯」を理由に激しく反発したが、美濃部達吉は条約締結を正当だと自らの憲法学説に則って浜口内閣を擁護する。当然、「統帥権干犯」を言い立てる勢力は攻撃の矛先を美濃部達吉に向けることになる。その代表的なイデオローグが原理日本社を率いる蓑田胸喜であった。
小沢一郎の「政治とカネ」の問題で蓑田胸喜の役割を果たすことになったのは、言うまでもなく指定弁護士。強制起訴による一審の判決は、どう読んでも起訴自体に無理があるという裁判所からのメッセージが込められた内容なのだが、指定弁護士は一審には見過ごせない事実誤認があるとして控訴に踏み切ったのである。これは蓑田胸喜美濃部達吉を攻撃するに際して並べたてた「言いがかり」のようなものである。普通の裁判で検察が一審の判決に納得できず控訴する場合でも高検や最高検の上級庁と協議するものだが、新しく導入された検察審制度では控訴判断は指定弁護士に一任されてしまうのだ。要するに指定弁護士の「独断」で小沢一郎は再び刑事被告人の座に逆戻りしてしまう。このことが小沢一郎の政治活動にとってマイナスに働くのは言うまでもあるまい。

とくに小沢元代表の場合は、特捜検察が一人の政治家を長期間にわたり追い回し、起訴できなかった異様な事件である。ゼネコンからの巨額な闇献金を疑ったためだが、不発に終わった。見立て捜査そのものに政治的意図があったと勘繰られてもやむを得ない。
小沢元代表はこの三年間、政治活動が実質的に制約を受けている。首相の座の可能性もあったことを考えると、本人ばかりでなく、選挙で支持した有権者の期待も踏みにじられたのと同然だ。

これは5月10日付東京新聞の社説「小沢元代表控訴 一審尊重へ制度改正を」から引用したものだが、今回の事件で「軍部」にあたるのが「特捜検察」であるということだ。美濃部達吉の『憲法撮要』を取り上げ天皇機関説を国体に反すると議会で弾劾したのは蓑田とも親しい関係にあった貴族院議員菊池武夫男爵だが、小沢一郎の件で菊池の役割を果たしたのは、社説をはじめ「政治とカネ」という視点から、ことあるごとに小沢一郎を弾劾してきた朝日新聞などのマスメディアであることも間違いあるまい。戦前の日本は天皇機関説問題を解決するにあたり、政府は二度にわたって国体明徴を声明し、美濃部及び天皇機関説を完膚なきまでに排撃してしまう。政府は自らの手で大正デモクラシーによって切り拓かれた民主主義に引導を渡すことになる。天皇機関説を排撃したことで「合法無血のクーデタ」を実現してしまうのである。
こうした歴史を念頭に置くならば、小沢一郎を平成の美濃部達吉にしてはならないはずである。この日本の民主主義のために!
とはいえ小沢一郎も4億円もの大金を右から左に動かせる財力の持ち主であり、それは年収300万円以下の普通の人々とは、かけ離れた金銭感覚である。民衆の多くがが朝日新聞あたりの尻馬に乗って小沢一郎は国会で説明責任を果たすべきだと思っている心情をあながち否定するわけにもいくまい。民衆の生活と乖離しているという意味では貴族院に籍を置く美濃部もまたそうであった。美濃部の天皇機関説排撃に長引く不況で虐げられ続けていた民衆もまた乗ったのである。