小沢一郎の「分裂させる力」に見る「ただの民主主義」の可能性

小沢一郎とは何者なのか。
むろん、私は小沢一郎に会ったことはない。私が知っている小沢一郎は日本の普通の人々と同じように主として新聞やテレビの報道を通じてのものである。
そうした条件の下に小沢一郎とは何者なのかを考えてみたいのである。小沢一郎に少しでも関心があるのであれば、小沢が政治家としてメディアの表舞台に出てきてから、今日までの軌跡を振り返ってみるならば、「分裂させる力」に注目しないわけにはいくまい。
小沢はまず当時、自民党という政権与党において最大規模を誇っていた竹下派を分裂させる。1992年(平成4年)、東京佐川急便事件をきっかけに、金丸信が派閥会長を辞任し、議員辞職すると、小沢は金丸に近かった渡部恒三奥田敬和らとともに羽田孜を擁立し、小渕恵三を推す竹下登橋本龍太郎梶山静六らと対立する。参議院竹下派が竹下自身の説得によって後継会長に小渕が選ばれると、小沢はいとも簡単に竹下派と訣別し、羽田派を旗揚げしてしまうのである。そもそも竹下派じたいが田中派を分裂させて結成され、その際、原動力となったのは竹下派七奉行であり、小沢もその一人であった。
小沢の「分裂させる力」は派閥を標的にするだけでは済まなくなった。遂には自民党を分裂させてしまう。政治改革法案をめぐって宮沢喜一内閣に不信任案が上程されると、不信任案に賛成し、可決させてしまう。宮沢内閣が解散総選挙に打って出ると、新生党を立ち上げ、自民党過半数割れに追い込み、日本新党の代表であった細川護煕を首相に日本社会党公明党民社党新生党日本新党新党さきがけを連立与党とする政権交代を実現してしまう。この政権交代日本社会党が連立から脱落し、自民党社会党による村山富一内閣が成立すると、小沢は日本共産党を除く野党勢力を糾合し、新進党を結成する。
しかし、ここでも小沢の「分裂させる力」は存分に発揮される。新生党結党に際して盟友であった羽田孜奥田敬和小沢一郎と訣別して太陽党を結党する。最終的には1997年12月末に新進党すら分裂させて、解党してしまうのだ。小沢自身は1998年に自由党を結党するも、野党第一党の座は民主党に譲り渡す。自由党は1998年、小渕恵三内閣において自民党自由党の連立を組み、翌年には公明党も与党とする自自公連立に発展するが、2000年に小沢が連立を離脱すると、連立維持派は保守党を結成するというように、ここでも「分裂させる力」を遺憾なく発揮する。2003年には自由党民主党と合併させてしまう。
小沢一郎の「分裂させる力」は政治の最前線において創造と破壊を繰り返してきたのである。そして、今また民主党を分裂させようとしている。
小沢一郎は何故にここまで「分裂させる力」を発揮しつづけているのだろうか。しかし、だからといって小沢が「妥協」を拒んでいるわけではない。新進党を結成したのも、自民党との連立も、民主党への合流も「妥協」なくしてはあり得なかったろう。議会政治の本質が「抵抗」ではなく、「実現」にあるのだとすれば、小沢の「妥協」を理解することができる。議会において多数を獲得しないかぎり、どんな「実現」もあり得ず、そのためには「妥協」が必要なのである。小沢は「抵抗」に安住を見いだすほど、民主主義に諦念を抱いていないというべきであろう。
逆に言えば自らの政治生命の延命をはかるだけの意味のない「妥協」に膝を折ることはしない。それは格好ばかりの「抵抗」と同じなのである。「実現」なくして「妥協」なし、なのである。「実現」が無理であると判断した時点で小沢は「分裂させる力」を爆発させるのである。「抵抗」にしか過ぎない遊撃戦ではなく、「実現」をはかる正面戦を政治の場で戦いつづけるためには「分裂させる力」が小沢にとっては必須なのである。小沢一郎は「分裂させる力」によって「敵」と「味方」を明確に峻別する。「敵」と「味方」が明確に峻別それるまで、とことん「分裂する力」は発揮される。そこに私情が挟まれることはない。「実現」目標を共有できる者が「味方」なのである。
本来、民主主義とはそのようなものであるとするならば、小沢一郎はまさに「戦後民主主義」の申し子にほかなるまい。日本にここまで「戦後民主主義」が根付いたというリトマス試験紙なのである。小沢一郎を特定の党派的思考やイデオロギーで分類することは不可能である。「戦後民主主義」を「ただの民主主義」と言い換えても良いだろう。小沢一郎は「ただの民主主義者」にしか過ぎないのだ。小沢の「分裂させる力」は救いがたいほど「ただの民主主義」に忠実なのである。
今回の消費増税をめぐる政治過程を振り返ってみても、小沢一郎小沢一郎であることにおいて一貫している。小沢からすれば野田佳彦との複数回における会談で「妥協」を模索したはずである。そう自自公連立を離脱する際も、同じように首相の小渕恵三とのトップ会談において「妥協」を模索した。「妥協」が見いだせなかったから、小沢は連立離脱を決意したのであり、今回もまた「妥協」を模索したにもかかわらず、これがなし得なかったから、「分裂させる力」を爆発させようとしているのだ。野田が選んだ「妥協」のパートナーは自民党であり、公明党であった。「分裂する力」をもって、「実現」を可能ならしめる政治的な枠組を求めるのは「ただの民主主義者」としては当然のことなのである。そのような小沢に前首相の菅直人は自らのブログ『今日の一言』で「個利個略」を妄想している。6月23日のことである。

1年前、私に対する不信任案に小沢氏は賛成すると言って、造反しようとした。目的は小沢氏の思う通りにならない私(総理)を引きずり下ろすため。今回もテーマは違うが目的は全く同じ。
過去において小沢氏は何度も同じことをやってきた。その都度大半の「小沢グループ」の顔ぶれは変わっている。しかし、新たに取り込まれた「小沢グループ」の議員が小沢氏個人の駒として使われているという構造は変わらない。
小沢グループと呼ばれている皆さん、ぜひ目を覚ましてほしい。小沢氏の個利個略のために、駒として利用されることがないように、目を覚ましてほしい。そして小沢氏の呪縛から離れて、自らの判断で、行動してほしい。

菅の狡賢さが際立った文章である。「小沢氏の個利個略のため」というが、小沢の「個利個略」とは何かの説明も示唆も一切なく、独断と偏見で決めつけているだけなのだ。それとも菅自身が「個利個略」でしか動いて来なかったから、他人も「個利個略」で動くものと考えているのだろうか。そもそも小沢一郎の「味方」の顔ぶれが変わるのは何故なのかを菅はまるで理解できていないのだ。誰かが重要なのではない。問われるべきは「実現」目標を共有できるかどうかなのである。菅は市民運動の出身らしいが、菅の噛んでいた市民運動が結局のところ左翼的党派思考に絡めとられていたから、このような偉そうな発言になるのだろう。小沢一郎に結集しようとしている議員をまるで自分の頭では考えられないようにしか菅には見て取れないとはそういうことなのである。人をそのようにして低く見積もる菅なればこそ、福島第一原発の過酷事故に際してヒステリックにしか対応できず、住民の避難指示もロクにできなかったのである。
朝日新聞もまた例によって例のごとく小沢批判の社説を掲載している。今回はさすがに「政治とカネ」という思考停止するには便利なフレーズは使われていなかったものの相変わらず空虚な文言が並んでいた。

民主党小沢一郎元代表がみずからのグループを率い、来週の消費増税関連法案の衆院採決で反対票を投じる構えだ。
すでに約50人が離党届に署名し、小沢氏とともに集団離党して新党結成をめざすという。
それならそれで仕方がない。
だが、小沢氏が「私どもの大義の旗は国民の生活が第一だ」と、造反を政策論で正当化するのは納得できない。私たちには、今回の行動は「大義なき権力闘争」にしか見えない。 6月23日付朝日新聞

では朝日新聞に聞くが、野田佳彦が政治生命を賭けている「消費増税」に大義はあるのだろうか。本来、それは税と社会保障の一体改革であるところに大義はあったはずである。しかし、自民党案を丸呑みすることで、単なる「消費増税」に堕落させてしまったのではないか。野田佳彦こそ大義をかなぐり捨てて自民党に(ひれ伏したのだから「と」ではない!)「妥協」してしまったのではないか。そういう意味を踏まえて「大義なき権力闘争」というのであればまだしも、情況を俯瞰することを意識的にサボタージュしてしまっているとしか私には思えない内容であった。一方的に小沢一郎を断罪するだけの社説を書く理由は小沢一郎が単に嫌いだという以外に何か意図があるのだろうか。
政治家はどんなに素晴しい考えを持っているかではなく、その政治的行動によって判断されるべきである。