野田佳彦は「おとなしいヒトラー」である

大阪維新の会の代表であり、大阪市長をつとめる橋下徹ファシズムをもじって「ハシズム」などとマスメディアから揶揄されてきたが、6月23日付東京新聞で、その橋下が消費増税を目指す民主党野田佳彦政権に対して「『今回の話は完全な白紙委任で、ヒトラーの全権委任法以上だ』と辛辣に批判した」という。
確かに橋下の指摘の通りである。周知のように民主党は2009年の総選挙で圧勝し、政権交代を実現したマニュフェストにおいて消費増税を掲げていなかった。その内容は自民党政権時代にはあり得ないほど進歩的な内容の政策が列挙されていたが、消費増税については明言していなかった。民衆とて馬鹿ではないから、マニュフェストが総て実現されるとは思ってもいなかったはずである。ただ、民主党政権が次の総選挙で審判を受けずに消費増税を強行するとは考えてもいなかった。もし、マニュフェストに記載のない消費増税を目指すのであれば衆議院を解散すべきであった。
しかし、昨秋、首相に就任した野田はマニュフェストの大義を葬り去り、民主主義にとって生命線であるはずの手順、手続きを無視してまでも消費増税の実現を図り、野党に転落した自民党の提案を丸呑みして、消費増税法案をまとめてしまったのだ。野田佳彦解散総選挙に打って出なかったのは、消費増税にかかわる議論から選挙でしか主権を行使できない国民を排除してしまうことにほかならず、そういう意味で野田は吉本隆明が生前、『「ならずもの国家」異論』で出現を予想していた「おとなしいヒトラー」の役割を見事なまでに果たしたのである。税と安全保障は国家の根幹にかかわるテーマだが、税のみならず、安全保障においても、野田は「おとなしいヒトラー」の本領を発揮する。
消費増税をめぐって政局が混乱する最中に原子力規制委員会設置法を成立させるが、この法律の付則をもって、上位法である原子力基本法に「我が国の安全保障に資する」という文言を入れることに成功させたのである。同時に宇宙航空研究開発機構法も改正し、宇宙開発の仕事を「平和の目的」に限るという条件を削除し、宇宙開発もまた安全保障を目的とすることができるように改正してしまったのだ。
要するに野田佳彦首相は日本が潜在的な核保有国であることを内外に堂々と宣明してしまったのである。平和利用に限っていた日本の原子力政策がいとも簡単に転換されてしまったのである。福島第一原発の過酷事故を踏まえ原発の推進と規制の役割分担を決める法案を利用して、技術抑止力を堂々と公言し、日本の核戦略を一歩前に進めてしまったのである。しかも、法案が事前にインターネットなどで公開されることもなかったし、民衆が、この重大問題を新聞、テレビといったマスメディアの報道を通じて知ったのは、法案が国会で成立した後のことであった。新聞が社説で「核兵器開発の意図を疑われかねない表現であり、次の国会で削除すべきである」(6月22日付朝日新聞)、「『安全保障』部分の削除を求める」(6月23日付毎日新聞)で書くのは結構だが、国会に上程される以前に法案の内容を何故に報道しなかったのか。報道できなかったはずはないのである。
当初、は原子力の安全規制を担う新組織に関しては環境省の外局に「原子力規制庁」を設置するという考え方で進んでいたのだが、環境省の外局であっては「我が国の安全保障」と連動させることは難しかったはずである。民主党のマニュフェストを葬り去った「おとなしいヒトラー野田佳彦からすれば、これもまた了解済みであったに違いない。野田政権は野田佳彦の茫洋とした風貌とは裏腹に自民党の安部普三などより遥かにラジカルなのである。野田ファッショにメディアもズルズルと流され、国民もまた流されようとしている。
むろん、言うまでもなく原子力基本法に「我が国の安全保障に資する」という文言を入れた以上、政府が核燃料サイクルからの撤退を考えてもいないことは明らかであろう。日本が潜在的な核保有国としてリアリティを持つのは核兵器の原料となるプルトニウム239の確保にほかならず、これができるのは核燃料サイクル事業として取り組まれてきた高速増殖炉もんじゅ」なのである。たとえ経済的に割が合わなくとも安全保障の観点から核燃料サイクルは欠かせないという主張が今後は永田町で主流になるのだろう。これこそが本当のなし崩しである。

再度繰り返せば、私の考えは、脱原発は、できるだけ、段階を踏んで、石炭、天然ガス、シェール・ガスなどの化石燃料による火力発電、小規模の水力発電をも導入しつつ、原発を風力、太陽熱、地熱、など代替エネルギーに換えていくことで果たしていくのがよい、というものである。
その間、原発は、つなぎとして維持するが、まず第一歩として、核燃料サイクルを放棄し、ここで、はっきり平和立国を選択し、原子力エネルギーの「平和利用」という原則に立つことが大切である、と考える。

これは加藤典洋の『3.11死に神に突き飛ばされる』の一節だが、野田佳彦は平和立国とはっきり訣別した内閣総理大臣として歴史に名前をとどめることになったのである。