政党は対立軸をどこに見いだすべきか?

政権与党の座にある民主党だが、自民党公明党の協力を得て消費増税法案を衆議院で可決すると、まるで野党第一党である自民党と見紛うばかりの法案をさしたる国会の審議を経ずして衆議院で可決していった。首相の野田佳彦はそれでも物足りないと思ったのか、尖閣諸島の国有化を打ち出し、国会の答弁では集団的自衛権の解釈見直しや憲法改正にも言及するなど、民主党自民党化を加速度的に進めている。民主党内の「反対派」が離党したことで、自民党化にブレーキをかける勢力を恐れる必要がなくなったのであろう。7月11日付朝日新聞によれば離党できなかった元首相の鳩山由紀夫が「自民党野田派」という言い方をしたようである。二大政党制と言いながら、それは羊頭狗肉にしか過ぎず、実体は保守合同の「翼賛」政治が政権交代から僅か3年で成立してしまったのである。
次の選挙において民主党は解党を迫られるほど敗北するに違いない。総選挙が秋になろうが、来年になろうが、民主党の支持率は自民党を上回ることはあるまい。自民党化してしまった民主党であれば、本家本元の自民党のほうが遥かにマシだと、先の総選挙で民主党の候補者に初めて一票を投じたような政治に熱心な保守層は雪崩を打って自民党に回帰するに違いない。しかし、民主党の圧勝の原動力となったのは、必ずしも政治に熱心とは言えない支持政党なしの浮動票であったはずである。小泉内閣時代に郵政民営化を唯一の争点にして戦われた総選挙で自民党を圧勝させたのも、世論調査では決まって支持政党なしと答える、しかし、選挙民のなかでは最も分厚い層であったと私は思っている。こうした支持政党なし層は次の総選挙でいったいどの政党を選択することになるのだろうか。この層は民主党から自民党に簡単に鞍替えするだろうか。私にはそう思えない。この人々は自民党にも、民主党にも不満なはずである。橋下徹が率いる大阪維新の会が国政に進出するのであれば、そうした一票の受け皿になるだろう。ただ、大阪維新の会が単独で政権を担えるだけの議員を獲得できるかといえば、これは無理だろう。ただし、選挙民に人気の地域政党大阪維新の会だけではない。減税日本を率いる河村たかしも中京地区ではそりなりの影響力がありそうであるし、東京には石原慎太郎がひかえている。民主党を離党して新党を立ち上げた小沢一郎はここに目をつけるしか、新たな政権交代を実現するにあたっては勝機を見出せまい。小沢一郎のお膝元の岩手県知事達増拓也小沢一郎支持を鮮明にしたのも、小沢一郎の周辺から「オリーブの木」という言い方が盛んに流れはじめているのも、小沢一郎の新党が地域政党との連携を模索しているからにほかなるまい。もし、これが成功するのであれば、自公民に対抗できる勢力を衆議院で確保することも夢ではあるまい。
しかし、仮にそれで政権交代が実現使用とも、その政治勢力もまた自公民化することは間違いあるまい。もちろん、地域政党の糾合は「地方分権」と「消費増税反対」を旗印にすることになるのだろうが、その二つのテーマを別にすれば一致点よりも相違点のほうが圧倒的に多くなるはずである。再び、政党の流動化が始まることは目に見えているのである。政権交代は人の交代ではなく、政策の交代でない限り、日本に政党政治は定着しないということでもある。本来は政策綱領(=マニフェストというヤツである)によって、政治が再編されたほうが国民は一票を投じやすくなり、支持政党なし層も減少するはずである。言うまでもなく野田政権の自民党化は2009年の総選挙で掲げた民主党マニフェストを放棄することであった。
政策の対立軸がないわけではない。その対立軸は間違いなく存在する。税制改革や社会保障改革において対立軸が存在することはもちろんのことだが、原発やTPPも対立軸になるし、外交において対米従属を続けるのか、対米自立を志向するのかという世界観の違いも原発やTPPにおける対立軸の底流にあるはずである。もっと本質的なことを言うと、機会の平等も結果の平等もともに大切だとしても、どちらに重心を置くかが綱領的な(すなわちイデオロギー的な!)な対立点となるのが、最も望ましいのである。このように綱領と政策の違いによって政治が再編されるのであれば、選挙民の支持政党なしというストレスのいくばくかは解消されるはずである。内田樹によれば、それは福田派と田中派の違いである、ブログ「内田樹の研究室」で書いている。

増税原発再稼働・TPPに賛成、新自由主義、対米従属、「選択と集中」、競争と格付け、飴と鞭、勝ち組への資源集中による国際競争の勝利は福田派の綱領である。
増税原発再稼働・TPP反対、一億総中流、都市と地方の格差解消、バラマキ、一律底上げ、対米自立は田中派の綱領である。

かつて1970年代に繰り広げられた田中角栄福田赳夫自民党内で繰り広げられた政争は「角福戦争」と呼ばれたが、民主主義が保障されているにもかかわらず、自民党一党独裁が長く続いたのは、派閥が党中党として機能していたからにほかなるまい。しかし、「政治とカネ」の問題で自民党の派閥が機能しなくなり、自民党田中派を母胎として生まれた竹下派自民党を飛び出すことで二度にわたる政権交代を実現した。それが細川連立政権であり、鳩山民主党政権であった。政権交代の原動力となった小沢一郎はもちろんのこと、細川護熙も、鳩山由紀夫もともに田中派の出身である。だとすれば、野田佳彦自民党化とは福田派化にほかならず、小沢一郎民主党離党は田中派への純化が目的であったとさえ言えるだろう。
ちなみに日本において社会民主主義が育たなかったのは、田中派自民党社会党を足して二で割ったような政策を得意としていたからである。田中角栄は自らの政治を羊羹の分配にたとえたことがある。田中は羊羹を均等に切らず、一番幼い子に一番でっかい羊羹を与える。何故なら、大きい子には「少しくらい我慢しろ」と言えるが、生まれて3〜4歳の小さな子は納まらないと田中は考えるからだ。小沢が「国民の生活が第一」という2009年総選挙のマニフェストに徹底してこだわったのも、田中角栄の羊羹の政治学の継承者であったからにちがいない。日本において左派、リベラル系が政治勢力として大きな勢力を形成できなかったのは、羊羹の政治学を育んだ「土着性」を遂に繰り込めず、羊羹を均等に配ることにしか頭が回らなかったからであろう。
とはいえ小沢新党だけでは政権交代が実現できないこともまた確かである。どうしても地域政党との連携を視野に入れざるを得ないのだろうが、政策においてどれだけ多くの一致点を見出せるかどうかで、その政治勢力の耐用年数が決まるはずである。