橋下徹の前では民主党も自民党も色あせて見える!

来るべき総選挙で民主党は壊滅的な敗北を喫するだろう。2009年の総選挙では「国民の生活が第一」とするマニフェストを高々と掲げ政権交代を実現したが、民主党のやったことといえばそのマニフェストになかった消費増税民主党に投票した有権者の一票は裏切られた。この一票が「近いうち」(野田首相がそう言った)に実施される総選挙で筋を通さなかった民主党に再び投じられることはあるまい。ましてや今度のマニフェストでは消費増税隠しを画策しているという報道を読むと、民主党もかつての自民党となんら変わることがなかったのかと慄然とさせられる。
二大政党制という政治のあり方からすれば、この一票は自民党に流れるのが普通なのだが、日本ではそうならないにちがいない。自民党が前回の総選挙のように大敗するということはあり得ないだろうが、前回の総選挙の民主党のように大勝することもまたあるまい。政権を手放した自民党であったが、この間、2009年の敗北をどのように総括していたのか疑わしい。本来、自民党内にあってはリベラル系と目された総裁谷垣禎一国家主義的な色彩を帯びた発言が多かったのは野党という責任の軽さから出たリップサービスなのだろうが、結局は自民党自民党でしかなかった。政権復帰に向けて自らの改革を怠っていたのである。参議院における野田佳彦首相に対する問責決議で馬脚を現してしまったというべきだろう。消費増税参議院の「ねじれ」もあって、民主党自民党公明党の三党合意によって成立にこぎつけた。民主党内の消費増税に反対し、2009年のマニフェストにこだわった議員たちは大量離党した。その代表格が小沢一郎を党首に据えて「国民の生活が第一」に結集した面々であろう。こうした民主党離党組と社民党共産党などの弱小政党が衆議院に提出された内閣不信任案に対して自民党は採決において8月9日の衆議院本会議を欠席することで「否決」に手を貸した。そのうえで8月10日の参院本会議で民自公の賛成多数で消費増税法案を成立させた。ところが、その舌の根も乾かぬうちに自民党は中小野党が消費増税反対の立場から参議院に提出した首相に対する問責決議では、これに8月29日の参議院本会議で賛成し、可決させてしまったのである。自民党は消費増税成立に手を貸しながら、消費増税反対の問責決議を参議院で成立させ、国会をストツプさせてしまったということになる。谷垣によれば問責決議の内容は「小異」ということになるのだろうが、有権者からすれば、これほど一票を愚弄した行為もないであろう。このような背筋の通らない昔ながらの自民党の機会主義を有権者は許すまい。各種の世論調査自民党の支持率が伸びないのは、このためである。
こうした二大政党の代わりに次の総選挙で躍進を遂げそうなのが、大阪市長であり、大阪維新の会の代表として国政進出をうかがう橋下徹が立ち上げようとしている新党である。予め断っておくが私は橋下を支持しているわけではない。リバティおおさか(大阪人権博物館)に対する補助金を打ち切りを表明し、廃館の危機に追い込んだ橋下は個人的な感情からすれば大嫌いである。しかし、民主党にも自民党にも幻滅した有権者からすれば、大阪都構想を国政を動かして実現しようとしている橋下は「これまでの政治」がタブーにしてきたことに次から次へと踏み込んでいった。しかも、民主主義のルールから逸脱することなく、だ。例えば文楽への補助金にもメスを入れたし、市職員の政治活動も禁止させるなど、私が橋下に反対する理由も含めて、そのイノベーターとしての実行力に対する有権者の期待は脹らむばかりであると考えるべきだろう。特に消費増税を決められた有権者からすれば、消費増税反対を唱える政党よりも、橋下が掲げた「維新八策」にある「衆議院の議員数を240人に削減」や「歳費その他の経費の3割削減」「企業・団体献金の禁止、政治資金規正法の抜本改革(全ての領収書を公開)」「政党交付金の3割削減」といった施策に魅力を感じるはずである。本来、消費増税を断行するのであれば、「維新八策」がこうして提案するような政治のリストラ、コストカットを実行したうえでのことでならなければならになかったはずだ。自ら血を流すことを避けて安全圏に身を置き、民衆にだけ負担を強いようとする政治にノーなのであって、消費増税そのものがノーであると有権者は判断していないのである。本来、消費増税に先行してやるべきことであったが、民主党自民党という二大政党にはできなかったことを「維新八策」が具体的に掲げていることに有権者は共鳴し共感するのである。消費増税法案を廃案にすることを求めているわけではないのである。そういう民衆の生活心情と生活論理を全く理解していないのが自民党の総裁であったりするのだ。9月1日付毎日新聞は次のように書いている。

自民党谷垣禎一総裁は1日午前の読売テレビ番組で、大阪維新の会(代表・橋下徹大阪市長)が次期衆院選に向けた政権公約集「維新八策」で衆院定数(480)の半減を掲げたことについて「国と地方の権限配分など、いろいろな問題を議論しなければいけない。現状では無理だ」と否定的な見解を示した。維新の会との連携については「いろんな可能性を全部初めから閉じてしまうのは愚策だ。衆院選の結果次第だ」と含みを残した。

自民党という政党が保守政党として機能不全に陥ったのは、リストラや賃金カットに何とか耐えながら暮らしている民衆の政治も自分たちと同じ苦しみを味わうべきだという生活思想を政治に繰り込めなくなったからだということを谷垣は全く理解していないのである。橋下の立場から言えば仮に自民党連立政権を組むような事態になったとしても、衆院定数の削減などで安易な妥協をしてしまうならば、橋下の新党も民主党と同じ末路を辿ることになるはずだ。橋下に国政の経験がないことは決してマイナスではない。むしろ、国政の手垢にまみれていないという意味では、そこが魅力なのである。国政の手垢にまみれている政治家が国政を停滞させてきたことを民衆は承知しているのである。衆愚という言葉が当てはまるのは議会なのであって有権者ではないのである。
茂木健一郎ツイッターで早い段階から指摘していたように橋下は政治にイノベーションをもたらしたのである。政治家としての橋下は相当、右寄りの政治家であるが、有権者は橋下がもたらしたイノベーションが国政にも必要であると考えているのである。茂木の4月16日のツイートを紹介しておこう。

橋下氏は、政治の世界にイノベーションをもたらした。まずはそのスピード感。橋下氏のスピード感は、記者会見の会場にさっと現れて話し始める、そのリズムに表れている。今までの日本の政治家の、もったいぶってのろのろしている、どんよりとしたリズム感と一線を画す。

首相の野田佳彦自民党総裁谷垣禎一も確かに「もったいぶってのろのろしている」ようにしか有権者には見えなかった。二人ともどんよりとしていることにおいて甲乙つけ難しである。しかし、肝心なところでは重箱の隅をつつきあう。茂木のツイートはこう続く。

スピード感は本質的である。インターネット文明の中、ドッグイヤー、マウスイヤーと言われる中で、日本の旧来の官僚的停滞が目立ってきた。ぐずぐずしていて何もやらない。世界が疾走しているときに、重箱の隅をつついてああだこうだ言っている。そんな文化に橋下氏は決別している。

橋下氏の意思決定の方法も、従来の政治文化と一線を画している。日本では、地位が上がるほど口が重くなり、大した意思決定をしないのが通例。橋下氏は、迅速に意思決定する。そしてぶれない。この、議論を呼ぶテーマについてもぶれないという点が、橋下氏のもたらしたイノベーションである。

有権者郵政民営化選挙で「自民党をぶっ壊す」と言った小泉純一郎を支持して自民党に一票を投じたように「維新八策」で「この指とまれ」と国政に進出を決めた橋下徹の新党に一票を投じるはずだ。橋下を前にすると旧来の政治家は色あせて見えてしまうのである。再び茂木のツイートを引用しておこう。

まとめよう。橋下徹氏の個々の政策については賛成、反対があったとしても、その政治的手法におけるイノベーションは、画期的なものであると評価できる。橋下氏の政策決定プロセスを見た後では、与党、野党にかかわらず、旧来の政治家たちが色あせて見えるのは時代の趨勢だろう。

橋下を平和(逆に戦争でも良い)や人権(逆に差別でも良い)の論理をもって批判しても、橋下人気を支える無党派層は微動だにしまい。民衆は橋下の「未知」に一票を投じようとしているのである。その「未知」に民衆が不安感を感じないのは、橋下が本質的に「右」の政治家だからである。