「近いうち」に解散総選挙があるらしい。2009年の総選挙で政権交代を実現した民主党だが、「近いうち」に実施されるであろう解散総選挙でも政権交代が実現するだろう。民主党が大敗し、自民党へと政権が移行するのは、ほぼ間違いないところだ。新鮮味のない政権交代であり、むしろ自民党の政権復帰と言うべきだろう。自民党化した民主党ならば、自民党そのものに政権を担わせたほうが良いだろうという民衆の消極的な選択である。政治において敵から学ぶことはあり得ても(それは昔からの真理であるとレーニンは言った)、敵に同化してしまっては支持者を裏切るだけである。民主党は自民党に学ぶのではなく、消費増税法案を通じて自民党に同化してしまったのである。しかも、これまたレーニンを引用するならば「欠陥を意識することは、それをなかば以上訂正したに等しい」にもかかわらず、野田は欠陥を意識できなかったのである。
一方の自民党。現在、総裁は谷垣禎一だが、この総裁のもと解散総選挙となれば、谷垣が首相の座を射止めることになるのだろうが、最初から内閣支持率の低い政権となることは目に見えている。しかも、参議院の運営は現在の民主党政権よりも困難を極めることが予想されるから、谷垣政権もまた短命に終る確率が高いと私は見ている。党派にかかわらず、ほぼ一年おきに首相が交代するという落ち着きのない「政治」は克服されることなく踏襲されるということだ。少なくとも来年の参議院選挙を谷垣首相では勝てないという空気が自民党内で強まり、谷垣は退陣を余儀なくされるのではないだろうか。仮に参議院選を谷垣首相で戦ったとしても、総選挙のように大勝できずに終わり、その責任を取って退陣ということになるのではないか。衆議院と参議院で「ねじれ」が生じやすいのは、国民が自民党も民主党も、ともに信用していないからであろう。有権者の半分を占める無党派層は選挙によって、解散総選挙では自民党、来年の参院選では民主党、たまには「みんなの党」、比例では「国民の生活が第一」といったように投票先を巧妙に使い分けているのだ。民衆が政権を不安定にさせているのではない。これは権力を暴走させない民衆の知恵なのである。むしろ、民衆の知恵に応えようとしない職業政治家の「愚」こそ批判されて然るべきなのだ。
衆議選に小選挙区が導入され、政権交代可能な二大政党制の成立を後押しし、実際、民主党による政権交代が実現したわけだが、民主党が自民党化し、政党として液状化がはじまっていることや民主党に対する内閣不信任案をチラつかせながらの揺さぶりが腰砕けに終った谷垣禎一率いる自民党の頼りなさを考えると(谷垣は恐るべきことに加藤の乱から政治家として成長していなかった!)、大阪市長の橋下徹の大阪維新の会の全国版や小沢一郎の「国民の生活が第一」といった「わかりやすさ」を武器とした新党がそれなりのボリュームをもって第三極を形成する可能性は高い。「国民の生活が第一」の小沢一郎の狙いは第三極を結集するにあたって、減税日本や新党大地といった地域政党との連携を模索するに違いない。地方分権や脱原発といった一点をテーマにしての政権奪取を念頭に置いているのかもしれない。