noiehoieが呼びかけた意見広告と小沢新党

7月12日付毎日新聞16面に意見広告が掲載された。
「制度を改正するために個人を攻撃する必要はありません。」
ことの発端はツイッターでの呼びかけであった。お笑い芸人の母親が生活保護を不正に受給しているのではないかという女性週刊誌が報じたスクープを自民党の女性国会議員が「公然と個人名をあげて攻撃」し、これをテレビのワイドショーが面白おかしく取り上げ、厚生労働大臣生活保護水準の引き下げの検討を表明するまで話が膨れ上がっていったことに異和感を抱く「noiehoie」(「のいえほいえ」と読む)がツイッターフェイスブックというソーシャルメディアを駆使し、意見広告の掲載を呼びかけ、寄付を募っていたが、遂に実現したのである。9884のフォロワーを持つ「noiehoie」はツイッターでは「中島みゆきシーア派梶芽衣子原理主義者です」と自らを紹介している。
従来、この手の意見広告というのは「文化人」など、それなりに社会で名前の知れた連中が自己満足で活用するというケースが殆どであった。今回のようにたとえそれが自己満足であったとしても、無名の人々がソーシャルメディアを通じて賛同しあい、遂には全面広告を掲載するというケースは初めてのことだろう。毎週金曜日に首相官邸前に何万という無名の人々が集まる現象と同じである。私は「文化人」の自己満足には嫌悪感を抱くが、「noiehoie」の呼びかけに寄付で応じ、「「顔も名前もわからない仲間」が見知らぬあなたにどうしても伝えたいことがあってわずかなお金を持ち寄って、出しました」という文章で始まる意見広告を実現した無名の人々の自己満足には共鳴する。こういう自己満足であれば断固支持である。こういうところから民主主義は新しい一歩を踏み出すのである。

私たちは、社会保障制度について意見を異にするもの達が集まっています。右翼もいます。左翼もいます。リバタリアンリベラリストコミュニタリアンナショナリストもいます。様々な分野では意見を異にする私たちですが、「この困難な経済状況に暮らす我々にとって『命を守る最後の防波堤』である生活保護制度を、冷静で民主的な議論ぬきに、なし崩し的に変える動きは、どうしても許すわけにはいかない!」という一点で、想いを共にしています。今後、私たちは、生活保護制度のみならず、日本の未来を決める決断に、いくつも直面していくでしょう。その時は、感情論や、ののしりあいではなく、「冷めた目と温かい心」で、未来を選び取っていきたいのです。

ソーシャルメディア直接民主主義のツールとして機能したからこそ「政治信条」を軽々と越えて、「小さな声」の結晶体として、この意見広告が実現したのである。「noiehoie」が呼びかけた無名の人々による意見広告はわが国における「一揆」の伝統に連なるものであり、今やいたるところでソーシャルメディアを媒介としながら「一揆」が胎動しはじめたのではないだろうか。
民主主義が新しい一歩を踏み出したという意味では小沢一郎を代表とする新党「国民の生活が第一」が、党規約によって党議拘束を否定してしまったのである。国会での採決において党議拘束をかけ、本人の意志とはかかわりなく党の決定に従って一律の投票行動を課すのは近代政党にとって、これまで常識とされてきた。党議拘束に違反すれば所属政党から処分される。それほど党議拘束は重いものであった。
党議拘束が存在するということは政党が「民主集中制」を組織原理にしてきたということである。もっとも「民主集中制」を金科玉条としている政党は日本共産党であり、それゆえ日本共産党は「非民主的」に見えたが、政党というのは多かれ少なかれ、共産党と同じようなものであったのだ。その宿痾から解放する文字通り革命的な組織原理を小沢一郎が率いる「国民の生活が第一」という名の新党は導入してしまったのである。新聞は党議拘束を設けないという事実はあっさりと報道するにとどまった。

党規約では「各種採決で各自に判断を委ねる」として、法案の党議拘束をかけないことを規定した。 朝日新聞

朝日新聞はたったこれだけである。これに比べれば毎日新聞の方がマシか。

党規約には法案採決で党議拘束をかけないことを明記した。日本の政党では異例で、小沢氏は「国民の負託を受けた議員に判断を委ねることが政党政治の根幹だ」と説明した。

社説になると朝日新聞は日本の政党としては異例な組織原理を導入したことに一行も触れずに、「小沢新党―『人気取り』がにおう」というタイトルのもと例によって罵詈雑言のオンパレードであった。むろん、結論は「政治とカネ」である。

小沢氏は政治資金をめぐる刑事裁判の被告である。
一審判決は無罪だったが、国会や国民に対するいっさいの説明責任から逃げ続けている。
けじめをつけないまま、新党の党首として政治の表舞台に立つ。私たちはそもそも、そのことに同意することはできない。

朝日新聞からすると検察の「犯罪」は既になかったことにしているかのようである。朝日新聞論説委員は一度、関連会社で販売部長をつとめる人間に小沢裁判についてのレクチャーを受けたほうが良さそうである。毎日新聞にしても社説では党議拘束をかけないという党規約を導入したことについて、これまた一行も触れていない。論説委員が無能で政治学に無知なのか、それとも読者をバカにしているのかは知らない。ただ、こうは言えよう。ソーシャルメディアを介して無名の人々が結集し、毎日新聞という全国紙に意見広告を掲出する時代の意味を新聞社の論説委員や政治部記者たちはまるで理解していないのだと。論説委員や政治部記者たちに民主主義を前に進める気概など微塵にもないのだろう。残念ながら、これが日本のマスメディアの現状である。