安倍晋三「改憲が次期衆院選の争点」に大賛成な理由

少なくとも解散総選挙は来年の8月までに実施されることは間違いない。衆議院の任期は4年だからである。新聞の多くは消費増税法案が成立して以降、社説で早期の衆議院解散を求めている。昨日発表された野田内閣の改造人事について触れている今日の社説でも、その姿勢は変わらない。毎日新聞の社説のタイトルは「内閣改造 解散の覚悟が伝わらぬ」であったし、讀賣新聞の社説は「衆院選を控え、入閣を待望していた議員の処遇を図るとともに、これ以上の離党者を防ぎたいという「内向き」な姿勢の目立つ布陣である」と早期の解散は当然であるという認識のもとで書き出しているし、産経新聞の社説は次のように結ばれている。

首相は年内に解散を求める国民世論にも耳を傾け、決められない政治からの脱却を図ってほしい。居座りを決め込むことなど許されない。

解散総選挙の時期にかかわりなく、私が民主党に一票を投じることは二度となかろう。2009年の衆議院選挙でマニフェストには書かれていなかった消費増税を強行したということは、議会制民主主義の生命線とも言うべき手続きを無視したことにほかならず、そんな民主党解散総選挙で大敗することは間違いない。しかし、ではどの政党に投票すれば良いのだろうか。安倍晋三が総裁にカムバックした自民党か。単純な原発推進派は自民党に投票するのだろうが、私にとって自民党民主党同様に信頼できない政党である。党員・党友による地方票では過半数以上を獲得した候補が、国会議員だけによる決選投票で敗れるという先の自民党総裁選を見ればわかるように自民党が政権に復活したとしても、民主党と同じような政治をもっと権威主義的に繰り広げるだけだろう。
確かに弱小政党に一票を入れるという手はある。しかし、社民党に典型的なように全選挙区に候補者を立てるだけの体力もなければ人材もいない。つまり、私の選挙区に立候補するかどうかもわからない。日本共産党は違うといっても、この政党が過去を総括し、スターリン主義から決別を果たしていない以上、民主主義の存続にとって最も危険な存在であることに変わりはあるまい。だいたい志位和夫なる人物は何年委員長の座にいれば気が済むのだろうか。中国共産党のほうがまだマシなのではないかとさえ思ってしまう。確かに日本共産党を「山葵」と考えれば、比例では投票するという有権者もいるかもしれない。だから、政党として消滅しないで済んでいるのだろう。
民主党から離党した議員たちによって結成された「国民の生活が第一」はどうだろうか。党首の小沢一郎が民主主義の何たるかを骨の髄まで沁み込ませた政治家であることは理解できる。自立と自助を混乱させていないのは、さすがであるとも思っている。しかし、衆議院選挙においては100名規模の擁立がせいぜいであろう。当然、小沢のことだから何らかの形で連立を模索するだろうが、政策のどの部分で一致点を目指すのかで組み合わせが変わってくることも事実だろう。しかも連立の中心にはなれまい。
大阪市長橋下徹が率いる「日本維新の会」はどうか。確かに橋下のイデオロギーは相当に右巻きであることに間違いはないが、あくまでリアリズムに立脚した合理的判断や民主主義における手続き重視の姿勢は評価できる。橋下にポピュリズムであるとか、ファシズムを想起させるハシズムという言葉を投げつけるのは的外れであると思う。それでは橋下を批判したことにはならず、逆に自らの権威主義が橋下によって映し出されているようなものだろう。しかも、相当数の選挙区で立候補者の擁立を画策しているともいう。とはいえ、なのだ。今度の選挙で橋下自身は立候補しないらしいから、仮に「日本維新の会」が選挙で大勝したとしても、総理大臣に橋下が就任することはないということになる。誰かを総理候補に担がなければならないのだろうが、その総理が党首である橋下の言いなりになっていたのでは、統治機構よりも党が上位に立ってしまうというボリシェビズムと何ら変わらなくなることを橋下はどうように考えているのだろうか。北朝鮮の言い方をもじっていえば「先党後政」の危険性を孕んでいるのである。「日本維新の会」は、新聞報道を読む限り、そのくらい党首の権限が大きい政党である。また、個人的なことを言えば、私は大阪人権博物館に対する補助金を打ち切ろうとしている橋下をやはり支持できない。私にとって大阪人権博物館はとても好きな博物館のひとつなのだ!
残念ながら、私には一票を投ずるべき政党がないのである。このような思いを抱く有権者は私に限ったことではないと思う。では、どうすれば良いのか。現状からすれば政治に希望を抱けないことは確かだが、ここで絶望するわけにもいくまい。ファシズムスターリニズムの温床となるのが、政治に対する安易な希望であり、また絶望であることを忘れてはなるまい。では、私の一票をどうすれば良いのか。立候補者が抱くなり、政党が描く「世界認識」との近似値で私は私の一票の行く先を決めようと思う。9月30日付毎日新聞によれば自民党安倍晋三は「改憲が次期衆院選の争点」と考えているようだが、私はこれに大賛成である。憲法をどうするかは立候補者なり、政党の「世界観」や「世界認識」が如実に現れる。

自民党安倍晋三総裁は30日、京都府綾部市で講演し、憲法改正を次期衆院選の争点にする考えを示した。安倍氏は「まずは96条から始めたい」と述べ、憲法改正の発議に衆参各議院の3分の2以上の賛成と定めた憲法96条の改正に意欲を表明。「3分の1をちょっと超える国会議員が反対すればできない。そう思っているような横柄な国会議員には、次の選挙で退場してもらいたい」と語った。

既に自民党は「日本国憲法改正草案」を発表しており、安倍としては、これを実現するための第一歩が憲法96条の改正であるというわけだ。しかし、民主党も含めて他の政党は憲法について、どのように考えているのだろうか。現在の憲法のままで良いというのなら、自民党のように改正案を発表する必要はないだろうが、改正する必要があると考えるならば、改正草案を発表すべきである。民主党など、マニフェストを掲げても、もはや国民に信頼されることはないのだろうから、憲法を争点にするのは願ったり、叶ったりなのではないだろうか。私は民主党の「日本国憲法改正草案」を見てみたいし、同じく「国民の生活が第一」や「日本維新の会」の「日本国憲法改正草案」も見てみて、それぞれ比べてみたいと思う。もちろん、現状のままで良いという政党があっても良いだろう。もし現憲法よりも優れた草案を掲げる政党があれば、私はその党に一票を入れたいし、逆にどれもが現行の憲法よりも劣るような「世界観」しか提起できないのであれば、憲法改正の必要はないと主張する政党に一票を投じよう。
そういう「この国のかたち」を選択するような衆議院選挙だとワクワクするではないか。そのような選挙にするためには衆参同時選挙が間違いなくベストである。安倍さん!違いますか?