政局与太話―民主党政治の終焉の後に

2009年の総選挙で民主党が圧勝し、政権交代を実現するまで、1993年8月〜1994年6月まで1年にも満たない極めて短い期間に成立した細川連立政権、羽田連立政権という例外を別にすれば、ほぼ自民党による一党独裁と言って良い政治が延々と続いていた。首相が代わっても自民党一党独裁は再生産されつづけることで「安定した政治」を実現しつづけたという一面はあったにせよ、日本は21世紀に至るまで(発展途上国にありがちな)開発独裁から抜け出すことのできなかった珍しい先進国なのである。一時よく使われた「経済は一流、政治は二流」というフレーズも、こうした事情と無縁ではあるまい。確かに村山政権は日本社会党の委員長をトップに据えていたが、自民党との連立政権であり、村山総理を自民党が支えていたという意味では実態は自民党政権であったと言って良いだろう。そればかりか社会民主主義政党の日本社会党自民党と手を組んだことで、自らの崩壊を招きよせることになる。何故、自民党一党独裁が延々と続いたかと言えば、これはアメリカの占領政策、わけても農地解放を実施することで、自作農が飛躍的に増加し、この層が自民党一党独裁を支える岩盤となったのである。更に加えて言えば農地解放は農本主義「右翼」の土壌も解体してしまったのである。自民党アメリカの言いなりにならないはずがないのである。1945年の「敗戦」以降、わが国の「政治」をアメリカ抜きで語ることはできないのである。
しかし、イギリスの保守政治の擁護者であったジョン・アクトンが喝破したように専制的な権力は徹底的に腐敗するのである。自民党一党独裁によって維持され続けて来た「権力」は内実としていえば派閥が「党中党」の役割を果たしていたこともあって「専制的な権力」ではなかったかもしれない。しかし、特定の政党による「権力」の独占が政治に歪みをもたらさないはずはないのである。バブルが弾け、高度経済成長の夢から覚めたとき、私たちは政治の歪みを肌で感じることになる。高度経済成長によって一億総中流社会が実現されたが、経済のグローバル化とデジタル革命によって、壊されることになった。中流層の脱落がはじまり、格差社会が到来するが、そうした時代の変化にもかかわらず、政治は相も変わらず、国民から徴収した税金などのカネを無駄に浪費しているのではないか。その一方で社会保障は後退するばかりであった。主権者は自民党一党独裁による「土建」政治に疑問を感じはじめる。産業構造が転換したこともあって、道路やダム、ハコモノなどほの公共投資が必ずしも一票に繋がらなくなったのである。逆に厚生年金積立がハコモノの建設や株式運用に162兆円も投じているという現状に国民は愕然とさせられる。痛みは主権者たる国民に押し付け、政治家や官僚は未だに良い思いをしている、政権を担っている自民党にお灸をすえてやろうじゃないか、そんな国民の「感情」がマグマとなって自民党が長期にわたり政権を担ってきた政治を襲ったのが2009年の総選挙であった。民主党が選挙に際して掲げたマニフェストに「国民の生活が第一」とあったが、まさに国民は「国民の生活が第一」の政治を求めていた。マニフェストの冒頭に鳩山由紀夫名義で次のような文章が掲げられていた。

税金のムダづかいを徹底的になくし、国民生活の立て直しに使う。それが、民主党政権交代です。
命を大事にすることも、ムダづかいをなくすことも、当たり前のことかもしれません。
しかし、その「当たり前」が、壊れてしまっているのです。
母子家庭で、修学旅行にも高校にも行けない子どもたちがいる。病気になっても、病院に行けないお年寄りがいる。
全国で毎日、自らの命を絶つ方が100人以上もいる。
この現実を放置して、コンクリートの建物には巨額の税金を注ぎ込む。
一体、この国のどこに政治があるのでしょうか。
政治とは、政策や予算の優先順位を決めることです。私は、コンクリートではなく、人間を大事にする政治にしたい。
官僚任せではなく、国民の皆さんの目線で考えていきたい。
縦に結びつく利権社会ではなく、横につながり合う「きずな」の社会をつくりたい。
すべての人が、互いに役に立ち、居場所を見出すことのできる社会をつくりたいのです。
民主党は、「国民の生活が第一。」と考えます。その新しい優先順位に基づいて、すべての予算を組み替え、子育て・教育、年金・医療、地域主権、雇用・経済に、税金を集中的に使います。

「コンクリートから人へ」とか、「官僚丸投げ政治から政治家主導の政治へ」といった類の民主党のスローガンは自民党とは明らかに違った政治を予感させた。主権在「官」から、本来あるべき主権在民の政治へとチェンジする可能性を民主党マニフェストに国民は幻視したのである。その結果、民主党は総選挙に圧勝し、政権交代を実現し、鳩山政権が成立する。
本当に政治が変わるかもしれないと国民に期待させた鮮烈な光景が二つある。マニフェストを片手に官僚たちを前にした大臣が、これからはこのマニュフェストに従ってもらうと挨拶した光景も思い浮かぶが、鮮烈な光景は二つだったと私は思っている。ひとつは事業仕分け(行政刷新会議)であった。2010年度予算の概算要求から無駄を洗い出すべく「事業仕分け」が国民に公開の場で行われたことだ。9日間にわたり、449の事業を対象にそれぞれの事業ごとに官僚など関係者と仕分け人との間で必要か否かの議論をし、「廃止」、「縮減」などの判定が下される作業は9日間に及んだ。民主党の女性議員が官僚たちを小気味よく問い詰め、追い詰める光景はテレビの電波に乗って、国民の目に焼きついた。大新聞も舞い上がった。朝日新聞など2009年11月19日付の社説「事業仕分け 大なた効果を次につなげ」で「何より、全面公開で行われる事業仕分けは、霞が関の官僚の意識改革や納税者の参加意識の向上にもつながるに違いない。来年以降の予算編成にも、何らかの形で生かしてもらいたい」と絶賛していた。しかし、それは政治ショーにしか過ぎなかったことを私たちは思い知ることになる。いつのまにか112事業が官僚サイドによって骨抜きにされてしまった。16・8兆円の無駄を摘出する目標だったはずが、実際に削減されたのは1兆3000億円に過ぎなかった。民主党は国民に対して「見える政治」を実現したのではなく、官僚が民主党のために用意した「見世物」を国民に提供するだけにとどまってしまった。民主党の「事業仕分け」に対する熱意も、国民の「事業仕分け」に対する期待もあっという間に萎んでいった。税金の無駄使いは根絶されなかったのである。
それどころか、東日本大震災の新たな増税によって捻出した復興予算のなかに被災地の復旧・復興に直接、役立つとは言いがたい事業が数多く含まれていることがNHKの番組を皮切りにして次々と明らかになっている。NHKによれば岐阜県コンタクトレンズの工場や沖縄の防災道路にも、この予算が当てられているというし、朝日新聞によれば「調査捕鯨や青少年の交流事業に投じられ」ているし、全国の官庁施設約100カ所の耐震補強などにも使われているという。河野太郎のブログhttp://www.taro.org/gomame/によればODA予算にまで「流用」されているとのことだ。

復興予算の流用にはほとんど全ての役所がかかわっている。
外務省も例外ではない。
ODAに必要な機材等の調達を被災地から行うというのが言い訳だが、調達先のリストを見てみると、トヨタコマツ日本製紙富士フイルムオリンパス日立工機住友建機日立建機凸版印刷などの名前がずらり。

それらの事業の総てが無駄だとは言うまい。しかし、増税を納得し、納税の義務を果たしている国民からすれば、被災地の復旧・復興のために使われると誰もが思っていたことは間違いない。被災地に予算がだぶついているのならまだしも、事態はその全く逆であるにもかかわらず、官僚の巧みな作文によって被災地以外でも予算を使えるようにしてしまうようなヤリクチこそ根絶されるものと信じて国民は民主党に政権を託したというのが政権交代の原点ではなかったのか。その一方で、マニフェストには記載されていなかった消費増税を強行してしまうのだから、民主党による政権交代は国民にとって「裏切られた革命」だったというほかあるまい。消費増税にしても社会保障のためにのみ使われるかは、復興予算の使い方を見ている限り、疑問符をつけざるを得まい。「大きなことをいうときには、注意しなければならない」と言ったのはレーニンだが、民主党は少しも注意することなく大きなことを言っては、それが実現できずに国民の顰蹙を買うばかりではないか。ちなみに、レーニンは「偉大な行いにそうした言葉を当てはめることは途方もなく困難なのだ」と続けるのだけれど。
今ひとつ印象に残っているのは、1971年に日本とアメリカが沖縄返還協定を締結するにあたって密約が存在したことを認めたことである。政権交代で外相に就任した岡田克也は情報公開の一環として、外務省に沖縄密約関連文書を調査の上で公開するよう命じ、これにより設置された調査委員会が2010年3月、密約が存在していたことを認めた。自民党政権が密約の存在を全く認めて来なかったのと対照的な光景であり、政権交代により、政治がこれまで以上に民衆に開かれるであろうことをこれまた予感させた。民主主義とは「開かれた政治」によって「開かれた社会」を実現することにほかならないが、政治のディスクロージャーが進まなかったのは、政権交代がなかったことに起因することをこの一件で私たちは痛感した。しかし、民主党の政治がこのまま開かれ続けたかと言えば「否」である。東日本大震災によって引き起こされた史上最悪の人災と言って良い福島第一原発の爆発も含む過酷事故に際して、当時の菅政権は国民に対して公開すべき情報を充分に公開しなかった。非常事態においてこそ、どれだけ民衆に開かれているかによって民主主義の成熟度が問われているにもかかわらず、政府は「開かれた政治」をもって国民を信頼しなかった。菅政権が選択したのは「公開」ではなく「隠蔽」であった。放射線物質の拡散に関する情報公開は充分ではなく、福島の多くの人々に政府の対応次第では避けられた被曝をさせてしまった。
民主党政権交代で実現するかに思われた「見える政治」は、沖縄の普天間基地移転問題で鳩山内閣がつぶれると、菅内閣を経て野田内閣に至る今日まで後退に次ぐ後退を重ねてしまった。政治は民衆から乖離するばかりである。民主党はあっという間に小自民党に転落してしまったのである。自民党度を比較するならば本家の自民党民主党に勝るのは言うまでもあるまい。しかし、ここで私たちは慎重に考えなければなるまい。先に行われた自民党総裁選に立候補した候補者は北朝鮮でもあるまいに全員が世襲議員であったということだ。そもそも沖縄の基地問題にしても、過度な原子力推進にしても、主権在官の政治にしても、選挙における信任を口実にして「世襲」してしまう政治家ばかりではないのか、自民党は!だいいち「選挙における信任」を得ていると胸を張ったところで、全国民から信任を得ているわけではない。自民党総裁安倍晋三でいえば祖父の岸信介、父の安倍晋太郎から引き継いだ地盤から信任を得ているに過ぎないのである。私は野田佳彦の選挙区に住んでいるが、私の一票は、安倍の選挙区の一票に比べて憲法違反にならない程度であったとしても、はるかに軽いことは調べるまでもないことである。私が住む大都市部の選挙区であったならば安倍のような世襲は、ほぼ不可能に近いのではないだろうか。民主主義は最高の政治制度であっても、完璧な政治制度でないことは、こういうところに見て取れるというものである。本来であれば、世襲政治を防ぐために政党が何らかの手を打つべきだが、自民党にはできなかったのである。実は―これもレーニンをもじりながら言おう、自民党は野党として自分の病気を徹底的につきとめ、容赦のない診断を下すとともに、その治療法を見つけ出す勇気がなかったのである。そのような政党に「これからの民主主義」が担えるとは私には残念ながら思えないのだ。そう簡単に私は民主党から自民党への政権交代を認めたくはないのである。私のように考える有権者は決して少なくないはずである。衆議院において「第三極」が相当数の議席を獲得する可能性は大である。