今年の12月は寒い。懐具合も寒い。何も私ばかりではあるまい。中流が崩壊し、格差が広がり、貧困が蔓延するなか、私の懐具合など、まだ恵まれていると言えそうだ。取り敢えず、月給が保証された立場に私はいる。当然、民衆が政治に期待するのは、不況から脱出するための経済政策である。むろん、政権復帰を果たした自民党も、多くの有権者が自民党の経済政策に期待して一票を投じたことを自覚しているだろう。民主党政治に失望しただけであれば、自民党がここまで選挙に圧勝することはなかったはずである。一票を放棄しなかった有権者は決して消極的に自民党を支持したのではない。自民党であれば景気を回復してくれるという期待が自民党を積極的に選択させたのである。日本経済新聞が12月17日付社説で指摘したような民主党に対する「懲罰投票」ではなかったのである。その辺りが大新聞の世論調査の結果とは関わりなく、有権者の本音の最大公約数ではないのだろうか。多くの有権者にとって自民党は経済の党として認識されているに違いない。
「敗戦」日本を復興し、高度成長を実現したのは日本型ケインズ主義に依って立った自民党政権であるし、自民党を壊す覚悟で日本型ケインズ主義と決別し、日本型新自由主義を導入したのも小泉純一郎が率いた自民党であった。小泉は自民党を壊す覚悟で構造改革に取り組み、その結果、弱肉強食の格差社会が生まれた。いずれにせよ、自民党は結党以来、一貫して経済の党であったのである。だから、党の綱領に憲法改正(自主憲法の制定)を党是として掲げていたにもかかわらず、これを実行しようとしなかったのである。憲法改正には国会議員の三分の二の賛成が必要だというハードルの高さが、これまで憲法改正を実現できなかったのではない。憲法改正を選挙の争点にして、下手に有権者の反発を招くよりも、経済の党に特化することが選挙に有利だと判断し続けていたのだろう。憲法改正の努力すら放棄して自民党は経済の党に特化していったのである。
総選挙では憲法改正を声高に唱えた自民党総裁の安倍晋三であったが、内閣総理大臣に就任することで最初に取り組むのは憲法改正ではなく、「アベノミクス」と呼ばれるデフレ解消を目的とした経済政策ということになるようだ。憲法改正は景気の回復を待ってという算段なのだろう。さすがに憲法改正が景気回復に繋がるとまでは強弁できないに違いあるまい。
「アベノミクス」は金融と財政のアクセルを惜しみなく一気に踏み込むマクロ経済政策である。金融面から見ればリフレ(リフレーション)政策であるといって良いだろう。要するに政府が大量の建設国債を発行し、これを日本銀行に購入させることで市場に大量のマネーを供給する(金融緩和である)ことで、意識的に(神の見えざる手に逆らって)インフレを引き起こし、デフレから脱却しようというわけだ。インフレを引き起こせば、確かにデフレは解消されるが、2〜3%程度の緩やかな、想定する範囲内のインフレでなければ、リフレは逆に経済的な混乱を引き起こしてしまう。しかも、その混乱は壊滅的である。ハイパーインフレだ。こうした事態を避けるためにインフレ率の目標を定める。これがインフレターゲットである。
政府が日銀に売りつけるのが建設国債だというところがミソであろう。これが国債であったならば、海外にマネーが流出してしまい国債が暴落してしまう危険性があるが、建設国債であれば、総ては自民党が総選挙で公約として掲げた「国土強靭化」のための公共事業に使われるから、投資も引き出せるし、雇用も創出できるという絵図を「アベノミクス」は描いている。しかし、金利や物価が上がっても、給料が上がるという保証はない。確実なのは国の借金がそれでなくとも膨大なのに更に増えるということである。人口が減少することを踏まえれば国民一人当たりの借金が「アベノミクス」で跳ね上がることだけは間違いあるまい。しかも、グローバル化した市場が建設国債と国債は違うものだと素直に判断してくれるとは限るまい。私がガイジンであれば建設国債といえども国債にほかならないと考え、日本売りを敢行するかもしれない。だいたい中央銀行たる日銀を政府の借金引き受け銀行として位置づけるような国家は国際的に信任されるはずもないではないか。そもそもインフレがターゲットの範囲内に収まってくれると誰が保証できるだろうか。「アベノミクス」が狙い通り成功するとは限らないのだ。逆に「アベノミクス」が日本のギリシア化の撃鉄を引く可能性もあるということも忘れてはなるまい。次なる政権交代は「アベノミクス」のツケを支払う役割を担うのかもしれない。再び消費増税という形で。「アベノミクス」は消費税20%を必然化する経済政策であるやもしれないということである。
経済学がどんなに科学としての精度を高めようが、せいぜい例外だらけの理論モデルを組み立てられるだけであろう。自民党が選挙で圧勝し、円安・株高が進んでいるが、こんな現象は実体経済とは何の関係もないバブルにしか過ぎまい。大型の補正予算を組んで、財政のアクセルを踏んだとて、「成長」や「発展」に繋がらないことを証明したのが麻生太郎政権であったことをこうも簡単に忘れてしまって良いものなのだろうか。
有権者が自民党という経済の党に期待しているのは雇用の創出と自らの懐が少しでも暖まることである。「日本は1997年以降、主要先進国で唯一、賃金の低下傾向を続ける国」(東京新聞12月12日社説)なのである。実は自民党の経済政策に期待している有権者もわかっているのである、それほど簡単に経済が好転しないことを。政治がなすべき経済政策が国民との「痛み」の共有なのである。政治自らが身を切り、血を流し、行政改革を断行できるかどうかなのである。自民党圧勝という文脈で日本維新の会やみんなの党が議席を伸ばしたことの意味を考えれば、そういうことになる。