ザ・ビートルズがレコードデビュー50年!
ビートルズがレコードデビューして50年になるそうだ。1962年10月5日に「ラヴ・ミードゥ」を発売する。50年という時間の堆積を理解するにあたって1962年の50年前にあたる1912年を想像してみよう。1912年は日本で言えば明治天皇が亡くなり、乃木希典が殉死した年だ、中国では辛亥革命で清朝が滅亡した年だ、アメリカではニューメキシコやアリゾナが新たな州となっている。そうか、映画は未だサイレントの時代である。50年はそのくらいの厚みを持った時間である。1962年にはiTunesはなかったものな。「ラヴ・ミードゥ」はジョン・レノンのハーモニカが印象的な曲だ。ハーモニカがロックンロールしているとは、確かジョン・レノン自身の言葉である。
Love, love me do
You know I love you
I'll always be true
So please love me do
Wo ho, love me do
日本語に歌詞を訳せば「愛して、愛してくれよ/わかっているよね、愛しているのは/僕は本気だよ/だから、どうか愛しておくれ/愛しておくれ」ということになろうか。作詞作曲はジョン・レノンとポール・マッカートニーの共作である。ビートルズナンバーは213曲あるというが、二人による共作は161曲に及ぶ。ビートルズがイギリスばかりではなく、ロックンロールの本場であるアメリカを皮切りにそれこそ全世界を席巻したのは、ビートルズのロックがリズムだけでもなく、またメロディラインだけでもなく、リズムとメロディがボーカルを生かすべく見事に融合していたことにある。このことが何を意味するかといえば、ビートルズのロックはアメリカのロックンロールがそうであったようにブルースをその基盤に置いていなかったということではないのだろうか。こうも言える。ローリング・ストーンズが黒っぽいのに対して、ビートルズは少しも黒っぽくない。ビートルズのロックンロールはアメリカを欠如していたのである。ビートルズがアメリカを欠如させていたことがビートルズがアメリカを席巻する原動力にもなったし、より俯瞰して言えばロックが世界音楽となる第一歩はビートルズによって刻まれたのである。
残念ながら、私は初期のビートルズを同時代に経験しているわけではない。私がロックに関心を持ち始めたのは1968年頃であった。それも主体的なものではなかった。姉が聞いていたから、私も聞いていたという感じだろうか。姉の買って来たローリング・ストーンズの「夜をぶっとばせ」が私をロックの世界に誘ったこともあって、実を言えば私はビートルズを嫌いではなかったが、その甘ったるさがどうしても好きになれなかった。むろん、その甘ったるさが労働者階級だけではなく中流階級をも魅了することになるのだが。ビートルズは下品さが魅力のエルビスを「田舎のプレスリー」に追いやったのである。そうした歴史的な価値は承知しているし、その音楽性を否定するつもりはないのだが、やはりビートルズは好きになれなかった。
実はジョン・レノンもビートルズが好きになれなかったようだ。ジョン・レノンはビートルズ解散後にイエスも、ブッダも、ビートルズも「嘘っぱち」だと歌った。ジョン・レノンの「ゴッド」は最後に「ビートルズなんて信じられない」(I don't believe in Beatles)というフレーズで終わる。もっとも、だからといって私は独立してからのジョン・レノンが好きであったかというと、これまた必ずしも好きではなかった。その左翼性が鼻持ちならなかったと言えば良いだろう。その点、ローリング・ストーンズには左翼性の欠片もなかった。ビートルズは、就中、ジョン・レノンは「世界」をベルトから上の理性で捉えたのに対して、ローリング・ストーンズは「世界」をベルトから下の感性で捉えているように私には思えてならない。ビートルズの「レボリューション」とローリング・ストーンズの「ストリートファイティングマン」の違いと言えば良いのだろうか。ビートルズの「レボリューション」は世界は変えたいけれど破壊はゴメンだという非暴力主義を階級性を超えて一貫させているが、ローリング・ストーンズの「ストリートファイティングマン」は貧しい少年にはロックンロールを叫ぶしかないのだと階級性にこだわり「王殺し」さえ予言してしまうという不吉な歌詞に彩られている。敢えて断言するのであればビートルズを支えているのは内省的なidealismであり、ローリング・ストーンズを支えているのは煽動的なmaterialismなのである。ジョン・レノンがビートルズと決別し(ビートルズから解放されて)、オノ・ヨーコとベッドインしたところで、「イマジン」に国家を告発する理性を察知できても、ベルトから下の躍動を感じることが私にはできない。「パワー・トゥ・ザ・ピープル」に汗や精液の臭いはどこにもない。洗練された先進資本主義国家に相応しい革命歌にしか過ぎないのである、私からすれば!
そうは言っても、私はビートルズを好きになれないというだけで、決して嫌いなわけではない。一定の年齢に達してから遅まきながらアルバムも買ったものである。「一定の年齢」とは青春を感傷的に懐かしめるようになった年齢と言えば良いだろうか。ビートルズの音楽がすんなりと入って来るようになったのである。特に初期マルクスならぬ初期ビートルズは耳にとても心地よかった。「プリーズ・プリーズ・ミー」のジョン・レノンのヴォーカルも、「P.S.アイ・ラヴ・ユー」のポール・マッカートニーのヴォーカルも、私の10代における、いくつかの場面を呼び覚まし、私の胸をキュンとさせたものである。初期ビートルズの特徴は「やりたい」ではなく、「好きだ」というidealismに支えられたピュアな「青春ロック」であるという点だ。もし「プリーズ・プリーズ・ミー」がミック・ジャガーとキース・リチャーズの共作として創造されたならば「好きだ」ではなく、必ずや「やりたい」という毒気を孕んだロックになっていたであろう。初期ビートルズとは『ヘルプ』までだろう。「プリーズ・プリーズ・ミー」は、こう歌い出される。
Last night I said these words to my girl
I know you never even try, girl
Come on, come on, come on, come on
Please please me, woh yeah
Like I please you
「P.S.アイ・ラヴ・ユー」にしても「君にこの手紙を書いて愛を送ろう」と歌いだされている。とてもプラトニックな設定なのである。
As I write this letter send my love to you
Remember that I''ll always be in love with you
Treasure these few words till we're together
Keep all my love forever
P.S. I love you, you, you, you
大量生産と大量消費を両輪とする工業化社会における健全な青春を反映しているという意味では1962年に日本で大ヒットした橋幸夫と吉永小百合のデュエットによる「いつでも夢を」(作曲が吉田正、作詞が佐伯孝夫である)と初期ビートルズの「青春ロック」の間に横たわる距離は私の独断からすれば意外にも近いのである。
星よりひそかに 雨よりやさしく
あの娘はいつも 歌ってる
声が聞こえる 淋しい胸に
涙に濡れた この胸に
言っているいる お持ちなさいな
いつでも夢を いつでも夢を
星よりひそかに 雨よりやさしく
あの娘はいつも 歌ってる
工業化社会の特徴は画一的なところにあるが、若者たちは恋愛に画一的でない自由な世界を幻視したのである。もっとも、それはあくまでも主観的なことであって、外から見れば恋愛もまた画一的であったのだけれど。そのことにビートルズは気がつき、そこから離脱を開始する。青春のラブソングに過ぎなかったロックが深みを増し、陰翳を帯びてゆく。こうして生まれたのがアルバムで言えば『ラバーソウル』や『リボルバー』であり、ロックを通じた世界認識が遂にアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を生み出す。この『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』あたりをidealismに足元をすくわれているとみるかどうかでビートルズに対する評価もわかれるだろうし、ロックに対する好みの違いも出て来ることになるのではないだろうか。
ビートルズの解散はポール・マッカートニーが脱退を表明した1970年4月である。ビートルズはレコード・デビューしてから8年にも満たない短い期間しか活動していないのである。これだけの短期間にあれだけの楽曲(213曲になるらしい)を世に送り出したという一事をもってしても、ビートルズの偉大さがわかるというものである。
私はビートルズを心地よく聞けるようになったし、ビートルズは偉大だと素直に認めることもできるようになった。しかし、何故かはわからないが、未だに好きにはなれない。ビートルズか、ローリング・ストーンズかと問われれば今もローリング・ストーンズだと即答できる。ローリング・ストーンズは「右」でもなく、「左」でもないけれどアナーキーであり、ラジカルであり、何よりもスキャンダラスなのである。私にとってビートルズが丸山真男であるのに対し、ローリング・ストーンズは吉本隆明であったということだ。ローリング・ストーンズも結成50年である。