ツイッター記者について私が知っている二、三の事柄part4

記者という仕事にプロフェッショナリズムが求められているのだとすれば、記者に何よりも問われているのはアマチュアリズムである。しかし、得てして新聞記者の場合、プロフェッショナリズムに行ったきりになってしまい、アマチャアリズムに戻って来る道筋を自ら断っているとしか思えないような特権性に依拠した記事を紙面に氾濫させているとしか思えないことが私の読者としての経験からすれば多いように思える。新聞というマスメディアが「国家のイデオロギー装置」の役割を「組織」として担って来たことに起因しているのだろう。しかし、「組織」に回収されない「個」があっても良いはずである。「組織」に抵抗する「個」こそがジャーナリズムを担うべきなのだ。新聞の紙面にジャーナリズムの亀裂を入れるのは抵抗する「個」であり、そうした「個」は絶えず自ら手にするペンの胎内にアマチュアリズムを自覚的に繰り込むべきだと私は思っている。そのためのツールが例えばツイッターなのではないだろうか。組織に単に奉仕するためのツールがツイッターなのではあるまい。そういう意味では新聞が新聞としてあり続けるために、即ち「国家のイデオロギー装置」としての役割を担い続けるためにツイッターを禁止することは新聞社の経営として正しい判断なのかもしれない。もっとも私が期待してやまないのは、ツイッター記者の紙面における「叛乱」である。ジャーナリズムは「叛乱」にあり、だ。
しかし、現実には多くの新聞で「叛乱」は抑圧されていると言って良いだろう。小沢一郎党員資格停止処分解除や指定弁護士による控訴にかかわる社説を読めば一目瞭然である。

民主党が、無罪判決を受けた小沢一郎元代表党員資格停止処分を10日付で解除する。
いかにも、民主党らしい対応ではないか。やるべきことと、実際にやることが違うのだ。
国会では、ようやく消費増税など重要法案の審議が始まる。いまは挙党一致が最優先だ、と輿石東幹事長はいう。
そうだとしても、小沢氏は国会、国民への説明責任を果たしていない。なぜ、野田首相はそれを黙認するのか。

5月10日付朝日新聞の社説「民主党の責任―「小沢案」で政治浄化を」である。確かに「民主党らしい」のは「やるべきこと」と「実際にやること」が乖離していることだが、それは「マニュフェスト」を一顧だにしないことにおいてであり、小沢一郎党員資格停止処分を解除したことにおいてではない。そもそも小沢一郎に説明責任を果たしていないというが、小沢が何をどう説明すれば説明責任を果たしたことになるのか。小沢裁判のこれまでの経過に沿って説明してもらいたいものである。朝日新聞ばかりではない。全国紙の社説はどこも似たりよったりであった。

小沢氏には、陸山会事件で元秘書3人に有罪判決が出たことなど「政治とカネの問題」について国会で説明責任を果たすという課題も残っている。5月9日付読売新聞社説「小沢氏処分解除 『消費税』反対なら離党が筋だ」

小沢一郎という政治家に対して新聞は条件反射的に「政治とカネ」という言葉を投げつけるけれど、小沢一郎に贈収賄につながるような疑義が何かあるとでも言うのだろうか。そんな事実がないから「政治とカネ」という言葉に飛びついたのではないのか。毎日新聞の5月10日付社説「元代表裁判控訴 市民感覚踏まえた判断」に至っては、今回の指定弁護士の控訴市民感覚を踏まえた判断ということになるのだが、どこが市民感覚を踏まえているのだろうか。指定弁護士による控訴によって、この裁判の「暗黒裁判」的な側面がますます浮かび上がっただけではないのか。

指定弁護士はこれを不服として控訴し、会見で「看過しがたい事実誤認があり、指定弁護士の職責を果たすのは控訴することと判断した」と理由を述べた。市民からなる検察審査会は、法廷という公開の場で刑事責任を明らかにすることを望み強制起訴を決めた。その意思もくんだということだろう。

戦前の斎藤実内閣の倒閣を目的としてデッチ上げたとしか考えられない帝人事件のときと同じように今も全国紙は検察という権力のイデオロギー装置の役割を果たしているのである。小沢一郎控訴で問われるべきは検察という権力のあり方そのものであり、小沢一郎の「説明責任」なんぞではないはずだ。この点で及第点を与えられるのは東京新聞の社説程度であった。

新しい検察審制度で、小沢元代表が強制起訴されたのは、市民が「白か黒かを法廷で決着させたい」という結果だった。政治資金規正法違反の罪に問われたものの、一審判決は「故意や共謀は認められない」と判断している。
つまり、「白」という決着はすでについているわけだ。検察が起訴する場合でも、一審が無罪なら、基本的に控訴すべきではないという考え方が法曹界にある。国家権力が強大な捜査権限をフルに用いて、有罪を証明できないならば、それ以上の権力行使は抑制するべきだという思想からだ。
とくに小沢元代表の場合は、特捜検察が一人の政治家を長期間にわたり追い回し、起訴できなかった異様な事件である。ゼネコンからの巨額な闇献金を疑ったためだが、不発に終わった。見立て捜査そのものに政治的意図があったと勘繰られてもやむを得ない。 東京新聞5月10日付社説「小沢元代表控訴 一審尊重へ制度改正を」

朝日、読売、毎日からすれば小沢一郎の「人権」などどうでも良いのだろう。全国紙は単に小沢一郎が嫌いなだけなのだろう。次のような琉球新報の人権観はカケラも持ち合わせていないのだ。

強制起訴制度は、司法に国民の常識を反映させる目的で、2009年の裁判員制度のスタートと同時に導入された。開かれた司法を目指す制度改革の趣旨からしても、国民感情という「民意」を盾に、被疑者の人権がないがしろにされることがあってはならない。それは好き嫌いに関わらず、小沢氏にも当然、当てはまるはずだ。琉球新報5月11日付社説「小沢氏裁判控訴 法廷を政争の具にするな」

朝日、読売、毎日のように大きくない、東京新聞琉球新報においては抑圧の度合が弱いということなのかもしれない。これまた戦前と全く同じである。桐生悠々の「関東防空大演習を嗤ふ」は信濃毎日新聞の社説であった。もっとも、この社説を書いたことで桐生悠々は退社せざるを得なくなるのだが、ツイッター記者が目指すべきは緒方竹虎ではなく桐生悠々であることは言うまでもなかろう。
「ベンジャミン」は「新聞社社畜」にして「元記者」であるという。こういう自虐は「新聞ムラ」でしか通用しないと思うのだが、映画のセンスなどは悪くないようだ。プロフィールにはこうある。

ベソジャミソ
@k_rantei
新聞社社畜/元記者/好きな映画「モスクワは涙を信じない」「幻の市街戦」「恋する惑星」/RTは賛同しているとは限りません/議論はしません/ツイートは所属する組織とは関係ありません/あまり有益なことはつぶやきません/メンションへの反応は遅いです。
本州

匿名であるにもかかわらず「ツイートは所属する組織とは関係ありません」という一文を織り込んでいるのは、現役のツイッター記者に対する皮肉というよりも自虐であり、屈折であろう。次のようなツイートも「ベンジャミン」の自虐趣味によるものだろう。

どんなにいいものを作っても、売る力が小さいとものは売れない。残念ながら、いいものだから自然に売れる、というハッピーな世の中ではない。 5月13日

次のようなツイートは屈折を表象する。

私の場合、死刑廃止反戦外国人差別反対も、死刑賛成や戦争大好きや差別大好きな人たちへの嫌悪感が出発点なので、もし連中がこの世から一掃されたり完全に劣勢になったときにも自分の思想を貫いていけるかと考えると、実は自信がない。まあ、そういう自覚はしておかないといけないと思っている。 5月12日

思想なんてないのであれば黙っていれば良いとも思うのだが、それでもこう言ってしまうのは新聞(記者)の特権性に甘えているからだろう。「死刑賛成や戦争大好きや差別大好きな人たちへの嫌悪感」に出発点を置く「死刑廃止反戦外国人差別反対」がインチキなのは言うまでもあるまい。というよりも、コイツはまるで素直じゃねえんだよな。
次のようにプロフィールを書いている「Akuzawa Etsuko」は朝日新聞の阿久沢悦子記者であろう。

Akuzawa Etsuko
@omugikomugi
在阪の新聞記者です。 有益なことはあまりつぶやきません。個人として、つぶやいているので、会社や組織とは意見を異にすることがあります。 好きな映画のつぶやきは@uraomugikomugiへ。
神戸市東灘区 · http://comugi.cc

そのツイートから「Akuzawa Etsuko」が少数者や弱者の視点を持っていることはうかがえる。例えば、こんな具合である。

自分がシングルになって初めて、自分の書いてきた育児関連の記事が、「夫婦そろって子育て」を前提としていたことに気づく。もちろんマスメディアだから、多数に照準を合わせるのは必定なんだけど、それにしても少数者がどう受け止めるか見えてなかったな。反省。 4月23日

「Akuzawa Etsuko」は「君が代」「日の丸」問題でも「40秒の攻防」として記事を書いているが、そんな彼女が小沢一郎裁判をどう考えているか、そういうツイートを私は読んでみたい。
「YOKOTA Kazuhiko」は大阪在住の整理記者。

YOKOTA Kazuhiko
@yokotakazuhiko
大阪在住。新聞社の整理記者です。外回り5年、内勤15年。いまは地域版の紙面編集を担当。変化は地域から現れます / subeditor in newspaper.I'm involved in the edit of regional editions.
OSAKA,JAPAN · http://twilog.org/yokotakazuhiko

朝日新聞の記事の紹介が多いから、恐らく朝日新聞の整理記者なのではないかと思う。

自分の考えと相容れなかったり関心がなかったりする言説はなかなか見えなかったり、見えていても頭に入ってこないのでしょう。同じように橋下さんの支持者の中には、橋下さんの乱暴なところが見えなかったり頭に入ってこない人もいらっしゃるようです。

5月12日のツイートだが、これは次のような大阪市長である橋下徹に対する返信である。

昨日の記者会見も2時間やりました。毎日朝夕も囲みをやっています。http://bit.ly/Kgwj7K市の重要な会議も全てフルオープン。ツイッターでも僕の考えを述べています。にもかかわらず、エセインテリは橋下の考えていること、国家観が分からないって。

斗ヶ沢秀俊は小川一と同期の毎日新聞記者である。

斗ヶ沢秀俊
@hidetoga
北海道出身。毎日新聞水と緑の地球環境本部で、MOTTAINAIキャンペーンや植樹、富士山清掃活動などに取り組んでいます。長く科学記者をしていました。ただし、ここでは会社とは関係しない、個人のつぶやきを書いています。

原発に対するスタンスは私とは違うものの核燃料サイクルや低線量被曝では私とほぼ同じ考え方であるようだ。

私が「常識」を判断手法の一つに挙げたのは、例えば、福島県の平均的な子どもよりも私の子ども時代の方がセシウム内部被ばく量が多い(大気圏内核実験のためです)のだから、福島で重大な健康影響は出ないはずだという判断、評価ができるということです。4月24日

脱原発・反原発の言説に私が信用をおけない理由のひとつが低線量被曝に関して、あまりにも非科学的なイデオロギーが罷り通っているからである。その点、斗ヶ沢は長く科学記者をつとめていただけあって、そうした妄言は一切吐かない。

過去にもツイートしてきましたが、私は「直線閾値なし仮説」を尊重しています。「直線」かどうかは分かりませんが、「閾値なし」は正しいと考えます。しかし、10ミリ、20ミリシーベルトのレベルで、健康影響が確認されることはないと思います。5月8日

異議なし、である。更に一歩踏み込んで言うのであれば、私はホルミシス効果も否定できないと考えている。

それは(ご存じとは思いますが)、喫煙や肥満、野菜不足、運動不足などの他の発がん要因に比べて、低線量被曝のリスクは極めて低いため、統計的に検出することができないということです。5月8日

世界の高線量地域での調査で、周辺に比べて高いがん発生率を示す地域がないこと、東日本よりも全体に放射線量が高い西日本で、東日本よりも高いがん発生率が確認されないことなどを考えると、「低線量被曝によるがん過剰死は、ないか、あっても極めて小さい」と思います。5月8日

こういう認識に対して「御用学者」とか「原子力ムラ」がどうしたとか囀る輩は自らがマッカーシズムのお先棒を担いでいるということを思い知るべきであろう。そんな脱原発も反原発も国家権力からすれば痛くも痒くもないのである。もう一点、斗ヶ沢を評価できるのは「個」の覚悟も持ち合わせていることである。4月21日、@hidetogaで次のようなツイートがあった。

今日の毎日新聞福島版に「放射能から子どもを守ろう」という記事があり、いわき市ので講演の内容が紹介されています。「年間被ばく線量が1ミリシーベルト以下だといって『安全』はありえない。妊婦は白血病のリスクが高いため、県外に逃れることを勧める」と強調したとの記事

講演内容はそうだったのかもしれませんが、これは、きちんと検証されていることなのかなと思いました。これを読んだ妊婦さんの気持ちを思いました。

これに対して斗ヶ沢秀俊は4月23日に次のようなツイートで応じたのである。

全くご指摘の通りです。福島県にお住まいの妊婦に申し訳ないです。

講演者が言ったことを書いたのだから、誰も記者や新聞社を責めることはできません。しかし、本当はそうではなく、特にこうした論争を呼んでいるケースでは、誰がどう言ったということは発言内容の正確さや是非まで検討して記事にしなければなりません。

ベラルーシ科学アカデミー主任研究員の「妊婦は白血病のリスクが高いため、県外に逃れることを勧める」という見解には、正当な根拠となるデータはありません。白血病増加のデータはなく、福島県の妊婦が避難すべき理由はありません。

こういう記事が掲載されたことは、毎日新聞社員として、とても残念です。私は休日はツイッターをしませんので、返事が遅くなりました。

「個人」の資格としてツイッターを利用するとは、こういうことなのである。
次のような竹内誠のツイートにも深く同意したい。

組織に属する新聞記者にも立派なジャーナリストはたくさんいる。フリーのジャーナリストにも、クズはいる

竹内誠のプロフィールにはこうある。

竹内誠
@writermako
高知新聞社会部デスク。44歳。記者人生の大半が警察担当。 大学時代は東京で過ごすも朝の満員電車に耐えられず帰郷。 若い記者が地べたをはう社会部から高知の日常をつぶやきます 趣味はサッカー観戦
高知県高知市 ·

「いちおう新聞記者」とプロフィールに書く近藤希実は毎日新聞の昨年5月に北陸総局から大阪本社に転勤となった記者であろう。

近藤希実 (Nozomi Kondo)
@F_Galene
いちおう新聞記者。会社を代表するよなリッパなことをつぶやいてみたいですが、個人の戯れ言をつらつらと。珈琲とか映画とかダイビングとか。たまにメディアについて真面目に考えます。 ff.galene(at)gmail.com
四国のち関西ときどき東京 ·

次のようなツイートが目に付いた。

最近、高校ではネットリテラシー的なものを授業でやってると聞いたけど、「自分が発信するリスクとメリット」を考える機会はあるんだろうか。「ネットの情報を鵜呑みにしない」だけじゃもう足りないよね。ツイッターでもブログでも、誰でも簡単に良質の情報もデマも飛ばせる時代だもの。4月19日

「Ota Minao @otaminao」は「1977年生まれ」の「新聞記者」、神奈川方面で活動している朝日新聞の記者なのであろう。

未開人に近代文明社会の秩序を教えてやった、とでも言いたげな記者のツイートにどんびき。西欧的近代の選挙民主主義とは違うというだけで、どんな社会にも、その社会なりの秩序の作り方があるんじゃないの。

この3月22日のツイートは次のような「朝日新聞霞クラブ」のツイートに対する批判である。

あいあい)わたしが選挙監視で思い出したのはフィリピン。ピナツボ火山から焼け出されて人里におりてきた先住民族・アエタ族が再定住地で初めて経験する「選挙」を見に行ったことがあります。大学時代からフィリピンの孤児を支援するNGO活動をしており、その活動の一環で訪問。驚きの連続でした。

あいあい)アエタの人たちにとっては平地の現代社会で経験する初めての「選挙」。わたしは監視でもなんでもなくただの見学者ですが、「選挙はたくさん票を集めないとだめ」と説明。彼らは手探りながら集落で候補者を「一本化」したり、近所の人に「演説」したりしていたのです。選挙の原点を見ました。

あいあい)投票の日、アエタの人たちは小石を使って投票していました。数え方を聞かれて、「日本では『正』の字を書いて5つずつ数えます」と教えると、「正」を書いて数え始めました(ほんとに)。最後まで見届けなかったけど、どうなったのかな。10年以上たちましたが、いまだに気になっています。

ここからツイッターを通じての議論が深まれば面白かったのだが、残念ながらそうはならなかったのは「朝日新聞霞クラブ ‏ @asahi_gaikou」が朝日新聞を代表するツイッターアカウントだったからなのだろうか。しかし、ツイッター記者としては間違いなく「Ota Minao」に可能性があるのではないだろうか。
私は他にも「SATO Kenjiro ‏ @che94015」「渡辺 勉 ‏ @wtsutomu」「潮田道夫 ‏ @mushioda」「永田 工 (Ko Nagata) ‏ @nagatako」「Masashi SUZUKI ‏ @lagucar」「ひおき丸 ‏ @thioki」「根岸敦生 ‏ @Atsuo_NGS_Asahi」「吉岡 桂子 ‏ @Yoshioka_keiko」「赤田康和 ‏ @akadayasukazu」「奥山俊宏 ‏ @okuyamatoshi」「西本秀 NISHIMOTO_H ‏ @xibenxiu」「春日芳晃 ‏ @yoshiakikasuga」「藤谷 健  ‏ @TFujitani_Asahi」「小滝 ちひろ ‏ @chihiroktk」「平 和博 Kazuhiro Taira ‏ @kaztaira」「忠鉢信一 ‏ @michiamochu」「Erika Toh (藤えりか) ‏ @erika_asahi」「沢村 亙 ‏ @wsawa」「石田博士 Hiroshi Ishida ‏ @ishida1970asahi」「川上泰徳 Y. Kawakami ‏ @asahi_me_mg」といったツイッター記者をフォローしている。