東京新聞2月19日付社説「週のはじめに考える 傍らに立つということ」に見る「俗情との結託」

昨日、2月19日付東京新聞の「週のはじめに考える 傍らに立つということ」は「です」「ます」調で書かれた社説であった。社説が「です」「ます」調で書かれていると、何故か、擦り寄られている気分になる。それだけ社説の文章はいつも偉そうだし、居丈高であることの裏返しの証明になっているということだろう。この社説を書いた東京新聞の「誰か」は東日本大震災から一年を直前に控え、「一年。三百六十五日。被災地にも、そうでないところにも、一様に流れる時間。途方もなく多くの思いが詰まった特別なこの一年。私たちは忘れません」と書き始める。そのうえで被災地のひとつ「福島県いわき市の薄磯海岸」の現在を描写しはじめる。時間が止まっている光景と「一年という時間の堆積の重さ」を感じさせる光景のコントラストを描いたうえで、「薄磯海岸で約三十年、喫茶店を営んでいた」女性を登場させる。女性は市内の別の場所で喫茶店を再開させる予定だというが、津波の記憶は彼女にとって時間が過ぎることによって逆に鮮明になって来たという。彼女の「思い出すのはつらい。でも、忘れられるのは、なおつらい」という発言は冒頭の「私たちは忘れません」という言葉に共振させようという意図なのだろう。
次に紹介されるのは市内で古着のリサイクルに取り組むNPO法人の代表である。やはり女性である。この代表は都内のメーカーと連携し、耕作放棄地で有機栽培の和綿を育てるプロジェクトを進めているという。以前とは全く違った故郷の光景が広がっているのを眼前にして、「津波放射線が引き裂いた地域のつながり、人の心を、もう一度紡ぎ直したい」という思いからであろうと、この社説を書いている東京新聞の「誰か」は推察する。三番目に紹介されるのは「いわき市内の焼き肉店で働くフリーター」であり、29歳、男性。彼は福島第一原発から三十キロ圏内の久之浜地区で、失業し、時間を持て余していた若者たちとボランティアに取り組み、瓦礫処理から、掃除、引っ越しの手伝い、ペットの捜索に至るまで、何でもやったという。そんな彼に東京新聞の「誰か」は尋ねたのであろう。「一番大切なのは何かと尋ねると、迷うことなく『いのち』と答えてくれました」。
最後に紹介されるのはドキュメンタリー映画「傍(かたわら)」の伊勢真一監督(63)。この最新作のチラシには「宮城から福島へ、そして宮城へ、被災地の被災者の傍での一年。それは、無慈悲な仕打ちを前にした『いのち』に寄りそうことだった」「映像を撮るということは、『忘れない』ということなのだ」とあるという。
こうした何人かの「一年後」に触れた上で東京新聞の誰かは、こう書く。

私たちは前へ進まなければなりません。でも、忘れてはならないものがある。被災者の傍らに立ち続け、被災地の傍らを歩き続けたい。「絆」という言葉や文字を、“今年の漢字”に終わらせてはいけません。

ここから東京新聞の「誰か」は「私たち」を連発することになる。この社説で取り上げた被災地の3人の経験は他人事ではなく「いつか、私たち自身のものになるやもしれません」。そして、東京新聞の「誰か」は、こう結ぶ。

被災者の傍らに立つということは、自分自身の地域や暮らしや隣人に向き合うことと、同じなのかもしれません。私たちは、寄り添うことを忘れません。

冒頭に掲げられた「私たちは忘れません」とは、こういうことなんだよと畳み掛けるように述べている。こうした社説に首を傾げたのは私だけではなかったようだ。東京新聞の「誰か」は「私たち」という主語を選択しているが、その「私たち」に読者の一人たる私が加わることを断固として拒否しようと思っていたところ、当の東京新聞から異がツイッターを通じて唱えられたのである。そのプロフィールに

東京新聞(中日新聞)・社会部記者。検察・裁判担当、大喜利は飽きた。1975年生まれ。取り調べの全面可視化、証拠全面開示せよ!椎名林檎は良い。りょうも西田尚美北川景子も良い。竹内結子はもっぱら良い。だが時代は、きゃりーぱみゅぱみゅだ!!!

と書く小川慎一が次2月19日の11時50分から次のようなツイートを始めたのである。

内容がどうこうではなく、社説内の「私たち」は社員のことなのか。それとも「私たち国民」のような意味なのか。/東京新聞:週のはじめに考える 傍らに立つということ:社説・コラム(TOKYO Web) http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012021902000047.html

この社説を執筆した東京新聞の誰かは「私たち」の範囲を東京新聞の社員は当然として、仮に東京新聞を読んでいる「読者」だけだとしても、理念的には被災者をも含めた「国民」にまで広げて「私たち」という主語を使ったのではないかと私は推測している。だから、読者に擦り寄るような「です」「ます」調の文体を選択したのである。

「私たちは前へ進まなければなりません」。東京新聞の19日付の社説にはそうある。もっともらしい言葉だ。でも、みんながみんな、前へ進まなければならないのか。立ち止まったり、後ずさりしたりしてはいけないのか。

小川のこの言い分に私は全く異議がない。これは被災地に何度か足を踏み入れればわかることだが、「私たちは前へ進まなければなりません」という「もっともらしい言葉」が通用しない状況がいたるところに横たわっている。逆にいえば、社説の執筆者は「もっともらしい言葉」が通用する状況しか見ていないし、見ようともしていないということなのだろう。「もっともらしい言葉」が通用しない状況は「隠蔽」しようということなのだろう。そのような「私たち」に私は加担したくないのだ。

「私たちは、寄り添うことを忘れません」。「傍らに立つということ」と題された東京新聞社説の締めの一文だ。確かに忘れるべきではないだろう。だけど、そもそも私たちは寄り添えているのか。社説の書く「私たち」にとって、寄り添うとは何なのだろうか。傍らに立つと寄り添うは同じなのか。

東京新聞の「週のはじめに考える 傍らに立つということ」と題された社説を書いた「誰か」にとって「寄り添う」も「傍らに立つ」も同じなのだろう。私が昨年、被災地で見た光景は傍らに立っているだけで寄り添っているものと勘違いしている、腕章を偉そうに巻いた新聞記者であった。しかし、この「誰か」は自分は傍らに立っているだけにしか過ぎないにもかかわらず、「国民」には寄り添うことを求めているのだ。しかも。東京新聞の「誰か」が考える寄り添うこととは、前へ進むことを被災者に強要することと同義なのだ。彼にとって寄り添うとは被災者に立ち止まることを許さないのだろうし、後ずさりすることなどもってのほかということになるのではないか。
私は東京新聞のこの社説を読んでいて「俗情との結託」という大西巨人の言葉を思い出した。明らかに俗情と結託した文章であると思ったからだ。「通俗」であることを確信犯的に承知した上で、一見すると誰も批判できないような最大公約数的な言説に寄りかかって、読者=「国民」の感情に訴え、共感を得ることで「国民」に選択肢のない「同意」を迫る。しかし、実は問題の本質から逃げているし、問題そのものをないかのように隠蔽する。私からすれば「週のはじめに考える 傍らに立つということ」はそのような文章の典型なのだ。
最近、朝日新聞の購読をやめて東京新聞に乗りかえる読者が多いという話を聞いたことがあるが、「俗情との結託」において朝日も東京も大差はないのではないだろうか。新聞は匿名を良いことにして、いとも簡単に俗情と結託してしまう「誰か」に満ち溢れているのだ。唯一の救いは小川慎一のような「個」が少ないながらもまだ点在していることか。