EUのノーベル平和賞について考える
ノーベル平和賞はブリュッセルに本拠を置き、27ヶ国が加盟し、域内総人口は5億人に及ぶEU(欧州連合)が受賞した。何故、今、EUがノーベル平和賞なの?首を傾げたのは何も私ばかりではあるまい。EUとは国民国家を乗り越えようとする挑戦であることは理解できる。第一次世界大戦、第二次世界大戦で戦場となった欧州がヨーロッパを二度と戦場としないための知恵でもあろう。第二次世界大戦までは70年間のうちに3度も戦争を繰り広げたフランスとドイツが第二次世界大戦後は一度も戦争をしていないのだから、EUのノーベル平和賞受賞も当然ということになるのだろうが、それならばもっと以前にノーベル平和賞を与えるべきではなかったのか。EUが発足した時点でも、またユーロという通貨統合に一歩踏み込んだ際の授賞でも良かったのではないだろうか。
EUの歴史は1952年のECSC(欧州石炭鉄鋼共同体)に端を発している。1957年にはECSCの成功を踏まえ、EEC(欧州経済共同体)とEAEC(欧州原子力共同体)が発足し、1967年にEEC、ECSC、EAECの三つの共同体の運営機関が一つとなり、EC(欧州諸共同体)が成立し、1989年にはベルリンの壁が崩壊し、1992年に経済のみならず、外交や安全保障、司法の協力を謳ったマーストリヒト条約が調印され、翌1993年にEUとしてヨーロッパの更なる統合に向けて踏み出されたのである。EUはあらゆる分野で国境を低くすることによって、戦争の危険な発火点となって来たナショナリズムを超克し、ヨーロッパから戦争を放逐しようという試みである。こうした歴史的経過からすればEUのノーベル平和賞は1993年あたりが最も受賞に相応しい年ではなかったかと私には思えて来る。ウィキペディアによればマーストリヒト条約第2条には、こう書かれている。
連合は人間の尊厳に対する敬意、自由、民主主義、平等、法の支配、マイノリティに属する権利を含む人権の尊重という価値観に基づいて設置されている。これらの価値観は多元的共存、無差別、寛容、正義、結束、女性と男性との間での平等が普及する社会において、加盟国に共通するものである。
こうしたくだりはヨーロッパで生まれた人権思想の到達点を示すものだろう。そういう意味でEUのノーベル平和賞は遅すぎた受賞であると言えなくもないのだが、一方で忘れてはならない現実がある。ソビエト連邦が解体し、東西冷戦が終結したことによって、EUにとっての仮想敵は消滅したはずなのにEUには未だに核兵器が存在するのだ。フランスやイギリスは核武装を放棄していないし、アメリカの核もEUには未だに配備されている。それらの核兵器は東西冷戦が終結した以上、どの国に向けられているのだろうか。不勉強にして私にはわからない。つまり、ここで遅すぎた授賞に踏み切るよりも、EUにおいて「核なき世界」を実現してからでも逆に遅くはないのではないだろうか。欧州会議のシュルツ議長はEUは戦争を平和に、憎しみを連帯に変えた比類なき試みだとツイートしたそうだが、域内から核兵器を一掃してから、そう胸を張って欲しいと思うのは私だけだろうか。
しかも、現実を見てみるならば、EUが危機に直面していることも間違いない。ユーロ危機である。ギリシャから始まった深刻な債務危機はアイルランド、ポルトガル、スペイン、イタリアにも拡大し、EU内の南北格差問題は深刻な様相を呈したままである。単一通貨であるユーロからギリシャが脱落するかもしれないし、緊縮財政に対する不満が南欧諸国では高まりつつある。EU結束に対する求心力ばかりではなく遠心力も働き始めたのである。まさにEUの理想が後退しかねない情況にあるのだ。『ニユーズウィーク日本版』(http://www.newsweekjapan.jp/)によれば「EUにノーベル平和賞は笑えない冗談」なのである。何故なら、「ドイツのアンゲラ・メルケル首相が先週ギリシャの首都アテネを訪問した際には、デモ隊がナチスの旗を掲げる始末だった」し、「ギリシャやフィンランド、オランダといった国々では、反EU、国家主義を掲げる極右政党が台頭している」し、「ドイツの新聞各紙は、ギリシャをユーロ圏から追い出すべきだ、あるいはドイツ自らEUを脱退せよと主張する。イギリスではキャメロン首相率いる保守党内からも、EU離脱の是非について国民投票を行うべきとの声が上がっている」のである。そして、記事は、こう結ばれている。
財政支援と引き換えにEUから厳しい緊縮策を迫られているギリシャでは、市民の間で怒りさえ噴出している。首都アテネで最近失業したばかりの美容師クリストウラ・パナギオティディは、今回のノーベル平和賞は「私たちの今の状況を馬鹿にしているとしか思えない」と地元紙に語った。
EUにとって今が正念場だということは間違いあるまい。だからこそ、ここでEUにノーベル平和賞を与えて、その理想に向けての歩みを挫折させないためにも、ここで再確認させる必要があったのかもしれない。日本の核武装を真剣に検討していた佐藤栄作のノーベル平和賞受賞に遠く遡らなくとも、ノーベル平和賞が「政治」に左右されることは周知の事実であるし、ノーベル平和賞の品位など、とうの昔に汚されているのである。ノーベル平和賞には800万スウェーデンクローナ(1億円近い)の賞金が贈られるというが、これはユーロ危機に対する最大の皮肉ではないか。