朝日新聞の社説「高校生の挑戦―日米球界の垣根は低く」がダメな理由

岩手県花巻東高野球部出身で大リーグに挑戦しようとしたのは、大谷翔平投手が初めてではない。菊池雄星もそうであったが、結局、ドラフトで指名された西武ライオンズに入団した。この野球部の体質は悪くないと私は思っている。仄聞するに大人たちがドラフト候補によってたかって、弄繰り回すような体質が野球の名門校の一部にはあるようだが、そういう教育は歪んでいると感じるのは私だけだろうか。
大谷投手はドラフトを前に大リーグ志望を宣言した。これは日本のドラフトで指名しないで欲しいという意志表示である。しかし、だからといって大谷投手を指名する球団があっても良いと思う。日本のプロ球団には大谷投手を指名する権利があるのだから。それが現在のプロ野球のルールである。10月24日付のサンケイスポーツによれば日本ハムが1位指名するかもしれないとのことだが、日本ハムが大谷投手の意向を無視して指名に踏み切ったとしても、日本ハムは責められるべきではあるまい。もちろん、大谷投手が日本ハムの説得に心を動かされ、最終的に大リーグではなく、日本のプロ野球を選択したとしても、大谷投手は責められるべきではない。
朝日新聞は10月23日付の社説「高校生の挑戦―日米球界の垣根は低く」は「華やかな未来は約束されていない。それを覚悟でメジャー挑戦をえらんだ超高校級右腕の決心を見守りたい」のであれば、こうして社説に取り上げるべきではないのではないだろうか。大リーグに入団が決まってからでも遅くはないはずである。18歳の若者の針路を大リーグに誘導するような社説は彼に対して今の段階では失礼にあたると想像し、大谷投手の未来に今少し配慮することはできなかったのだろうか。
私とて朝日新聞が主張するように日本のプロ野球アメリカの大リーグの垣根は低くあったほうが良いと思っている。「ドラフトを拒んで外国の球団に入ったら、退団しても高卒は3年間、大卒・社会人出身は2年間、日本の球団と契約できない申し合わせ」なんぞ撤廃すれば良いと思っているし、「今のルールでは高校生が日本の球団に入ると、自由に契約する球団を選べるフリーエージェント(FA)権は、国内移籍で8年、海外移籍は9年かかる」という鎖国ルールにも首を傾げざるを得ず「国内外を問わず、FA権の取得年数を縮め」るべきだと思っている。野球に比べ世界に開かれているサッカーに学んだら良いのだ。だから、「サッカー界でも近年、高校生がJリーグを経由しないで欧州のプロクラブと契約する例があるが、日本に戻ればすぐにJリーグで活躍できる。野球界も有能な人材を締め出す手はない」という主張にも大賛成である。
ただし、野球界は選手のことを一義的に考えれば規制緩和をもっと進めるべきだという立場からすれば、朝日新聞の社説は自らを安全圏に置いた主張に過ぎないことがわかる。朝日新聞が主張しているのは、あくまでも日米球界の垣根を低くしろということであって、日本国内におけるプロとアマの垣根を低くしろとは主張していない。日本の野球を発展させるためには、これまたサッカーのように、プロとアマの垣根をもっと低くして、人材交流を図るべく規制緩和が必要なはずである。甲子園を目指す野球部がオフシーズンにプロ野球の選手やコーチたちの指導を受けることができないようだが、こういうルールは逸早く撤廃すべきではないのだろうか。また、プロ野球のOBが高校野球にかかわっていけば、高校野球のレベルアップを図れるはずなのだが、プロ野球の、例えば監督が退任後、即座に高校野球の監督に就任できないというルールが存在するらしいが、これも本当に存在するとすればナンセンスなことである。
もっと言えば、プロ野球の球団がそれこそボランティアとしてプロ契約していない高校生に指導するということがあっても良いのではないだろうか。日本の野球を発展させようと真剣に考えるのであればオールジャパンの取り組みを積極的に推し進めるべきなのだが、プロとアマの垣根は相当高いままなのである。プロ、アマともライセンス資格なしに監督やコーチに就任できてしまうのも、オールジャパンが確立していないからだし、スポーツとして世界標準を確立していないからである。
朝日新聞のこの社説を書いた論説委員であれば、こうしたことは当然承知しているはずだが、社説ではそうした主張を展開することはできないに違いない。朝日新聞がアマチュア野球のピューリタニズムの権化のような夏の甲子園大会を後援しているためである。一方、プロ野球は何だかんだと言っても盟主は巨人であり、巨人は讀賣新聞の野球部門のようなものである。言うまでもなく讀賣新聞朝日新聞は熾烈な販売競争を全国で展開しているが、その際、讀賣は巨人を、朝日は甲子園を利用して拡販に取り組んでいることが、プロとアマの垣根を昔に比べれば多少は改善されたとはいえ、まだまだ垣根を必要以上に高くしているはずだ。不幸なことに野球は二重の意味で鎖国状態に置かれているスポーツなのである。野球を発展させようと願うのであればプロ野球批判だけではなく、同等の重量をもってアマチュア野球批判をする必要があるのだ。朝日新聞論説委員であれば、こんなことは百も承知のはず。にもかかわらず、書けないところにわが国の「言論の自由」の水準を見て取ることも可能である。こうした「言論の自由」の壁を崩すのは「自由な言論」をおいてほかにあるまい。