ツイッター備忘録 こんな呟きしています

東京新聞菊池寛賞異議あり。確かに東京新聞原発にかかわる報道において充実はしていた。しかし、放射線物質の人体に与える影響にかかわる報道では私にすら非科学的だとわかる?の記事も多かったと思う。反原発に関わる言説の一部が宗教化しているが、東京新聞にも言い得る。手放しの礼賛は危険だ。 10月15日

東京新聞菊池寛賞を受賞。文春ジャーナリズムが「左」旋回を始めたということなのだろうか。本来の文春ジャーナリズムであれば東京新聞こそ「敵」として措定してしかるべきなのではないか。相変わらずの『週刊新潮』と比べてみるならば、尚更のことである。10月15日

日本新聞協会が主催する新聞大会で新聞に対する軽減税率を求める決議を採択したという。その理由は「新聞を含む知識への課税強化は民主主義の維持・発展を損なう」からだと。全国紙は雁首を揃えて消費増税賛成の社説を掲げておきながら、自分たちだけは消費増税を逃れようとしているのは卑怯である! 10月15日

森口某ほどでないにせよ、オレだって酒を飲めば、大したことでなくても、酒の勢いを借りて大きく話してしまうことはある。そういうことって誰だってあるんじゃないのかな。マスメディアは明らかに騒ぎすぎ。もっと他に報道すべきことはあると思う。いい加減、「正義」になりすますのは止めたらどうだ! 10月15日 

パソコンの遠隔操作によって、やってもいない人間を警察、検察、司法、報道が総がかりで有罪に追い込んでいたとしたら、日本は民主主義国として失格であるし、北朝鮮や中国を笑う資格がないということだ。 10月16日

民衆はいつの時代でも「悪」だ。その「悪」を倫理的に裁断しても仕方あるまい。その「悪」に接続しそこなった思想に世界を変えることはできないはずだ。いくら大きな声をがなりたてようとも民衆の原イメージを繰り込んでいない以上、それは狼少年の「死語」以外の何ものでもないだろう。 10月16日

佐野真一の『ハシシタ』。私は面白く読みました。ただ私は橋下徹に対する佐野の評価を共有するものではありません。 10月17日

佐野真一の「ハシシタ」。佐野に「差別意識」があるとは私には思えなかった。佐野の橋下に対する評価を私は共有しないが、佐野のやろうとしたことは連載第一回の末尾に中上健次の『岬』『枯木灘』『地の果て至上の時』という「路地」を題材にした小説の主人公で「秋幸」の名前を置いたことで推測できる。 10月18日

佐野はノンフィクションという方法論の、ある意味では極北で「オイディプス」劇、あるいは屈折した「エレクトラ」劇を描こうとしたのではないか。佐野を朝日新聞に殺させては絶対にならないはずだ。 10月18日

朝日新聞・橋下番」のツイートは9月8日で終わっている。朝日新聞、終わりだな。長野時代に被差別部落のレポートをした若宮某は、今回の問題について、どう考えているのだろうか。今回の問題は朝日新聞にとっての第二の満洲事変だと私には思えてならない。満洲事変を境にして朝日の言論は転落した。 10月22日

橋下徹は誤った場合、謝るのも速い。このソーシャルメディアならではの速度にマスメディアの「旧態依然」たる速度がついていけないのである。いくらツイッター記者を増やしたところで、反射神経が「旧態依然」のままでは意味がないということに気がついていないのである。 10月23日

政治家も、ジャーナリストも、誰であっても「個」の責任から逃れられないのがソーシャルメディアの時代なのだ。そうした時代ならではの犯罪は、自らの「個」を他者に押し付けることで成立する。なりすましメールの事件がそうである。10月23日

確かにかつては聖書も、マルクスも商品として流通するしかなかった。そういう意味で橋下徹が言う言論市場は存在し、大半の言論の自由は、この市場に収まるものであった。しかし、インターネットという新大陸にソーシャルメデイアが誕生すると、言論の自由は言論市場に収まりきれなくなったのである。  10月23日