中国の「異様な社会」は他人事ではない!自民党の憲法改正路線は日本を中国化する!?

共産主義が実現を目指す理想は機会の平等に加えて究極的な結果の平等にほかならない。マルクスが『ゴータ綱領批判』のなかで述べている言葉を借りるのであれば、「能力に応じて働き、労働に応じて受け取る」前段階を経て、誰もが例外なく「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」社会を志向することになる。
そうした共産主義社会の実現を標榜するのが共産党であるはずだが、共産党が政権を握っている国々の実情からすれば、共産主義の理想は共産党による一党独裁政治(=スターリニズム)を隠蔽するための隠れ蓑としてしか機能していないと言って良いだろう。共産党は民衆を解放するのではなく、政治機構や軍事機構などのあらゆる国家システムを共産党が独占してしまうのだ。それとともに生産手段を公有化することで、共産党は本質的にブルジョワジーなどよりも遥かに貪欲で強力な支配(経済的には搾取)階級として民衆に君臨する。
中国の場合は訒小平によって政治的には共産党一党独裁のままで、経済的には神の見えざる手に依拠した市場原理を導入され、今や日本を追い抜き、アメリカに次ぐ世界第二位の経済大国にまで発展したけれど、共産党の内部に生まれた新「黒五類」が権力ばかりではなく、富を独占することで日本の格差社会など及びもつかないほど経済的にも、政治的にも圧倒的な格差がはびこる、機会の平等もなければ結果の平等もない悪夢のような社会を実現してしまったのである。
要するに中国共産党は古来から続く王朝政治の嫡子であり、民衆はフランス革命の果実から疎外されたままであると言って良いだろう。そうであればこそ広東省週刊紙『南方週末』の新年特集号に掲載された社説が当局の指示で中国共産党万歳の提灯記事に書き換えられてしまうといった検閲も日常茶飯事なのである。産経新聞が社説で指摘しているように中国が実現したのは「異様な社会」にほかならないのである。

中国憲法では「言論や集会・結社の自由」がうたわれている。それは空文にすぎず、実体を伴わないことが改めてさらけだされた。共産党一党独裁下では当然の帰結だが、こうした異様なやり方がまかり通っていることを日本は直視しなければならない。 産経新聞1月10日付社説「中国の報道統制 『異様な社会』を直視せよ」

実は私たちにとって中国のような「異様な社会」は決して他人事ではあるまい。自由民主党が掲げる日本国憲法改正草案は同党によれば「天賦人権説」に基づく人権規定を全面的に見直し、日本の歴史、文化、伝統を踏まえて規定しているとのことだが、人権を人類の普遍的な価値とみなさず、基本的な人権は国家によって与えられるものだとする発想は中国共産党が様々な人権弾圧を正当化する際に持ち出す理屈と相似形をなしていると言えよう。この草案は近代民主主義国家としての価値観を放棄することになりかねまい。
「 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない」(第18条)は「何人も、その意に反すると否とにかかわらず、社会的又は経済的関係において身体を拘束されない」と書き改めることで「社会的又は経済的関係」以外の、例えば徴兵制のような拘束を可能にする余地を作り出しているし、「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」(第19条)は「思想及び良心の自由は、保障する」と表現が弱められている。
また第12条の「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」は「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、保持しなければならない。国民は、これを濫用してはならないのであって、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚しつつ、常に公益及び公の秩序に反しないように自由を享受し、権利を行使する責務を負う」と書き改められている。「権利」には「義務」がともなうことを明文化し、「人権」を「公益」や「公の秩序」に反しない限り認めるというのだが、こうした憲法をもってすれば今回、「南方週末」の社説が当局によって書き換えられるといった事態を正当化することも可能である。「公益及び公の秩序」を害することを目的とした内容だから書き換えたのだと胸を張れば良いのである。
実際、第12条の「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」には「前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」という新たな条文がわざわざ付け加えられているのだ。私には自民党憲法改正草案に底流するのは「独裁」を容認するイデオロギーであるように思えてならない。そのイデオロギーは、もしかすると中国共産党と五十歩百歩ではないのだろうか。