日刊スポーツが掲げた大島渚フィルモグラフィーに異議あり!

スポーツ新聞では一面の総てと芸能面を使って、全国紙でも一面だけではなく社会面を費やして映画監督・大島渚の死去を伝えた。どの新聞も大島のフィルモグラフィーを掲載していたが、最も異色であったのは日刊スポーツであった。『太陽の墓場』『絞死刑』『儀式』という大島渚を代表する三本の総てを欠落させている日刊スポーツのフィルモグラフィーを担当した記者の大島渚オンチというよりも、映画オンチぶりを恥ずかしげもなく露呈させているという意味において異色なのだ。しかも三本とも私が偏愛してやまない大島作品なのである。
『太陽の墓場』(1960)は西成=釜が崎を舞台にし、ここでしか生きられないチンピラたち(マルクスが敵視したルンペンプロレタリアートだ!)の汗まみれにして血まみれたらざるを得ず、無軌道なままに死に至るを必然とする青春(秩序を破壊しようとしながらも秩序に敗れ去る青春)を活写した傑作である。大島渚の訃報に接した際に私の脳裏に突如として蘇ってきたのが炎加世子演じるヒロインの「日本は今よりもっといい世界になるのかい?」という叫びであった。
『絞死刑』は死刑執行に失敗した在日朝鮮人の死刑囚Rが一命を取りとめたものの記憶喪失に陥ったため彼の記憶を回復させ、二人の婦女暴行殺人という罪を再び認識させるべく、国家権力を背負った側に属する教育部長、所長、医務官、教会師、保安課長、検察官、検察事務官たちが犯行を再現する芝居をはじめ、そこからRを取り巻く情況が浮かび上がってくるという映画である。その言ってみればワンシーンワンカットのダイナミズムをもって描かれるディスカッションドラマ過程は国家権力が孕む矛盾が露呈させ、それはブラックコメディとして大いに笑えるのだが、笑いながら私たちの生きる社会の現実こそ笑えないブラックコメディにほかならないことを知るに及んで観客は背筋を凍らせるしかないという挑発的な作品である。
『儀式』は文字通り「桜田家」の結婚式や葬式という儀式を描く映画であり、その血縁関係の複雑さには辟易させながらも、大島は家父長制を貫徹させる旧家「桜田家」の「小さな歴史」を通じて剔抉されるのは、日本という「大きな歴史」の本質である。敗戦にかかわりなく戦前と戦後で切断されることなく底流する国家(であり神権天皇制)が個人(であり若者の青春)を徹底的に抑圧する構造と言い換えても良いかもしれない。『儀式』はスキャンダルにしてスリリングな映画である。私たちを圧倒する重厚な映像は撮影が成島東一郎、美術が「黒い日の丸」の戸田重昌の力量というばかりではなく、日本映画の黄金期を支えていた撮影所のスタッフがこの映画に結集しているからにほかなるまい。
この記者が大島渚フィルモグラフィーを作成するにあたって『太陽の墓場』『絞死刑』『儀式』よりも重視したのが、驚くなかれ『私はベレット』なのである。大島渚の作品を映画館の銀幕に求めてきた私のようなファンからすれば、このフィルモグラフィーを担当した記者に「バカヤロー」と一喝する権利を有するのは当然のことであろう。
確かに1964年に製作された『私のベレット』も大島渚の監督作品、脚本も担当している。しかし、これはいすゞ自動車のPR映画であり、一般には殆ど知られていない作品である。私にしても未見の一本である。日刊スポーツの記者が大島のフィルモグラフィーに代表作を敢えて排除し、『私のベレット』を入れてしまったのは、脚本・監督として大島渚の名前があるばかりではなく、脚本監修に世界的に名前の知られた小津安二郎の名前があり、加えて企画監修として山本嘉次郎、小石栄一、五所平之助牛原虚彦、田中重雄、松林宗恵中平康野村芳太郎関川秀雄といった錚々たる監督の名前が連なっていたからであろう。映画をあまり見ていない記者ならではの選択と排除である。何故、いすゞ自動車のPR映画にこんな豪華なクレジットが実現してしまったのかといえば、日本映画監督協会がプロダクションを興して製作した映画だからであろう。本当は60分の作品らしいのだが、CS衛星劇場大島渚特集で2010年9月に放映された際は27分であったらしい。何故、このような作品が製作されたのかは類推するしかないが、日本映画監督協会が何らかの資金を必要とし、PR映画を製作することで賄ったのではないだろうか。
的外れなのは日刊スポーツだけではなかった。『愛のコリーダ』『愛の亡霊』と邦題に「愛の」が冠された作品が二本あったことから、「愛とタブー 切り込む」という見出しを社会面で打った朝日新聞にしても、そこから大島渚という映画作家に対するリスペクトは読み取れなかった。大島渚は現在に今なお脈打つ歴史の歪みをフィルムに刻み込むために日本という歴史に正面から向き合うことにおいて徹底的にラジカルな映画作家であったのではないだろうか。大島渚の映画における主役は日本という国家にほかならなかったのである。