【文徒】2016年(平成28)1月8日(第4巻4号・通巻691号)

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1)【記事】「記者クラブ問題」に対して、いかに実効的な批判をなすべきなのか?
2)【本日の一行情報】
3)【深夜の誌人語録】

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1)【記事】「記者クラブ問題」に対して、いかに実効的な批判をなすべきなのか?

日刊ゲンダイ」が1月6日付で掲載した「税金で高級寿司…首相番記者の呆れた“ごっつぁん忘年会”」が、さっそくネット民(特に安倍批判に執念を燃やす人々)の間で話題になっている。同記事の冒頭で「昨年12月25日の首相動静を見ると、〈6時3分、内閣記者会との懇談会〉とある。何をしていたかといえば、飲めや食えやのドンチャン騒ぎだという。参加した記者が言う。
《「首相官邸の地下2階のフロアに総理番記者が勢揃いし、安倍首相や萩生田光一世耕弘成官房副長官ら側近と1年間をねぎらう忘年会みたいな会合です。安倍政権になってから急に始まったわけではなく、歴代総理も恒例行事として官邸や公邸で懇談会を開いてきました」》
《「内閣記者会の懇談会は安倍首相になってから格段に豪華になりました。去年は有名寿司店のケータリングがあり、腕利きの板前が握りたてのトロやイクラを振る舞ってくれました。公邸お抱えのシェフが切り下ろしてくれたローストビーフは、とろけるような食感でしたね。政治家の政治資金パーティーで出されるホテルの料理より何倍も美味でした」
安倍首相の正面にはスマホで写メを撮ろうとする記者が喜々として列をなし、実際、ある大新聞の記者と安倍首相のツーショットを見せてもらうと、家族みたいに仲むつまじい様子だった》
《さらに驚くのは、これらは全てタダ飯、タダ酒ということだ。首相官邸に問い合わせると、「懇談会にかかる経費は全て国費で賄っております」とあっさり認めた。つまり、番記者たちは国民の税金で飲み食いしているということになる》。
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/172840
 確かにその通りであれば酷い話ではあるし、おそらく記事の書き方から判断するに実際そういった実態があったのだろうとは思うが、それにしても私(岩本)あたりが読んだ限りで言うと、そういった実態をあげつらうよりも「ああ、またか。まだやってんのね……」という、もはや諦めに近いような感情がわき起こってくるだけだ。
マスメディア、とりわけ永田町・霞ヶ関界隈における政治家や官僚たちを取材する大手の新聞社やテレビ局の記者たちが取材拠点として所属する「記者クラブ」において、そうした「番記者」たちがいかに取材相手と癒着しているかについては、既に今から20年近くも前に岩瀬達哉が当時まだあった講談社の雑誌『VIEWS』での連載をもとに1998年『新聞が面白くない理由』とのタイトルで出した単行本で描いた頃から(というかそれ以前から)のものだった。だから正直なところ、個人的には上記の「日刊ゲンダイ」による報道には「既視感」を覚えてしまうところがあった。
しかし20年近く前にそうした実態を暴き出していた岩瀬が、その後は「こんなくだらないことをやっていたくない」(と発言したと人づてに聞いた)とこのテーマから離れてしまったのは、上記の岩瀬の著書で「1989年にリクルートの接待で岩手・安比高原へのスキーツアーに参加した」と書かれた(実名は伏せられていたが)朝日新聞の有名記者・疋田桂一郎と本多勝一が岩瀬との間で泥沼的な訴訟合戦を繰り広げることになってしまった(岩瀬は19歳の時に本多の『ニューギニア高地人』を読んで刺激されてニューギニアまで行ったという)ことで嫌気がさした――ということもあるのだろう。
ちなみに、当時岩瀬と本多の双方に取材した私は、昨年に『出版人・広告人』での元木昌彦との対談に出てもらった矢崎泰久(元『話の特集』編集長で、日経新聞内外タイムスOBでもある)と本多が月刊誌『創』1998年12月号で、そのリクルート接待問題について語り合った対談をまとめているのだが、そこには以下のようなやり取りが出てくる。
■矢崎 ただ僕はやっぱり、まあ自分のことも含めてだけど、新聞記者の在り方というものを一度どこかできちんと清算しておくべきだと思うよ。記者クラブで自分たちはどんなにひどいことをやっているかをね。おそらく本人たちも自覚がないままやってる部分もあるんじゃないかな。昔、キャバレーが閉店したら、警察の署長の接待で視察と称して記者クラブぐるみで遊びに行って、勘定は全部キャバレー持ち……そんなことを平気でやってる新聞記者なんて山ほどいたもの。これ事実ですよ。(中略)
■本多 俺が所属したクラブではそんなこと事実なかったよ。調べてもらってもいい。もしそんなことがあったら少なくとも朝日では問題になるよ。(中略)
■矢崎 でも各省庁の記者クラブにだってそういう接待の場とかあったはずだよ。僕は「つばめ記者会」にいたからわかるけど、国鉄なんか凄かったからね、御馳走もそうだけど芸者はべらせたりとか。
■本多 国鉄についてはちょっと聞いたことがあるけどね。でもそこには朝日の記者は出てたの? 俺に知る限り誰も行ってないよ。出ても会費は払ったとか。
■矢崎 いやあ、行ってるよ。だから「朝日だ」って言うんだよ、そういう「朝日に限って」というようなところが(笑)。
(以上、『創』1998年12月号より、当時対談をその場で聞いて記事にまとめた私が転載)
岩瀬は『新聞が面白くない理由』の後は、新聞や記者クラブについての著作は残していない。前述したように、人づてに聞いたところでは「こんなくだらないことに関わっていたくない」というのがその理由だったらしい。だとすれば、今の日本における新聞ほかマスメディアが属する「記者クラブ」への批判は、約15年間に渡って足踏みしてしまったともいえよう。そのあまりにも長すぎる空白を乗り越えて、いかに実効的なアクションを通じて記者クラブの改革もしくは解体につなげるかが、そこから排除され続ける出版人・雑誌人も含むザ・レスト・オブ・アス(残された私たち)に課せられたテーマだ。
次のような文章も参照にされたい。
http://d.hatena.ne.jp/teru0702/20120720/1342762066
http://d.hatena.ne.jp/teru0702/20120727/1343371862
http://d.hatena.ne.jp/teru0702/20120218/1329549033
http://d.hatena.ne.jp/teru0702/20120213/1329112065
(岩本太郎)

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2)【本日の一行情報】(岩本太郎)

静岡県浜松市に住む77歳の男性が、あまりの松本清張好きが嵩じたあまり、とうとう自宅の一室を「松本清張ワールド」と名付け、2000冊以上の関連本や500点を超える映像作品を独自に収集のうえ蔵書。さらに昨年12月末には著書や対談などの情報5300項目を収録した「松本清張索引辞典」を日本図書刊行会から自費出版した。インターネットを使わず携帯電話も持たず、上京して神保町の古本まつりを回ったり、さらには新聞販売店を回って清張の訃報記事も集めたりしたそうだ。こういう人はみんなで大事にしなければならない。
http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20160106/CK2016010602000048.html

第二次世界大戦末期、日本占領下の中国・北京にあった毎日新聞北京支局が1944年11月号から45年8月号まで発行していた日本語総合誌『月刊毎日』がこのほど見つかった。国会図書館にも蔵書がなく、毎日新聞にも今では記録がないという幻の雑誌だったが、立教大学石川巧教授が昨年夏に熊本市内の古書店で45年1月号を見つけたほか、北京大学にも45年5、6月号を除く8号分が現存していたという。その時期のことゆえ記事の多くは大政翼賛的な言論に彩られている一方、石川達三壺井栄尾崎士郎らによる時の体制への批判を匂わす小説も載っているという。
http://www.asahi.com/articles/ASHDK6FCSHDKUCVL026.html

◎昨年は『絶歌』で話題をさらった神戸児童連続殺傷事件(1997年)の犯人「酒鬼薔薇聖斗」こと元少年Aだが、本はそこそこ売れたものの第二弾を出せる見込みがなく、10月に始めた有料ブロマガも凍結されてしまったことから「環境的に孤立しつつあり、そのイライラが“暴発”しないとは言い切れません」(ITジャーナリストの井上トシユキ)と「日刊ゲンダイ」が報じている。
http://news.livedoor.com/article/detail/11024761/
“暴発”する前でも後でも(できれば前のほうが)いいので、A君、どこかでこれを読むことがあったら私(岩本)に連絡をください。

いしいひさいち出世作がんばれ!!タブチくん!!』のキャラクターが、5人組バンド・がんばれ!Victoryの最新シングル「青春!ヒーロー」のミュージックビデオに登場した。
http://natalie.mu/comic/news/171534
2009年に一時体調を崩して病気療養して以来、連載は朝日新聞朝刊の四コマ『ののちゃん』に絞っているいしいひさいちだが、そもそもの原点は双葉社漫画アクション』での連載をベースに1979年に単行本化された『がんばれ!!タブチくん!!』であり、その後も彼の四コマ作品は双葉社刊行の「DOUGHNUTS BOOKS」に収録された。今でも双葉社に行くと「私は『タブチ採用』で入社しました」という社員の方にお会いする。

◎イラン出身のユダヤ人歌手で、イスラエルの国民的スターであるリタ・ジャハーンフォルーズが幼少期に母親から聞いて育った話をもとにした絵本が日本語に翻訳され、光村教育図書より『白い池 黒い池 イランのおはなし』として昨年日本でも出版された。
http://mitsumura-kyouiku.co.jp/ehon/169.html
http://www.asahi.com/articles/ASJ156KRVJ15UHBI030.html
イランという国は、例えば日本人バックパッカーご用達のガイドブック『地球の歩き方』が、日本での海外バックパック旅行の最盛期だった1990年代でも最後まで「イラン篇」を出さなかったほど、日本人からは「遠い国」と思われている節がある。実際、今でも女性には外国人であってもスカーフ着用が求められたり、外国人向け高級ホテルなど以外では基本的に酒が飲めない、さらにはアメリカと既に40年近く断交していることもあって”敵性言語”である英語があまり通じないという難点がある。
ただ、よく知られるようにイラン国民はとても”親日的”だ。日本で1983年に放送されたNHKの朝ドラ『おしん』はイラン国内でも放送されて大好評を博し、1993年に初めて私(岩本)がイランを訪れた際にもテヘランの街角で「おしん!」と声をかけられたり、「タノクラというスーパーは実在するのですか?」と真顔で聞かれたくらいだ。
また、あまり知られていないが1973年から、上野公園等でのイラン人麻薬やによる偽造テレホンカードの販売が問題視されるようになった1992年まで日本とイランの間ではビザ相互免除協定が結ばれており、その結果としてイランでは日本円が流通していたらしく、私も「日本円もってるか?」と滞在中によく聞かれた。
http://laughy.jp/1424310002582168417
そんなわけで本来ならば日本人にとっても非常に旅しやすい国のはずなのだが(古都のイスファハンなどは女性が訪ねたら大喜びしそうな美しい街なのだが)、今回のようにサウジアラビアとの断交の件が報じられたことで、再びイランを忌避するムードが広がるとしたら残念だ。ちなみに『ハフィントン・ポスト』は年末に「訪れてわかったイランの姿― 見ると聞くとは大違い」という記事を掲載している。
http://www.huffingtonpost.jp/triport/iran-usual_b_8882556.html

◎「鎌倉は人口当たりの出版社数が日本有数」なのだそうだ。鎌倉市内にある出版社の本を集めた「鎌倉の出版社に出会える本棚」のコーナーを、「かまくら駅前蔵書室」が1月4日に新設した。
http://shonan.keizai.biz/headline/2251/

◎宝島社による新春恒例の新聞広告、今年は樹木希林が水死体を思わせる姿で問いかける「死ぬときぐらい好きにさせてよ」だった。旦那(内田裕也)が続けて「そうはさせるかよ」と出てくることはないと思うが。
http://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000281.000005069.html

◎togetterのまとめ「『子どもに特撮ヒーロー観せると乱暴になるから観せない』に対する答えがその通りなんだけどなんか面白い」は、昔から語られてきたテーマだし、今さらやってもベタすぎない? とのきらいもないではないが、まあ面白い。「『子供に特撮ヒーローを観せると乱暴になるから観せない』という母親は昼ドラを観ながら不倫衝動とどう戦ってるんだろうな」とかね。
http://togetter.com/li/921808
そもそもテレビのバラエティなど娯楽番組制作者の間では、日本PTA全国協議会による「子供に見せたくない番組」ランキングに入るなどのいわゆる「ワースト指定」は、ずっと以前からむしろ「勲章」と受け止められてきた。振り返ればドリフターズの『8時だョ!全員集合』や近年では『ロンドンハーツ』、それに『クレヨンしんちゃん』もそうだった。
『全員集合!』は今でも何十年も前の映像がパッケージで出回るし、『ロンドンハーツ』は数年前にエミー賞を受賞しそこなった後に制作者に取材に行ったら「ワースト番組とエミー賞の両方を狙いました』と言われたし、『クレヨンしんちゃん』に至っては原作者が死去して7年経ち、昨年公開の映画が23作目で、しかも今でも年1回のペースで出すコミックが20万部くらいも売れる(双葉社の戸塚源久社長に先日インタビューした際に聞いた数字)。
つまり「ベスト」だろうが「ワースト」だろうが、人の心に突き刺さった作品は長生きしていくのだろうが、どうも近年は「ベスト」をもてはやす一方で「ワースト」を「何か言われないうちに早めに切り捨てておきましょ」的な力学が、かつてに比べて著しく余裕のなくなったマスメディア業界全般に見えない形で働いているような気がする。

◎マンガといえば今でも基本的に「フィクション」の世界だと一般的にはとらえられているのだろうが、「ノンフィクション」のマンガという領域は、そのぶんまだまだ未開拓領域として豊饒な市場が残されているような気がする。「精神科病棟入院、彼氏の逮捕、死の淵をさまよった脱腸…」といった「壮絶な半生」を描いて、リイド社から『みちくさ日記』として上梓した道草晴子へのインタビュー。
http://ddnavi.com/news/279009/a/

◎2015年末をもって、ドイツとフランスで国内の中波(いわゆるAM)によるラジオ放送が終了した。より高音質なFMやデジタル放送、インターネットなどに押されたということだが、記事によればヨーロッパでは「デジタルラジオDAB)」による放送が普及しており、ノルウェーではやがて「全FM放送の終了を計画している」とのこと。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1601/06/news124.html
ラジオ放送の歴史は国ごとの事情の違いが絡むだけに複雑だ。
テレビについては今や国内の放送が基本的にデジタル化されたが、ラジオは未だ迷走の中にある。かつて2000年に地上波キー局系によるBSデジタル放送が始まった際には行政からのお達しで各局ともラジオ(音声放送)も同時に始めさせられたもののほどなく全て消滅。その後もいくつかのトライアルは行なわれたものの実質的に頓挫している。既存のラジオ局のデジタル化についても、当初は業界ぐるみで実用化試験放送が行われていたものの2011年までに撤退。現在では「ワイドFM」なる代物が、テレビの地上波デジタル化によって空いた旧アナログテレビ放送の枠を使うことで始まっている。
蛇足ながら、国境を股にかけて放送される短波ラジオも、実は1990年代半ばの時点でITU(国際電気通信連合)で「2015年(つまり昨年だ)までに終了」するとの決議が国際的になされたことがある(私も当時「ラジオたんぱ」=現「ラジオNIKKEI」の担当者に取材に行った際にそう聞かされた)。ところが、それは2002〜2003年に再び正式な議決を経て撤回され、今も短波放送は継続している。
http://blog.livedoor.jp/ourplanet_iwamoto/archives/50885489.html
ラジオをめぐる深層海流での動きはなかなか表面化しにくく、取材する側にもかくもつかみづらい。

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3)【深夜の誌人語録】(岩本太郎)

元気出して行こう。たとえ失敗しても、その結果を受け止められる元気出して行こう。