伊達政保『現在につづく昭和40年代激動文化』を一気に読む!

まさか頭脳警察のパンタと山下洋輔の共演が実現するとは!昔、昔、その昔、三里塚で開催された「幻野祭」以来のことではないか。ま、パンタは歌わなかったし、山下洋輔は弾かなかったけれどね。そうスピーチでの共演。でも、スピーチであっても、この二人を共演させてしまうなんて、さすが伊達さんだと思ったよ。実は昨日、如水会館で「伊達政保氏出版記念パーティ」が開かれ、オイラも顔を出した次第。パンタがスピーチを終えて壇上から降り、オイラの前を通りかかるじゃないか。発作的に握手を求めちまったよ。「『プラハからの手紙』が大好きなんです」なんて言いながらさ。オイラもミーハーだね。おっと、いけねえ、伊達さんの文章における口調が移ってしまった。「オイラ」を総て「私」に訂正。
本のタイトルは『現在につづく昭和40年代激動文化』。「激動文化」と書いて「ラジカルチャー」と読む。むろん、ラジカルとカルチャーを交尾させての造語である。加えて言えば伊達さんの存在そのものが「ラジカルチャー」にほかなるまい。だって、そりゃあそうだろ、1984年のことだけど、新宿区役所に乗り込み、不当配転に抗議し切腹してしまったんだぞ。曰く「切腹とは、追い詰められた個人の最後の自己表現なのだ」と。まあ一命はとりとめたから、こうして出版記念パーティなんてやっているんだけれど、切腹なんぞ私には逆立ちしてもできないことである。その切腹に際して、見届け人となったのが、朝倉喬司である。二人しての道行きは伊達さんのことだから『昭和残侠伝』を意識していたのかもしれない。しかし、その朝倉さんは今や故人となった。ちょうど一年前の3月13日にこの如水会館で偲ぶ会が催されたんだよなあ。蛇足ながら拙著『三角寛「サンカ小説」の誕生』の出版記念パーティも昨年11月13日にやっぱりここでやったんだよね。
あだしごとはさておき、昭和40年代とは本書の冒頭に掲げられた年表を参考にして言えばアメリカの北爆開始から東大安田砦の落城を挟み東アジア反日武装戦線による企業爆破事件に至る10年である。富樫雅彦カルテットの結成から藤圭子のデビューをはさみ山口百恵の『ひと夏の経験』に至る10年である。
確かに西暦では括れない「政治や文化が混沌として激動していた時代」であったことは間違いあるまい。それは伊達さんにとって他人事ではなかった。伊達さんは混沌として激動する政治や文化に深く関与した圧倒的な当事者でもあるのだ。その辺りの事情は第五章の「70年代の平岡正明」を読めばわかる。昭和44年に中央大学に入学してからの暴れっぷりは感動的ですらある。三里塚で逮捕された際に同房となったのは時事通信社田崎史郎であったことも、この文章で初めて知った。いずれにせよ、伊達さんは中大闘争の枠組には収まりきらず、かの谷川雁を「敵」にまわしてのテック闘争にも参戦する。テック闘争を担ったのは、よく知られているように平岡正明だが、そこで朝倉喬司や「東アジア反日武装戦線」の斉藤和とも知り合うし、平岡を通じて竹中労と知り合うといった具合だ。そうそう朝倉喬司が会長をつとめた「講談社記者会」にも伊達さんは『週刊現代』の特派記者でも何でもないのに首を突っ込む。竹中、平岡、朝倉は今やみな故人である。ミクロネシア独立は平岡、朝倉に加えて船戸与一に伊達さんか。
伊達さんにとって「政治か文化か」などという煩悶は無意味であったに違いない。「政治即是文化」にして「文化即是政治」の渾然一体が伊達イズムの真骨頂である。
むろん、伊達さんにとって「昭和40年代激動文化」は時代の徒花なんぞではない。それこそトロツキー永久革命論ではないが、「昭和40年代激動文化」は現在においても「強固に存在しているのだ」ということになる。ノスタルジーなんざ端から拒否、平成の、21世紀の現在に「昭和40年代激動文化」の落穂拾いをするといったような女々しさとは無縁なのである。伊達さんは今も当事者、だから「いまだに正真正銘の左翼」として、ど真ん中から「ラジカルチャー」を擁護する。例えばソウル・フラワー・ユニオンのアルバム『エレクトロ・アジール・バップ』をこう評する。

ロックとは過激で革新的な魂であること。ロックとはソウルであって演奏のスタイル(形式)ではないこと。模倣ではなく自分たちのロック、現在の日本のロックを作り出すこと。10年以上前は誰しもが一度は考えたことだ。スタイルばかりで中身のないロック、ロックのふりをしたポップ歌謡がはびこる現在、このアルバムをロックと言わずして、何をロックというか。

勝新太郎従軍慰安婦問題を片付けてしまうのも伊達さんならではの「腕力」であろう。

兵隊やくざ」シリーズを見れば、従軍慰安婦という存在が、あったかなかったかとか、自主的か強制か、なんて論議はぶっとんでしまう。なにせこの映画のサブ・ストーリーは、従軍慰安婦を足抜けさせる話なのだから。
大衆映画でさえ、いや、だからこそこの程度の認識は当時当たり前であったのだ。勝新はその中で防御としての武器と暴力、権力に対する暴力、持たざるものの暴力を演じきり、ヒーローとなった。オイラにとって、河内音頭を知るきっかけとなった「悪名」においては、あくまで素手の暴力にこだわっていた。

何しろ『混民族芸術論 バスタード・オン・ザ・ボーダー』以来、16年ぶりにして3冊目の評論集だけにゲップが出るほど「左翼の恍惚」を堪能できる。