朝日新聞の讀賣巨人軍批判は常軌を逸脱した「狂気の沙汰」だ!

プロ野球ファンならずとも、ドラフトで逆指名が認められていた時期には、意中の新人を獲得するに際して、スポーツ新聞が報じるような契約内容とは別のカネが動いていたであろうことは簡単に想像がつく。私などもヤクルトに入団が確実だと思われていた高橋由伸選手が巨人軍を逆指名した際には、カネで巨人軍を選んだのだなと居酒屋で舞台裏を想像して大いに盛り上ったものである。そういうカネ絡みの問題も含めて私はプロ野球を楽しんできた。今回の朝日新聞の報道でも高橋選手の契約金が5億円にしか過ぎなかったことに驚くとともに、船橋市在住の私としては「親父の不動産会社の件で色々とあったのは間違いないな」とプロ野球にはまだまだウラがあるのだろうと、これまた居酒屋でああでも、こうでもないと想像を逞しくするのである。そして、お開きの時間が迫ると、どこからともなく「それにしても、こんな15年以上も前の昔話を蒸し返す朝日新聞って他に報道するネタがないのかよ」という意見が出て、これに応えて「朝日の社会部はこんな取材にウツツを抜かしているよりも、東京電力にもっと切り込めよ!」という話を区切りにして散会となる。
朝日新聞は連日のように讀賣巨人軍の「巨額契約金問題」に大きなスペースを割いて報じている。まるでスポーツ新聞であるかのように。
昨日3月16日の一面では「巨人、入団前に現金」「04年 野間口選手へ200万円」、二面では「金権野球また発覚」と続き、社会面でも「大学監督に謝礼約束か」「巨人、委託料2000万円」「二岡選手在学時」と総ては名無しの権兵衛の匿名記事で報じた。ただし、二面では総てが匿名ではマズイと判断したのか、元報知新聞記者で現在は朝日新聞編集委員の肩書を持つ西村欣也を登場させ、次のように言わせている。

ドラフト制度を根幹から揺るがす巨人の行為はけっして許されるものではない。

さすがに今日3月17日付になると一面では報じなかったものの、何と社説と社説の対抗面にあたるオピニオン欄「耕論」で取り上げているし、社会面では昨日に引き続き二岡選手絡みの大学野球部の監督との謝礼問題を取り上げている。社説のタイトルは「巨人の契約金 ファンに正直だったか」、曰く―。

6選手の契約金は最高標準額の6割増しから6倍以上だ。たとえ「緩やかな目安」だとしても度を越している。
なにより、申し合わせの内容は世間に公表されてきた。「最高で1億5千万円が目安」と聞いて「10億円払ってもいい」と受け取る人がいるだろうか。
野球ファンに対して不誠実な態度と言わざるをえない。
巨人軍が選手の一人に渡したとされる文書に「球界のルールを越えて契約金を受け取ったのが判明」すると「あなたにとっても球団にとってもまずいことになる」とある。ルール違反をわかっていたとしか読めない。

「耕論」に登場したのは元ヤクルトの名スカウトマン片岡宏雄、大リーグの事情に詳しいマーケティング会社代表の鈴木友也、スポーツライター小関順二の三氏だが、三氏とも讀賣巨人軍を全面的に擁護するオピニオンではなかった。
こうした朝日新聞の連日にわたる報道は明らかに常軌を逸脱して「狂気の沙汰」だと私は思っている。それは朝日新聞の根っこに横たわる「正義感」が発動せしめた「狂気」に他なるまい。民主党元代表小沢一郎を「政治とカネ」の問題で追いつめたイデオロギーの根底にも流れていた「正義感」である。しかし、最終的には民衆の生活感情から乖離し、民衆からの孤立を余儀なくされる「正義感」である。
今回、讀賣新聞の報道で私は初めて知ったのだが、最高標準額は「緩やかな目安」にしか過ぎず、上限ではなかった。そういう意味では巨人が「緩やかな目安」を遥かに超えた契約を結んでいたとしても、「法」(=ルール)を逸脱してはいない。これだけ大幅な紙面を費やして報道する価値など、どこにもない問題なのだ。朝日新聞は巨人を「金権」だとして批判するが、巨人の巨額契約で損害を蒙った被害者など、どこにもいないのだ。私たちはプロ野球の12球団で新人の入団契約金の最高標準額が申し合わされていたとしても、巨人と必ずしも相思相愛の関係ではなかった高橋由伸上原浩治二岡智宏が巨人を逆指名した際に相当のカネが動いていたことくらい日々の生活の知恵から察していた。野球で一芸に秀でていると莫大な金銭を手にできるのだから、羨ましいかぎりだと、そう思うのが民衆の生活感情にほかなるまい。もちろん、やっかみもあるが、そうした「緩やかなルサンチマン」を朝日新聞のようなマスメディアに代弁してもらうつもりなど微塵にもない。朝日新聞は社説で「野球ファンに対して不誠実な態度」と胸を張って書くが、私たちは巨人の「不誠実な態度」をなじるより以前に、「緩やかな目安」にしか過ぎずとも、最高標準額を申し合わせたことにより、懐具合に問題のある球団が、契約金を抑止できたことで経営的に助けられたであろうことを容易に想像できるのだ。それでも居酒屋でカネの問題にかこつけて巨人を徹底的に批判するのは、私たちアンチ巨人ファンのお楽しみの一つなのである。プロ野球の開幕を直前に控えて、その程度のことに血眼になる朝日新聞は、だから民衆から孤立しよう。
確かに朝日新聞が書くようにプロ野球は新人獲得をめぐって金銭問題に揺れた。2004年には大学の選手に対して栄養代とか何とかという名目でカネを渡していたことが発覚し、三球団のオーナーが辞任をしたし、2007年には西武もアマ選手に対する金銭提供で制裁を受けた。こうした問題にしても、私はプロ野球が将来有望なアマチュア選手に対するバックアップのどこが悪いのか理解できない。むしろ、そうしたバックアップを許さないようなルールが罷り通ることの方がおかしいと考えるし、プロ球団がアマチュアのユースチームを結成し、そのユースチームが甲子園大会にも参加できるような枠組を作り上げることのほうが、よほど野球界を発展させることになるのではないだろうか。もう少しサッカーを見習えば良いのだ。もっとも甲子園ピューリタニズムを死守しなければならない朝日新聞にとって、そうした構想など提案できるはずもないのだろう。讀賣新聞の拡販戦略に讀賣巨人軍が欠かせないように朝日新聞の拡販戦略にあって夏の甲子園という高校野球は欠かせないのである。しかし、これまた私たちにとっては周知の事実だが、高校野球が建前のピューリタニズムと裏腹に相当、汚れているだろうことは容易に察しがつくし、夏の甲子園をめぐって囁かれる金権体質に朝日新聞が鈍感にならざるを得ないのもとうの昔から承知しているのである。
朝日新聞であろうとなかろうと、新聞が誰かを悪いことをしているからけしからんと批判しはじめたり、何かを批判することが善いことだと思ってキャンペーンを張りはじめたときは、その「正しさ」の排他性に注意すべきである。新聞が主張する善いことの裏側に悪いことを必ず想像すべくなのである。新聞記者のごとく頭の良い人たちの言い分(=正義感)に流されるのではなく、どんなことでも自分の頭で考えてみるということが大切なのである。私はそのことを吉本隆明の著作から学んできたように思う。合掌。