「政治とカネ」で政治家を断罪するのはマスメディアに依拠したジャーナリズムのお家芸である。古くは田中角栄にその死に至るまで「金権」のレッテルを貼り続け、最近では民主党元代表の小沢一郎が標的にされた。そうした蛮行を飽きるほど繰り返しておきながら、朝日新聞の「天声人語」(3月25日付)は『昭 田中角栄と生きた女』を取り上げながら、「…何とも言えぬ懐かしさが込み上げる」と書き、その原因を「決断も実行もしない『薄味』の政治に飽きたせい」だと無責任にも書いている。朝日新聞の「政治とカネ」報道が「決断も実行もしない『薄味』の政治」に加担していることを棚にあげての物言いに私は吐き気すら覚える。しかも、一面を飾っているのは「原発とカネ」なのだから、こいつらは何も懲りていないのである。それとも「読売巨人軍とカネ」に飽きたから、「原発とカネ」なのだろうか。「〜とカネ」という切り口で政治家を断罪し、プロ野球選手を断罪し、今度は科学者を断罪する。「福井県原子力委員に1490万円」という見出しの大谷聡と萩原千秋による署名記事である。
全国最多の原発14基を抱える福井県から依頼され、原発の安全性を審議する福井県原子力安全専門委員会の委員12人のうち、4人が2006〜10年度に関西電力の関連団体から計790万円、1人が電力会社と原発メーカーから計700万円の寄付を受けていた。朝日新聞の調べでわかった。
こうした記事が電力会社からカネをもらっている「御用学者」の発言は信用できないという社会の空気を更に強めることは間違いない。福井県原子力委員に属する5人の科学者が標的になったのは、大飯原発の再稼動問題が絡んでいるのは言うまでもない。記事にもある通り、政府が福井県に大飯原発の再稼動に同意を求めたならば、福井県は福井県原子力安全専門委員会に助言を求めることを見越してのことである。委員12人のうち5人が審議対象と利害関係にあるという委員会に疑問符をつきつけているわけだ。政治やプロ野球に対して「不信」を煽った同じヤリクチで「科学」に対する「不信」を煽る。大谷聡や萩原千秋にとって、そうして煽った結果が「科学」の荒廃につながることなど想像の埒外なのであろう。
しかも、朝日新聞は(他の新聞やテレビも似たりよったりだが)、「〜とカネ」報道に依拠するばかりで、大飯原発の再稼動問題でも科学者の言葉を無視している。私は昨日のブログで
…原子力安全委員長の斑目春樹も奥歯にモノの挟まったような言い方をしている。斑目は23日の会見でストレステストの一次評価を認めながらも朝日新聞によれば「今後、もっと踏み込んだ現実的な評価をしてもらいたい」と注文をつけたというのだ。
と書いたが、実際、斑目春樹は奥歯にモノの挟まったような言い方はしていなかったのだ。大飯原発の再稼動問題について「科学者」として誠実に、なおかつ問題の核心をついた立派な発言をしていたのである。それを「今後、もっと踏み込んだ現実的な評価をしてもらいたい」と注文をつけたというだけの発言に矮小化してしまったのが朝日新聞であったのだ。私が斑目発言の骨子を知ったのは下村健のツイートによってである。下村のツイートをここに採録してみよう。
一昨日、原子力安全委が大飯原発の安全審査を“妥当と認めた”と大報道された件。やっと昨日深夜、ニコ動でその委員会直後の斑目委員長の会見をノーカット動画で見て唖然。報道から受ける印象と、実際に斑目氏が言ってる事が、殆ど真逆! 一切の私見を挟まず、ただ同氏の発言内容だけを採録する。
斑目会見発言①「妥当という書き方は、この中には一切していない。妥当性に関して白黒つけるものではない」「安全性の確認ということに関して、我々は何も発言していません。あくまでも、総合的安全評価としては、1次評価では不十分ですと申し上げています」
斑目会見発言②「総合的安全評価はあくまで1次・2次評価をあわせてやるもの。非常に簡略的な方法で1次評価が出て来たので、それに対しては2次評価に向け色々と意見を付けさせてもらった。ある意味で全てYes, but。もうちょっと現実的な評価をやって下さいよというのが、後ろにくっつく」
斑目会見発言③「やはり総合的安全評価という意味では、もっと踏み込んだ現実的評価をやって頂きたい。これではまだちゃんとした評価になってないな、と思うところは多々ございます。例えば、4頁の…[略]…このシナリオ以外のことも考えて頂きたい、というのが裏にあります」
斑目会見発言④「現実的評価をぜひお願いしたいと思っているのは、これで出来たシナリオというのは、『本当はそんな事は無いよ。そんな値では決して壊れないよ』と現場の人が思いこんでしまう可能性がある。そうすると、また変な安全神話が生まれかねない」
斑目会見発言⑤「ストレステストと再稼働を結び付けている国はない。それはそれで1つの政治判断としてなされること。今まで1次評価を保安院でやられたが、それではやっぱり世界的に納得を得られるものではないでしょう、ぜひこういう深さまでやって頂きたい、ということを提案した」【了】
朝日新聞は③の部分ある「もっと踏み込んだ現実的評価をやって頂きたい」という件しか報道していない。しかも、「総合的安全評価という意味では」という肝心なところは削除してしまっている。何故、朝日新聞は、斑目春樹のこうした「科学者」としての発言を真摯に受けとめ、正確に報道することをサボタージュしてしまったのだろうか。もっと正確に言えばサボタージュするのみならず、斑目の「科学者」としての発言を恣意的に矮小化してしまったのではないか。私は斑目発言の総てを了とはしないが、ストレステストのあり方や原発の再稼動について重要な問題提起があったことは間違いあるまい。しかし、朝日新聞は斑目発言を無視し、「原発とカネ」報道に舵を切ることで、科学者を断罪し、「科学」を「薄味」にすることに加担してしまっているのだ。そうすることで大飯原発の再稼動問題を軽量化してしまっている。
斑目発言を無視する点では朝日新聞も読売新聞も同じだが、社説で「内閣府の原子力安全委員会が、福井県にある関西電力大飯原子力発電所3、4号機の『ストレステスト(耐性検査)』について、“合格”とする検証結果をまとめた」とまで書き、大飯原発の再稼動の政治判断を後押しする読売新聞よりも、「原発とカネ」の問題を報じた朝日新聞の方がマシだと、「反原発」や「脱原発」を掲げる連中は短絡するかもしれないが、私からすれば同罪なのである。戦前の軍国主義と同様に神がかった「反原発」派は別にして、どんな「脱原発」であろうとも、当面は原発と共存しなければなるまい。そうで以上、福島第一原発の過酷事故の後に菅政権によって導入された原発のストレステストが新たな安全神話を生み出す道具としてではなく、「総合的安全評価」として機能させなければならないことに誰も異存はあるまい。そのためには斑目が言うように「もっと踏み込んだ現実的評価」が必要だとするならば、では「もっと踏み込んだ現実的評価」とは何なのかを「科学者」に取材することで明らかにすることが、朝日新聞や読売新聞に課せられた重要なテーマであったはずだ。そこから「逃げた」という意味で同罪なのである。大新聞は「ノーモアフクシマ」の実践を少しも繰り込んでいないということなのだ。かくして雰囲気だけの「脱原発」が福島の現実を疎外して社会に蔓延する。