レバ刺しを求めて並ぶ長蛇の列と首相官邸前の大群衆

今日から牛のレバ刺しが居酒屋のメニューから消える。週末の金曜日、土曜日は牛のレバ刺しを提供する店には長蛇の列ができたようである。今朝のNHKの朝7時のニュースでは最初に小沢一郎の離党問題を取り上げ、次に取り上げたのは牛レバーの話題であった。
その一方、金曜日の首相官邸前には大飯原発再稼動反対を主張する万単位の群集が集まったし、大飯原発前の路上が大飯原発再稼動反対を主張する若者たちによって昨日から占拠されていた。この路上占拠のことを私はツイッターで知り、昨日からUstreamの中継も見ていた。むろん、国家のイデオロギー装置の代表格たるNHK大飯原発前の路上で起きている出来事を7時のニュースで報道しなかった。大飯原発の再稼動にとって若者たちによる路上占拠など些細な出来事にしか過ぎないという認識なのだろう。新聞もまた似たりよったりのスタンスであった。朝日新聞天声人語もレバ刺しには関心があっても、大飯原発に対する関心は早くも薄れてしまったようである。
もっとも、だからといってレバ刺しの問題など扱わなくても良いから、大飯原発前の路上占拠をNHKが取り上げるべきだとは断じて思わない。本来であれば、ともに取り上げるべきニュースなのである。レバ刺し問題でも放射線を当てれば生食に問題がなくなることをもっとちゃんと報道すべきであるはずだ。

梅雨入りで食中毒が心配な季節に入ったが、実は、生ものであっても加熱処理することなく食品の内部まで均一に細菌や寄生虫を殺せる方法がある。「放射線照射」といって適量の放射線を当てて消毒するやり方だ。
7月から厚生労働省が飲食店での提供を禁止する牛の生レバー(肝臓)も、放射線の性質を上手に利用すれば、高齢者や幼児も安心して食べられるようになるという。6月25日付産経新聞社説「レバ刺し禁止 放射線の利用なぜ考えぬ」

この週末、私はレバ刺しを求めて並ぶ長蛇の列と首相官邸前に大飯原発再稼動反対を主張して集まった大群衆や大飯原発前の路上を占拠する若者たちという三つの光景を眼前にしたわけだが、それらの光景を比較して優劣をつけるような議論を私は認めない。ともに日本の情況であり、日本の現在であることに何ら変わりはないはずである。
ましてやレバ刺しを求める人々よりも首相官邸前にかけつけた人々のほうが問題意識があって良いなどという進歩派や良心派が得意とする評価の仕方には断固反対したい。というよりも、そうした相も変わらずの思考法にはいつもながら反吐が出る。レバ刺しを求めるか、首相官邸前に出かけるかどちらの行動を選択したかは単に趣味、嗜好の違いであり、要するに好みの問題にしか過ぎまい。
また、こうも言える。昨晩、レバ刺しを求めて並んだ若者のひとりが、どこかの原発の前で再稼動反対を叫び、路上を占拠するということだって、きっかけさえあればあり得るのである。もっと言うのであればレバ刺しも食さず、首相官邸前に繰り出すこともなく、別の何かをしていたという週末の生活も当然あるだろう。むしろ、いつもと変わりばえのしない週末を過ごした人々が圧倒的な多数派であることだろう。
しかし、そのことをもってして誰かに後ろ指をさされる筋合いのものではないのだ。何かをしたから偉いということもないし、何もしなかったから駄目だということではないのである。実際、何かをしたつもりでいても、何にもならなかったということのほうが人生では多いに違いない。吉本隆明にならえば自分が「善いことをしている」と思っている時には、「悪いことをしている」と思えばちょうどよいのである。
いずれにしても、その日に何をしようとも、それは全く個人の自由なのである。その「私」の自由は最大限に尊重されて然るべきなのである。昨年の東日本大震災以来、ボランティアがブームとなったが、たかだか流行に乗らなかったからといって非難されることなどあっては絶対にならないのである。ボランティアに趣味や流行以上の価値を認めるべきではないのである。逆に自由の多様性を認めない価値観(どこか偉そうで説教臭い価値観である)を内包した社会意識、政治意識の行き着く場所は昔から相場が決まっている。そうファシズムとかスターリニズムといった類の全体主義である。
ちなみに牛のレバ刺しを法律で禁じたことも、私たちから簡単に食の自由や食文化を奪うという意味で反動的な法改正が行われたということである。手順の民主主義を無視した原発の再稼動も、食の自己決定権を尊重しない牛のレバ刺し禁止も同じ腐った根っこから生まれているのである。東京新聞の6月30日付社説によれば「昨年一年間に発生した食中毒のうち、牛レバーの占める割合は約1%。生鮮魚介類によるものの二十分の一以下」であるし、「生卵のサルモネラ中毒よりも下回る」そうだ。原発は安易に稼動させ、牛のレバ刺しは安易に禁止する。それが日本低国の今だということである。