大飯原発の再稼動について

大飯原発の再稼動問題が新聞の紙面を賑わせている。関西電力や政府はもっと簡単に再稼動に踏み切れると考えていたのかもしれないが、政府と電力会社が一体となって原発の「絶対安全神話」を国民に植え付けてきたことが、福島第一原発の過酷事故を経験することによって、逆に原発に対する不安感や不信感を根深いものにしてしまっている。
当たり前のことだが、どんなに安全に配慮しても原発に限らず、どんな最先端のテクノロジーや堅牢なシステムであっても事故は起こり得る。人類が開発したテクノロジーで事故を起こさなかったテクノロジーなどないのである。事故が起こる確率が、たとえ天文学的に小さな数値であっても、そうした事故を想定し、その際、どうすれば被害を最小限に食い止められるか、その準備が確立しているかどうかが原発においても問われなければならなかったが、政府や電力会社は自らが国民に啓蒙してしまった「絶対安全神話」に自縄自縛してしまった。
福島第一原発のような過酷事故が起こり得ると想定することは、国民が「科学」とは無縁の「信仰」にまで高めてしまった原発の「絶対安全神話」を裏切ることになる。だから、政府や東京電力にとって福島第一原発で起こったことは、総てが「想定外」であった、「想定外」でなければならなかった。
点検により停止中の原発を再稼動するには事故は起こり得るのだということの了解を国民に求めなければなるまい。国民を原発の「絶対安全神話」というアヘン中毒から解放しなければならないはずなのだ。そのために経済産業省とは切り離して原子力規制庁を発足させるのだし、ストレステストを実施したのではなかったか。ところが未だに原子力規制庁は発足していない。原発を推進する立場の経済産業省のもとに原子力安全・保安院が置かれたままであるし(原子力ムラの出先機関のままであるし)、ストレステストにしても、東京新聞が3月22日付の社説で書いた通り、電力会社の言い分を認めるだけで、不合格のないテストなどテストの名前に値しまい。

一次評価では、地震津波などの衝撃に原発がどれだけ耐えうるか、その余裕度を当の電力会社がコンピューターで解析し、その結果を保安院原子力安全委、政府の順でチェックする。すべて福島第一原発事故で信頼性が地に落ちた機関である。事故の原因究明も収束もできていない段階で、その判断を信じろというのが無理だ。
四国電力は、伊方原発3号機の一次評価で、耐震性を想定の一・八六倍としたが、審査の結果一・五倍に修正した。それでも保安院は「妥当」と評価した。
落第なし。安全性にお墨付きを与えるだけのテストならテストの名に値しない。

更に加えて言えば原子力安全委員長の斑目春樹も奥歯にモノの挟まったような言い方をしている。斑目は23日の会見でストレステストの一次評価を認めながらも朝日新聞によれば「今後、もっと踏み込んだ現実的な評価をしてもらいたい」と注文をつけたというのだ。
原発という核の平和利用は科学の問題である。ただし、科学として国民に開かれていなければならないはずだ。しかし、政府及び電力会社は事故を事象と言ったり、私からすれば何を言っているのかサッパリわからない言葉でしか原発の事故を語れなかった。ただ専門用語を連発するのみであった。政府や東京電力は過酷事故の責任から回避するために言葉を密教化してしまったのだ。それは「撤退」を「転進」と言い換えた文化と同じで、科学として国民に開かれていなかったことを意味する。国民が信用するに足る言葉を信用するに足る専門機関が発することなしに原発を再稼動させることは「絶対安全神話」のバイアスが強くかかっていたぶん国民の原発不信を更に広げ、更に深めるだけなのではないか。
政治主義的な妄動に過ぎない「反原発」の類は別にして、「脱原発」であろうが、「脱原発依存」「減原発」であろうが、全国の原発五十何基だかを即座にやめてしまうことが現実的な選択肢でないことは理解していよう。「脱原発」を真摯に実現しようと思うならば、代替エネルギーの開発や廃炉の作業も含めて、どうだろう40年から50年はかかるはずである。それまではどんなに原発に恐怖を覚えようが、私たちは否応なく「核」とともに暮らすしかないのである。そうであればこそ、手順においてはポスト福島を踏まえるべきだし、ここで手順を間違えてはならないはずだ。そのうえで政治は科学を根拠としたリアルな言葉の発信を欠かせまい。再稼動に前のめりになるだけでは駄目なのだ。野田佳彦首相に言いたいのは政治の「安易」、政治の「拙速」は混乱を増長するだけであるということである。

国土ヲ離レテ国民ナク、国民ヲ離レテ国民社会ナク、国民社会ヲ離レテ人生ナシ。

5.15事件に連座した橘孝三郎の『日本愛国革新本義』の冒頭に掲げられた「檄」の一節である。福島第一原子力発電所の過酷事故は、9万人にも及ぶ、まさに「国民」を「国土」から引き離してしまった。その罪の大きさに見合った言葉がゲンパツを稼動させる政治の言葉には問われているのである。ちなみに5.15事件に際して橘孝三郎が組織した農民決死隊は東京近辺の発電所を襲撃した。橘にとって変電所襲撃は資本主義の暴走に対する異議申し立てに他ならなかった。橘は行き過ぎた資本主義こそ「国民」から「国土」を奪う元凶と考えていたに違いない。橘の危惧が福島第一原子力発電所の過酷事故で現実のものとなったと言えるかもしれない。