「エネルギー・環境に関する選択肢」に対する経済界のパブリックコメント

2030年度の「エネルギー・環境に関する選択肢」をどうするかでパブリックコメントが募集され、原発依存度が0%、15%、20〜25%という三つのシナリオのうち圧倒的多数が原発ゼロ社会を望んでいることがわかった。しかし、目を経済界に転じるならば0%支持はゼロといって良いだろう。原発依存度が20〜25%の現状維持さえ簡単には認められるものではないらしい。財界の総本山たる日本経済団体連合会(経団連)は政府が議論の叩き台として提案した三つのシナリオを次のようにそれぞれリアリティに欠けるとして批判している。

・「ゼロシナリオ」は、省エネ・再エネの大幅な導入のため、経済性を考慮せず国民負担の大幅な増大を前提とした施策が必要とされる点を含め、実現可能性において最も問題がある。また、エネルギー源の多様性が求められるなか、原子力を将来のエネルギー源の選択肢から除外している。
・「15シナリオ」は、省エネ、再エネ比率の実現が困難であることに加え、原子力の維持の判断を先送りしている点は、政府が選択しうる責任あるシナリオとは言えない。
原子力が維持される見通しが立たなければ、技術や人材の確保に支障をきたし、大震災を踏まえた安全技術による国際貢献も困難になろう。
・「20〜25シナリオ」は、原子力をエネルギー源の一つとして維持する姿勢は評価できるものの、各シナリオ共通の問題である省エネや再エネの導入見通しの実現可能性や電力料金の上昇など問題が多い。  

経済界からすれば最低でも原発依存度が20〜25%でなければ困るということなのだろう。経済界からすれば原発そのものが重要な(儲かる)商売のネタである以上、そうは簡単に手放せないということでもあるにちがいない。多くの企業にとって原発は生命線なのである。ただ、満州は生命線だといって、そこにのめりこみ過ぎて昭和の日本はバランスを失ってしまったということもある。原発ビジネスの中心に君臨している電力会社の団体である電気事業連合会は国民のためにも原発依存度20〜25%は欠かせないという認識である。

しかし、今回示された選択肢では、省エネルギー再生可能エネルギーは、現行の野心的な「エネルギー基本計画」をさらに上回る想定となっており、実現可能性については大きな疑問を感じるところです。さらには、太陽光や風力発電の大量導入に伴う系統対策費用の算定根拠については十分な精査が必要であり、また、電力料金の大幅な上昇やマクロ経済へのマイナス影響によって国民に大きな負担を強いることについても十分な議論が必要であることなど、いずれの選択肢についても、わが国の経済成長および国民生活に与える影響は大変大きく、解決すべき課題は多いと考えています。
こうしたことを踏まえますと、私どもとしましては、今回示された選択肢のなかでは、安全確保を大前提に、原子力比率で言えば、少なくとも「20〜25シナリオ」が必要な水準であると評価しています。 

脱原発・反原発派が希望をよせる再生可能エネルギーについて電力会社は懐疑的なのである。再生可能エネルギーの普及を図るべく導入した固定買取制度は技術革新さえ阻害すると関西経済連合会は指摘している。

再生可能エネルギーを過大に導入すれば、そのコストの電気料金への上乗せが、企業の国内生産や雇用の維持、ひいては国民生活にとって大きな負担となる。また、再生可能エネルギーの導入を大幅に進めると、固定買取価格が上乗せされた系統電力の使用が敬遠されるなど、国民のエネルギー選択に影響し、選択肢で示されたものとは異なるシナリオとなる可能性がある。さらに、現行の固定買取制度は、その買取価格の高さなどから技術革新のインセンティブに欠けており、かえって技術革新の阻害要因になりかねない。 

電力会社の地域独占もあらゆる部分でイノベーションを阻害してきたのではないだろうか。そこは見ないのが経済人の作法であるにちがいない。いずれにせよ、太陽光発電風力発電といった再生可能エネルギーを大量導入することは国民にとってもマイナスだと多くの経済人は一般国民以上に心配しているようだ。そのことによって、電気料金は大幅に上昇するし、マクロ経済にも悪しき影響を及ぼすし、その結果、負担を強いられるのは国民にほかならないと危惧しているのだ。自らはフクシマから遠く離れて安全圏に身を置いているにもかかわらず、福島第一原発の過酷事故に怯えて脱原発を唱えているけれど、原発ゼロ社会を目指すとなると、行き過ぎた規制のもと、経済は歪んだものとなり停滞し、その結果、一番困るのは、そういうあなたなのですよと経済界は考えているのだろう。経済界からすると脱原発ナショナリズムは行き先を間違えた非現実的な精神主義であるにちがいない。むしろ、目指すべきは原子力技術の高度化ということになる。日本電機工業会は主張している。

原子力利用に関しては、化石燃料の資源制約、及びその輸入依存度が高まる状況の中で、エネルギー源の多様化の重要性を考えれば、福島第一原子力発電所の事故を踏まえた不断の安全性向上対策実施は当然の前提条件として、原子力発電が基幹電源の一つとして、少なくとも20−25%を占めるエネルギーミックスが不可欠である。
また、今後も新興国等で原子力利用が急増していくことを勘案すれば、現場の運転技術や“ものづくり”力の維持・継承を通じて、高経年炉を新設炉にリプレースし、更に、廃炉やバックエンド技術を蓄積するなどして原子力利用技術の高度化を図っていくことで、国際的な原子力安全利用に貢献していくことも我が国が果たすべき役割と考える。 

原発原理主義者が跋扈する経済界にあって、最も脱原発・反原発派に近いのは経済同友会である。それでもその主張は「縮原発」にとどまっている。

 まず、今回の原発事故の反省・教訓を十分踏まえ、新たな安全基準の策定、既存原発の安全性の徹底的な検証を行い、その結果を広く開示することにより、国民および国際的な信頼を回復しなければならない。その上で、安全性が確認された原発は継続活用すべきである。
 震災後の状況を考えると、震災以前の原発依存レベルに戻すことは困難である。したがって、中長期的には、再生可能エネルギー省エネルギーの推進を図りながら、原発への依存度を一定水準まで下げる「縮・原発」の方向が望ましい。
 ただし、世界のエネルギー需要の高まりや周辺国における原発建設の現状を考えれば、わが国が原子力の平和利用を断念し、技術・人材を絶やすことは国益に反する。当面の間、原発は世界のエネルギー安定供給に不可欠であり、技術や人材を失うことは、その技術革新への貢献の機会を失うことにつながる。したがって、より安全性の高い原発に関する技
術開発に注力し、国際機関や主要国との連携・協力の下、原子力安全分野での積極的な外交による国際貢献を展開すべきである。
 なお、既存原発の安全性検証にあたっては、立地、稼働年数、原子炉のタイプなど、既存原発の置かれている状況がそれぞれ異なっていることから、従来のストレステストのように一律に行うのではなく、原発一基毎の状況を丁寧に確認し、その情報を開示していくことが不可欠である。

首相が誰であっても経済界やアメリカを敵に回すような選択をしないだろうから、恐らくここら辺りを落とし所と考えているのかもしれない。