間違っても河内音頭に「クレオール」などという言葉を捧げてはなるまい。確かに河内音頭は大阪という都市がそうであるように強靭な胃袋を持つ。浪曲はむろんのこと、ジャズやフォーク、ロックにソウル、レゲエなど様々な音楽の要素を消化し、新たなエネルギー源としてきた。その過程で国境さえも、いとも簡単に食いちぎって来た。河内音頭がニューヨークやキングストンのダウンタウンに突如現れたとしても何の異和感もあるまい。歴史軸を設定してみても、説経節や声明、祭文など、この日本列島で生まれた様々な語り物の痕跡を河内音頭に見て取ることができるだろう。南無妙法蓮華経も南無阿弥陀仏も弘法大師・空海も河内音頭は消化してきた。
そういう意味では私とて「クレオール」という言葉を河内音頭に献上したい誘惑にかられないではない。しかし、河内音頭は河内音頭でしかあり得ないのである。河内音頭はインテリ向けに「クレオール」などという虚像を外部に持つことはせず、民衆とともに、盆踊りとともにありつづけ、老人から子どもまでを熱狂させてやまない「イヤコラセ」でしかないのである。「エ〜さてはぁ〜一座ぁあの皆さまぁへ〜/ちょいと出ました私は/おみかけ通りの悪声で」と三味線、太鼓、エレキギターが刻みだすリズムに乗って語りだされる河内音頭の「語り」の世界に私たちは引き摺り込まれざるを得ないのだが、その「語り」は「イヤコラセ/ドッコイセ」という合いの手によって進展していくのである。
河内音頭は楽譜がないというアナキズムに支えられている。動機に自由あれ!詞も節も自由なのである。音頭取りは「外題」と言われている「物語」を「歌」として想像力と創造力を駆使しながら自由に自在にを語りだす。口説くのだ。「男持つなら熊太郎弥五郎、十人殺して名を残す」の一節は「河内十人斬り」だ。犯罪者やヤクザものが河内音頭では当然のごとくヒーローとして扱われる。任侠道はお手のもの、公序良俗などものともしないのが河内音頭である。吉良の仁吉に坂田三吉、かと思えば南朝の楠正成公にに捧げるオマージュもあるし、原爆の悲劇を歌う「サチコ」もあれば、新聞(しんもん)詠みといって時事ネタを扱うこともある。河内音頭は一曲歌うのではなく、「一席詠む」のである。
しかし、河内音頭において「物語」は完結しない。音頭取りは全身全霊を込めて、煽りに煽りながら、クライマックスを直前にして、「物語」は打ち切られる。河内音頭にあって「物語」が完結されることはないのである。そう河内音頭は聴衆が「イク」ことを最後の最後で禁じるのだ。エクスタシーを直前にして梯子を外された聴衆はその切なさ、その刹那に耐えるべく、次なる「物語」を渇望するという連鎖のうちに時間が過ぎていき、場合によってはダンシングオールナイトで夜明けを迎えてしまうのが河内音頭の盆踊りなのである。
人々は「物語」が完結しないからこそ、櫓を前にして、ひたすら踊り狂うのである。汗を飛び散らかして自由が躍動する。そこに日常を超えた一晩限りの「解放区」が誕生する。年齢も、性差も、肩書も、何もかも超えての荊冠旗を友とする「解放区」である。
「おじいちゃんおばあちゃん/男前やら別嬪さん/差し手引く手も色模様/浪速名物盆踊り河内音頭で踊りましょう」
河内音頭が古典や芸術に成り上がることを拒否する。民衆の心情に寄り添いながら、民衆がそう望むのなら異種交配をものともせず、絶えざる「現在」として歌い続けられ、語り続けられ、踊り続けられるのである。そうするしかないのが河内音頭、野生のダンスミュージックである。
今日から二日間、錦糸町で「河内音頭大盆踊り」が開かれる。東京で河内音頭を聞くことのできる数少ない機会である。今年で31回目である。