「尾崎秀樹記念大衆文学研究賞」受賞にあたって

尾崎秀樹の名前が被さられている賞をいただけたことに感無量です。選考委員の皆様には感謝の言葉しかありません。
ここに1927年、昭和2年の「新聞総覧」があります。神田の古本屋で手に入れました。ここには新聞社ごとの社員一覧が掲載されています。朝日新聞のページを開くと、三角寛が戦後になってから書いた『サンカ物語』などで描いた朝日人がズラリと並んでいます。役職も三角が書いた通りです。三角の盟友とも言うべき荒垣秀雄の名前もあります。尾崎秀樹のお兄さんである尾崎秀実の名前もあるし、三角は一切触れていませんが顧問には柳田国男の名前もあります。しかし、三角寛の名前はありません。三角は朝日新聞記者であっても、正式な社員ではなかったのです。三角の足跡を追っていくと「うさん臭さ」が絶えずつきまといます。そもそも三角の名前を世に高らしめた「サンカ研究」にしてからが、相当に胡散臭い。私が三角の名前を初めて知ったのは吉本隆明の『共同幻想論』によってですが、そのときは、こんなに「うさん臭い」とは思いもしませんでした。しかし、三角寛を今の時点から読むのではなく、三角が生きた同時代の文脈から読んでみると、「うさん臭い」のは三角ばかりでないことがわかってきました。当時の新聞ジャーナリズムも相当に胡散臭いことがわかるのです。そのマスメディアの「うさん臭さ」しかも、その「うさん臭さ」の対極に三角寛のサンカを描くロマンを支持した民衆の「真っ当さ」があることもわかって参りました。ところが、三角寛のサンカにかかわる言説の「うさん臭さ」は次々に暴かれ、断罪されてきましたが、マスメディアやジャーナリズムの「うさん臭さ」はどうなったのでしょうか。現在もその「うさん臭さ」は相変わらず温存されている。決して、過去のものではないのです。3.11以後の新聞やテレビで展開された大震災や福島第一原発の「大」人災の報道を見るにつけ、私はその思いを強くしています。
最後に私の好きな詩の一節をご紹介したいと思います。
「ぼくは秩序の敵であるとおなじにきみたちの敵だ」(吉本隆明「その秋のために」)
自分なりの流儀でこれからも書きつづけたいと思います。