社会に流れる嫌な空気―反原発ファシズムや被曝ファシズムが横行しているのではないだろうか

原発原子力放射線放射能に関する新聞やテレビの報道は政局報道と同じタイプの報道が多いのではないか。一方のソーシャルメディアでも「御用学者」という言い回しに典型的なように自分とは異なる見解を述べると、ステレオタイプなレッテル貼りで切って捨てるというケースがやたらと目立っている。何かとても嫌な空気が社会に流れ始めていると感じているのは私だけであろうか。はっきり言った方が良いだろう。反(あるいは脱)原発ファシズムや被曝ファシズムが社会に芽生え始めているのではないだろうか。ファシズムスターリニズムに置き換えても良い。しかも、その多くが福島を忘れてしまっている!そんな言論や運動に加担するのは御免蒙りたいものだ。思考停止状態に陥るだけだ。また、危険を煽ることを商売のネタにしているような知識人やジャーナリストは最低最悪の売文業者として軽蔑するだけだ。その犯罪性は福島第一原発の事故を起こした東京電力と遜色あるまいよ。福島第一原発を安全に稼動させるにあたって東京電力に瑕疵があったればこそ地震津波を引き鉄にして原発が暴走を始めたことは間違いなく、政府=民主党政権が新聞、テレビといったマスメディアとグルになり、事故当初より原発事故に情報を隠蔽してしまったこともまた間違いあるまい。
1月23日付東京新聞で「放射能 本当のことを知りたい」というシリーズに登場した環境科学技術研究所生物影響研究部長の肩書を持つ田中公夫の発言が目に止まった。田中によれば1日に0.05ミリグレイ、要するに年間20ミリシーベルトに相当するセシウムから出るガンマ線をマウスに400日にわたってあてる実験をしたという。田中は次のように述べている。

この線量では、放射線をあてなかった群と比べて、どのようながんでも、発生率に差は出ません。この二十倍、年間400ミリシーベルト相当になると、がん発生に差はないものの、雌のマウスで二十日くらい寿命が短くなりました。この線量は原発周辺で最も汚染された地域にあたります。更に二十倍年間八000ミリシーベルトに相当する線量では、明らかにがん発生率が増えました。

もちろんヒトにかかわるデータはない。ただ、寿命が2年程度のマウスであっても、がん発生の仕組みは同じとのことである。 東大病院放射線治療チーム のブログ(http://tnakagawa.exblog.jp/)には、こうあった。

100 mSvの被ばく量の蓄積で、最大0.5%程度の「発がん」のリスクが上昇します。100 mSv未満の蓄積による「発がん」のリスクについて、科学者の間でも、一致した見解が得られていません。

ホルミシス派の川嶋朗(東京女子医大准教授)になると

低線量の放射線は、生体に悪影響を与えないばかりか、むしろ有益なものだということではないでしょうか。事実、これまで報告されている限りでは、250ミリシーベルト以下の被曝で治療が必要と認められた症例はひとつも存在しないのです。

とまで豪語している。「ホルミシス臨床研究会」のホームページ(http://thar.jp/)でのことだ。もっとも、わが国における放射線ホルミシス効果検証プロジェクトは電力会社によってつくられた電力中央研究所のカネで研究が進められているので被曝ファシストにかかれば原子力ムラのひも付き研究など信じられず、「安全デマ」なる一語をもってホルミシス派を片付けてしまうのだろう。自らの「思想」にマッカーシズムを胚胎させていることに無自覚なのである。東大病院放射線治療チームの中川恵一が『放射線医が語る被ばくと発がんの真実』を上梓したが、中川がそのなかで引用しているロシア政府が発表したチェルノブイリ原発事故の総括報告書の次のような箇所を私たちは少なくとも事実として認識しておくべきだろう。

「(事故後25年の状況を分析した結果)、放射能という要因と比較した場合、精神的ストレス、慣れ親しんだ生活様式の破壊、経済活動の制限、事故に関連した物質的損失といった、チェルノブイリ事故による他の影響のほうが、はるかに大きな損害を人々にもたらしたことが明らかになった」

中川はこうも書いている。

ところが、非常に驚くべきことに、入市被爆者の平均年齢を調べてみると、日本の平均よりも長いのです。また、広島市の女性の平均寿命をみると、日本一長いことがわかります(政令指定都市の中で最も長寿)。

入市被爆者とはアメリカによる原爆投下後、2週間以内に爆心地から2㌔以内に立ち入った人々である。何故に長生きかというと被爆手帳が配られ、医療が原則無料となったことと市民が原爆投下後も非難することなしに故郷たる広島で暮らし続けたことだと中川は指摘している。しかし、反原発脱原発の運動も、原発推進東京電力も、原発再稼動に踏み切ろうとしている政治もこうした歴史の教訓を少しも汲み取ろうとしていないのである。東京電力など東京の一等地に本社を構えるのではなく、本社を売却して福島第一原発20㌔圏内に本社を移転すべきだろう。そうすることで復興の原動力になるくらいの決意があってしかるべきだ。いずれにせよ、知的な頽廃という意味では原発推進も反原発脱原発も同じ穴の狢に見えてならない。反原発を唱えながらラドン温泉(ラジウム温泉)は健康に良いぜと言って浸かっているバカも日本低国にはいそうである。蛇足ながら言っておくと「反原発」が思想的に成立するのは、厳密な意味で農本主義(例えば5.15事件において東京の変電所を襲撃させた橘孝三郎のそれだ!)の立場からしか考えられないのではないだろうか。
脱原発」に関しても、吉本隆明日経新聞や『週刊新潮』で「発達してしまった科学を、後戻りさせるという選択はあり得ない」というニュアンスの発言をしていたが、こうした発言を重く捉えない類の「脱原発」や「脱原発依存」はまやかしにしか私には思えないのである。