Gumroadと経済の「ソーシャル化」について

ソーシャルメディアは新しい経済(市場)を自らの胎内に育てようとしている。それは大量生産・大量消費の複雑な経済ではない。ソーシャルメディアは経済を原点回帰させるような力学を孕んでいると言えば良いのだろうか、極めて単純な経済を成立させようとしている。「近代」が極限にまで進めた分業化と集中化の経済を解体しようとしていると言い換えることもできるだろう。あるいは経済において個人を復権させようとしているとでも言おうか。
2月13日にサービスを開始したSilkroadならぬGumroadなどその典型だ。自分の作品データをGumroadにアップロードし、フェイスブックツイッターのタイムラインにそのURLを貼るだけで誰でも簡単に自分自身が創造したコンテンツをペイパルを使ったクレジットカード決済で販売できてしまうのだ。売り手はペイパルから代金が支払われ、買い手はクレジットカードで支払う。
コンテンツは活字だろうが、写真だろうが、動画だろうが、音楽だろうがシェアできるものならば、何でも売ることができる。ここでは個人が創造し、個人が販売し、個人が買うという至極単純な経済が成立する。出版社もレコード会社も書店も、必要とされない。むろん、価格を決めるのもデータをアップした本人である。ただし価格の下限が1㌦、上限が1000㌦と決められている。
そういう意味ではGumroadがバックアップするのは基本的には「小さな経済」である。しかし、190カ国の決済をサポートしているというから、全世界を相手にしての経済なのだ。基本は「小さな経済」であっても塵も積もれば山となるような成功もあり得るだろう。Gumroadを使用する場合の手数料は5%+30セントで済む。セットアップ費用、月額費、帯域費などは一切かからない。Gumroadは電脳空間のフリーマーケットに他なるまい。
Gumroadを前にしてみると、わが国の楽天などのビジネスモデルがいかに「個人」を軽視し(機会の平等を奪い)、「企業」に寄り添ったものであるかが露呈されることになる。「ソーシャル化」を尺度にした場合、そこには雲泥の差があるということだ。確かに「決済後に表示されるダウンロードリンクは、購入者以外でも開けるために、どこかで公開されれば誰でもお金を払わずにダウンロードできる。他人のコンテンツをアップロードして作者に成りすますこともできてしまう」( 四本淑三http://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=gumroad&source=web&cd=4&ved=0CE4QqQIwAw&url=http%3A%2F%2Fascii.jp%2Felem%2F000%2F000%2F673%2F673596%2F&ei=t9NKT7vVL4vImAXh_siZDg&usg=AFQjCNE3AmTcQkvaL-IBVFqkd-IgOMVv3Q&sig2=51bwMQZH-rcddO7Ao3UwnQ)という弱点を指摘することはできよう。しかし、これは既存のプレイヤーにとって弱点ではあっても、新たにプレイヤーとして参入した個人にとっては必ずしも弱点とは映らないのではないだろうか。「どこかで公開されれば誰でもお金を払わずにダウンロードできる」と言われても、ブログなどは既にそうなっていよう。この私のブログからして、誰でも無料でコピーもできれば、ダウンロードもできる。だいいち、それが弱点だと思えばGumroadを使用しなければ良いだけの話である。
Gumroadは自らのサービスについて次のように述べている。

私たちはオンラインでモノを売る能力を開放したいと考えています。あなたはクリエイティブな人間で、多くのコンテンツを作っています。でも、その作品の大半は生涯どこかのPCの中に放置され仕舞われたままです。
そういうものをお店に置くのは大変で、時間がかかり、無意味ですらあります。私たちは、あなたが売ることのできないモノを簡単に販売できるようにします。
そういったモノが沢山あることが判明しました:
開発中のゲームのベータ版。
あなたがリリースしなかった音楽。 ファンは気に入るかもしれません。
何時間もかけて描いた未使用の絵。
開発したキラーアプリソースコード
他にも色々!!

最初に掲げられた「私たちはオンラインでモノを売る能力を開放したいと考えています」という文章が重要だ。インターネットを母胎にして目覚しい勢いで進展している「ソーシャル化」の力学を見事に言い当てている。これまで少数者が独占していた能力を次から次へと万人に(どんな個人にも!)開放/解放してしまう平等主義が、「ソーシャル化」の力学なのである。誤解を恐れずに言えば、資本主義への叛逆を孕んでいるし、資本主義からの逃走を企てている。
驚くべきことにGumroadを立ち上げたサヒール・ラヴィンギアは弱冠19歳のデザイナーであるというが、更に驚くべきことはサービスを開始するにあたってベンチャーキャピタリストから110万ドルもの巨大マネーが集まったことだ。資本主義への叛逆なり、資本主義からの逃走なりを支援するのは資本主義の最先端で開花を遂げたマネー資本主義に他ならないということだ。そう超資本主義が資本主義を破壊しようとしている。
ただし、これは至近距離から見た場合のことである。俯瞰して見るならば、超資本主義はアメリカの資本主義に他ならず、超資本主義に破壊されようとしているのは国民国家を基盤とした国民経済なのである。つまりアメリカの資本主義が他国の資本主義を破壊しようとしている構図が浮かび上がって来る。経済の「ソーシャル化」とは現段階においてアメリカを盟主としたグローバル化でもあるということである。アメリカの軛を断ち切った「ソーシャル化」を夢想してみるのも一興である。