「創価学会はこわい」の終焉(2)

創価学会がいわゆる゛政治と宗教゛の文脈で語られる時、創価学会の目的が゛国立戒壇゛の建立による゛王仏冥合゛にあることが政教分離の観点から問題視されることが多い。しかし、日蓮仏法の国教化による政教一致の国家体制の樹立というとこで言えば、国柱会の田中智学のほうが「一国も速く日本人を『妙法民族』化して、国家の議決と天皇の大詔によって『国家戒壇』を建立し、世界に範たる『法国冥合』しに『地上現実に霊国』を造り上げなければならない」と言い切って明解である。しかし、国柱会は戦前の宗教に終わってしまう。何故ならそれは゛国体゛重視の宗教運動であったからである。マッカーサーにとって゛民主主義゛が吹き込まれた戦後において、時代遅れの宗教となってしまったのである。これに対して、牧口は獄中死を遂げてしまうものの、まず何よりも先に゛全人的生命に関する個体的価値゛たる゛利的価値゛、すなわちパンを喰うという人間の原初的な欲望を優先する創価学会は圧倒的に支持されることになるのである。創価学会の゛王仏冥合゛は一人一人がパンを喰えるようになることから始まるのである。
田中智学にあっては、いきなり゛法国冥合゛という抽象的なイメージを措定してしまうが、創価学会は先に引用した池田大作のように財布の中に入っているカネはウン十万、そして帝国ホテルやプリンスホテルといういうように人々にその宗教の活動の結果として得られる豊かさを具体的にイメージすることから始める。その種子もまた牧口常三郎に胚胎していたと考えるべきなのである。『地理教授の方法内容の研究』は牧口の主著の一つだが、その教授法の核心は鶴見太郎によれば「いかに難解と思われる概念であっても、牧口はごく卑近な場所から関連素材を持ち出し、まず児童に「アッ」と思わせ、そして納得させる光景をそこに創り出す」ことにある。牧口は創価(教育)学会を舞台にした宗教運動においても日蓮の二元論を否定した゛娑婆即寂光゛を拠りどころとして、こうした具体性と抽象性を連続的に捉えていく教授法を生かしていったものと推測される。そのDNAは更にマスプロ化されて戸田城聖池田大作に受け継がれていったのである。創価学会即教育、創価学会即社会、創価学会即政治エキセトラ・・・・。創価学会の人間関係とは、人間のあらゆる領域の革命と連続する。
牧口の二元論を否定する゛否定の仏法゛は天皇にも向けられることになる。牧口によれば「天照大神の緒神は現人神たる天皇の身に一元的に凝集されており、その他に神札を祀れば二元論となって矛盾を生じることになる。こうした天皇観を推し進めていくならば、現人神たる天皇こそが、法華経を守護すべきであるという考え方に辿り着くはずである。日蓮正宗の本尊とは、その中心に南無妙法蓮華経と刻まれ、その回りに天照大神は緒天善神として配されているのだから。当然、牧口常三郎は戦前の国家権力と鋭く対立することになる。戸田城聖の『人間革命』によれば、当時の牧口は次のように言い切っている。

国家諌暁だね。陛下に広宣流布の事を申し上げなければ日本は勝たないよ。これを御本山に奏請して、東京僧侶一体の上に国家諌暁をしなければ国はつぶれるよ。

牧口は、ここで実現不可能な妄言を吐いているのではないことを知っておくべきであろう。牧口の発言には間違いなくリアリティがあるのだ。国家権力にとっても牧口の国家諌暁はリアリティある発言として映ったことであろう。牧口の創価教育学会は皇帝をアンタッチャブルとしてはいなかったのである。昭和天皇の母親である貞明皇太后日蓮正宗に入信していたのである。朝倉喬司の『昭和末日のザシキワラシと天皇』のなかには次のような記述がある。

昭和天皇が死んだ1989年1月7日、私は一日中TVを眺めていてもうひとつおやっと思ったのは、昭和天皇が母親(貞明皇太后)と写した写真が全く出てこないということだ・・・・・・たまたま手許にあった昭和二十六年七月二十日附の創価学会機関紙『聖教新聞』をみたところ、その貞明皇太后が、「廣宣流布の一過程として皇室内の正法信仰のさきがけを遊ばされた」とあり、これまたおやっ、なんでこんなところに貞明皇太后がとちょっと驚かされる。驚きついでに同紙六月一日の「謹んで皇太后の御逝去を悼み奉る」号に目をやると、皇后の日蓮正宗入信は昭和十四年のことで、華族の一員北条ツネ子の熱心な勧めが功を奏して、当時の法王、六二世鈴木日恭上人から「本尊」が皇太后天皇、皇后に「御下渡」されたとある。

マルクス・レーニン主義に導かれた左翼にとって天皇制は打倒の対象でしかなく、しかもそれはコミンテルン発の輸入された思想を根底にしており、ニッポンの大衆の心情などハナから勘定に入れてなかったのとは違って、牧口の折伏による広宣流布は皇室を対象とすることを例外にしないほど、その実践活動は革命的なエネルギーを内包していたと言うべきであろう。
面白いことに日蓮正宗にあって宗門はこうした牧口=創価教育学体系の言動と活動に恐れをなしてしまうのである。牧口常三郎をはじめとする創価教育学会の幹部たちを信徒除名にしてしまうのである。
そのことで宗門は組織防衛をはかったのである。(蛇足ながら牧口同様に獄中死を遂げる僧侶の藤本連城に対しては一宗捜斥処分に付し宗門より追放してしまう!)
それでも転向しなかった牧口はついに昭和十八年(一九四三)七月に特高によって逮捕されてしまう。七十歳を超えていた牧口だったが、獄中にあっても非転向を貫き通す。
左翼が大量に転向していく光景とこれは対蹠的である。獄中において、牧口は南無妙法蓮華経法華経を提唱するとともにカントを読みふけっていたという。『価値論』の哲学を日蓮を触媒にして更に深化させようとしていたのかもしれない。牧口は特高の尋問調査のなかでこう述べている。

私は正式の僧籍を持つことは嫌いであります。僧籍を得て寺を所有する事になれば、従って日蓮正宗の純教義的な形に嵌った行動しかできません。私の価値創造論をお寺に於いて宣伝説教する訳には参りませんので、私は矢っ張り在家の形で日蓮正宗の信仰理念に価値論を採り入れた処に私の価値がある訳で、此に創価教育学会の特異性があるのであります。

牧口常三郎、昭和十九年(一九四四)十一月十八非、東京拘置所の病監にて死去。享年七十二歳。十一月十八日は奇しくも『創価教育学体系』第一巻の奥付に記された日付と同じであった。
以上が、こわい創価学会の原風景であると言ってよかろう。では、いったいいつ頃から現在のように創価学会はこわくなくなってしまったのだろうか。
私は昭和六十三年(一九八八)前後と創価学会がこわくなくなる分岐点と考えている。吉本隆明の『大情況論』によれば、昭和六十三年とは、

…昭和六三(一九八八)年に、夫婦共稼ぎの平均家族で、すでに選択的消費のほうがややオーバーして、52〜58%となっています。片稼ぎというか、亭主のほうだけが働いている核家族の夫婦をとってくると、六三年が、選択的消費と必需消費がちょうど半々ぐらいの49.8%と50.2%となっています。(中略)…選択的消費のほうが必需的消費よりも多くなったということは、ふつうの言葉では<ただ生きるために働いているのではない>ということです。また所得の50%以上を消費に使っていることは<食うために働いている>のでもない意味になります。

創価学会のホームページには次のように高らかに謳われていた。

創価学会の理想は、「庶民が最も大事にされる社会」をつくることです。それこそ「真の民主主義」であると考えます。草の根の庶民が最も大切にされ、生き生きと暮らせる礼会こそ、真に平和な世の中ではないでしょうか。創価学会とは、どこまでいっても「庶民の味方」であり続けます。

今日食するパンにさえ困る時代にあれば、こうしたとても宗教団体とは思えない理想は説得力を持ったに違いない。
より正確に言うのであれば現在が食うために働いているのではない時代になってしまったがゆえに、創価学会の理想は、とても日蓮主義を基礎とする宗教団体とは思えないほど抽象化してしまったのである。
「戦前の牧口は「価値論」が戦後魔術化して、高度成長の従順な下積み戦士を大量に作り出していった」(吉田司『ニッポン狂騒曲』)過程において創価学会は゛働く宗教゛として巨大化・金マン化していったが、高度成長の従順な下積み戦士たちが、食うに困らないどころか、自分たちの意志で旅行に行ったり、映画に行ったりする消費が50%を超えてしまうと、創価学会は宗教団体としてリアリティを喪失し抽象化するより他にたとえ゛王仏冥合゛は゛空念仏゛としか理解されないことだろう。
公明党への支援も、選挙運動を通じて集団として維持をはかるという目的ぐらいしか見い出せなくなってしまったのであるまいか。
その結果、公明党は、政権与党であり続けることでしか政党としての目的を見い出せなくなってしまっているように思える。
そして、池田大作にいたっては…だれからも指弾されることのない範囲での゛世界平和゛をお題目として唱えるしかなくなってしまったのである。池田大作の人生の目的がノーベル平和賞の獲得にあるなんて、笹川良平さん並みにほほえましいではありませんか。
結局、創価学会の庶民にとって創価学会もまた、同士葬といおうが友人葬といおうが゛葬式仏教゛の一宗派にとどまっていくことになるのではあるまいか。
創価学会がこわくないとは、そういう光景を用意することになるのである。日本の仏教はどのような宗派であれ、そのような歴史をたどってきたということでもある。
しかし、だ。創価学会を支持母体とする公明党自民党連立政権を組み、創価学会からも大臣が生まれるという情況が生まれたにもかかわらず、この国はどうなったのか。公明党は政権与党として小泉純一郎新自由主義路線に乗ってしまったことによって、21世紀の日本に到来したのは何であったのかというと、「民衆の世紀」ではなく、格差社会にほかならなかった。一億総中流社会に終止符が打たれてしまった。のみならず、政権交代により公明党も政権与党の座から滑り落ちてしまう。デージン(大臣)はいなくなってしまったのだ。なればこそ思う。創価学会創価学会が怖かった時代の革命性を奪還すべきではないかと。題目の力をもってして公明党を「民衆政党」として蘇生させるのが創価学会の役割ではないのか。そのためにも創価学会は「庶民が最も大事にされる社会」を創造し、「真の民主主義」を実現すべく再びこわくなるべきなのである。
註 以前、雑誌に発表した原稿の改訂版です。