5月2日付で内閣府が「自殺対策に関する意識調査」を発表した。日本は自殺者が毎年約3万人にも及ぶ「自殺大国」である。日本は「自殺」という「内戦」を抱えているといっても良い「自殺大国」である。何しろ自殺者は毎年3万人を越えているのである。
この内閣府の調査について5月2日付朝日新聞は社会面で次のように書いている。
「本気で自殺したいと思ったことがある」と答えたのは23%。各年代で自殺を考えたことがある人の割合は、20代が28%、40代は27%、50代は26%と高めだった。「最近1年以内」に自殺を考えた人は5%。20代では10%だった。
私の正直な感想を言えば「本気で自殺したいと思ったことがある」と答えたのが23%というのは意外に少ない数字だと思った。30%を超えてもも少しも不思議ではない。しかも、驚くべきは年代別で見た際に20代で「本気で自殺したいと思ったことがある」が28%しかいないことであった。未だ生きていることに恥ずかしさを感じて「本気で自殺したいと思ったことがある」と答えなかったのかもしれない。
私自身の歴史を振り返ってみても、10代の終わりに一度だけだが心中未遂をしでかしているし、20代になると毎月1度くらいのペースで本気で自殺を考えたものである。しかし、現在こうして生きてしまっている現状は決して人に自慢できるものではないと思っている。
内閣府のホームページを見ているとわかるのだが、2008年10月には「自殺総合対策大綱」などという代物が閣議決定されている。そこにはこうある。
人の「命」は何ものにも代えがたい。また、自殺は、本人にとってこの上ない悲劇であるだけでなく、家族や周りの人々に大きな悲しみと生活上の困難をもたらし、社会全体にとっても大きな損失である。国を挙げて自殺対策に取り組み、自殺を考えている人を一人でも多く救うことによって、日本を「生きやすい社会」に変えていく必要がある。
日本を「生きやすい社会」に変えていく必要があるということは、現在の日本は「生き難い社会」なのだろう。しかし、「生きやすい社会」を実現できたからといって自殺がなくなるとは思えないのである。「戦争」を日常とする「生き難い社会」では自殺は減るそうである。
2006年には「自殺対策基本法」も施行されていて、その第2条には次のように謳われている。
自殺対策は、自殺が個人的な問題としてのみとらえられるべきものではなく、その背景に様々な社会的な要因があることを踏まえ、社会的な取組として実施されなければならない。
小泉純一郎が首相時代に新自由主義を導入し、弱肉強食の格差社会が到来したこともあって自殺者は増えているという社会的要因も考えられるだろう。そういう意味では自殺者は「内戦」の犠牲者であることは確かである。私たちはその死が格差社会における辛く苦しい「生」からの避難所であったにとどまらず、その死が格差社会に対する「抵抗」であったことを忘れてはなるまい。そうした自殺者はたった一人のゲリラ戦を戦い抜いた勇敢なる戦士なのである。そう考える私は実は自殺を悪いことだとは思っていない。1億人が自殺を考え、実行に移せば日本という国家を滅ぼすこともできるのだという妄想を抱いたことすら私にはある。
そもそも自殺とは何であろうか。私はこう考える。自分の「生」の究極の自己表現が自殺なのではないだろうか。自らの死をもって己が「生」を表現するという行為が悪いことなどと私には考えられない。それは何人からの批判も拒否できる尊い行為なのである。自殺も、自殺を考えることも決して悪いことではないのだ。自殺は人間にのみ許された権利なのである。そう神が自殺することなどあり得まい。
日本の歴史を紐といてみても自殺は決して悪いことではなかった。真言宗の開祖である空海は真言宗の拠点とした高野山の奥の院にある石室にこもり、生身のまま成仏したといわれる。事の真偽はわからないが、自殺の決断なくして即身仏という永遠性は獲得できなかったはずである。ここから入定信仰が生まれ、山形県庄内地方の湯殿山系では、本明寺の本明海上人、海向寺の忠海上人・円明海上人、大日坊の真如海上人、注連寺の鉄門海上人、そして南岳寺の鉄竜海上人というように即身仏が現存している。これらの僧は江戸時代に飢えや病いなどに苦しむ民衆の救済を誓願し、自らの意志で生きたまま棺桶などに入って土中に埋められ、断食行の果てに息絶え、ミイラ化したことで即身仏として称えられたのである。「入定」とは自殺にほかなるまい。
和歌山県の那智勝浦の補陀洛山寺は868年から1722年の間に20回実施されたと伝えられている補陀落渡海の拠点となった寺である。補陀落渡海とは入水自殺にほかならない。小さな船に屋形をつくり、そこに行者が乗り込むと、外から釘を打って脱出できないようにして、30日分の食糧などを積んで観音菩薩のいる補陀落山に往生することを願って単身海岸から沖に出るのである。日本においては宗教が自殺の促進剤にもなっているのである。
心中とは相愛の男女の複数自殺であり、この世では添い遂げられぬ男女の愛の表現にほかならないが、江戸時代、民衆は心中に喝采を贈った。近松門左衛門の実話をベースにして書き上げた人形浄瑠璃『曾根崎心中』は経営不振にあった竹本座の危機を救ったことで知られているが、あまりに心中が多発し、しかも死の手段の斬新さ競うようになったため、江戸幕府は1722年(享保7)に心中という言葉を使うことを禁じてしまった。権力は心中という民衆の創造力に嫉妬したのである。
文学史にしても自殺者が実に多いことに気がつくであろう。芥川龍之介は「唯ぼんやりとした不安」を抱えて睡眠薬自殺を遂げたし、太宰治は玉川上水で投身自殺を遂げているし、三島由紀夫は自衛隊市谷駐屯地で自衛隊に決起を促し、割腹自殺を遂げた。村上一郎も、江藤淳も自殺している。自殺によって文学者の評価が下落したなどという話を私は聞いたことがない。いや、それどころか彼らの死は文学にとって主題のひとつにほかなるまい。
自殺は人間を人間たらしめる聖なる特徴にほかならないのである。