生活保護不正受給問題について

売れっ子お笑い芸人の母親が生活保護を受けていたことで、このお笑い芸人の年収は推定で何千万円もあるのだから、これはおかしいのではないかと『女性セブン』が疑問を投げかけたのが、4月26日号でのこと。私もこの「母親が生活保護受給の人気芸人『タダでもらえるならもろとけ』」というタイトルのスクープ記事は読んでいた。次のような秀逸なタイトルを導き出した次のような記述が印象に残った。

それどころか、Aは飲み会の席で親しい後輩や友人にこんなことを語っていたという。
「いま、オカンが生活保護を受けていて、役所から“息子さんが力を貸してくれませんか?”って連絡があるんだけど、そんなん絶対聞いたらアカン! タダでもらえるんなら、もろうとけばいいんや!」

芸人Aが親しい後輩や友人に本当にこのように語っていたのだとすれば、コイツは芸人として日々汗を流しながら働いている民衆を笑いで感動させるような芸には到達しないだろうなと私は思った。芸人Aが誰であるかも関心がなかった。ただ、テレビを普通に見ているとわかることだが、お笑い芸人から毒が消え、無頼が消え、侠気と狂気が消えてしまっている現状からすれば、この手の狡賢い芸人が偉そうに跋扈していても少しも不思議ではないと思った。
この芸人Aが次長課長河本準一であることがわかったのは、テレビ朝日テリー伊藤がコメンテーターをつとめる番組であったように記憶している。国会議員の片山さつきがこの問題に熱心なこともテレビを通じて初めて知った。というよりも芸人が河本であることを明らかにしたツイートを繰り広げていたという。蛇足ながら述べておくと、私は片山さつき議員をどうしても好きになれない。政治家として掲げる政策云々が気に入らないというわけではない。恐らく彼女が『JJ』あがりだからである。私は『JJ』を読む女性が学生時代から一貫して好きになれないのだ。これは胸を張って言うが私の彼女、まあ恋人に『JJ』の読者は一人としていなかった。今でも「ハマトラ」とかいう言葉を聞くだけで吐き気がする。あだしごとはさておき、片山さつきが河本の所属する芸能ブロダクションの関係者を偉そうに呼びつけているシーンが印象に残っている。河本の母親の不正受給は氷山の一角であり、不正受給の闇は深いといった印象を視聴者に植えつける番組であるとも思った。
私は河本を許し難いと思った。河本の不正受給(法律上の「不正」がなかったとしても芸人の覚悟がないという意味において間違いなく「不正」である)がクローズアップされることで、生活保護=不正受給の印象が社会に広がる可能性が考えられたからである。たとえ全体の0.4%にしか過ぎないにしても、生活保護の不正受給を根絶すべきことは言うまでもないが、生活保護を受けなければならないにもかかわらず受け取っていない、あるいは受け取れない現実が一方で大きな問題であることを河本の一件が掻き消してしまうような事態になったとすれば河本の罪は大きいということである。河本は不正受給分を返却する意向を表明したというが、それだけで済ますのではなく、生活保護の光の当たらない人々に対する支給を促進するようなボランティアでも始めるべきなのだ。
生活保護法には次のように記されている。

第一条  この法律は、日本国憲法第二十五条 に規定する理念に基き、国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的とする。

「最低限度の生活」とは単に健康を維持できるだけの水準ではない。それは健康で文化的な生活水準を法律では保障している。

第三条  この法律により保障される最低限度の生活は、健康で文化的な生活水準を維持することができるものでなければならない。

生活保護は国民の権利として保障されているということをまず確認しておきたい。権利であればこそ全体からすれば些細な「不正」をもって、権利を蹂躙しようとする政治勢力が存在するであろうことも念頭に置いておかなければなるまい。では生活保護は実際にどの程度の金額が支払われているのだろうか。『女性セブン』と同じ版元の『週刊ポスト』6月1日号は次のように書いている。

生活保護費は、国が定める「最低生活費」に基づいて決められている。年齢と居住地域によって違いがあるが、都内に住む30代の単身世帯なら、生活扶助8万3700円に加えて、住宅(家賃)扶助として最大5万3700円が加わり、合計13万7400円を毎月受け取ることができる。
都内の30代夫婦、就学年齢の子2人の世帯で試算した場合、扶養家族分の保護費に授業料や通学費などの教育関連扶助を加えると少なくとも月額29万4260円。年収にすれば350万円である。また、医療扶助により医療費が無料となるほか、住民税や水道基本料金、NHK受信料の免除、自治体運営の交通機関の無料乗車券など、事実上の“追加給付”もある。

格差社会が進展し、中流が解体されつつ現状からすれば、働けど働けども生活保護の水準に達しない勤労者が増加の一途であることが予想される。『週刊ポスト』の記事はこう続ける。

ちなみに、都内の最低賃金(時給837円)で週5日、1日8時間働いた場合の収入は月額約13万4000円。しかも、ここから年金保険料や国民健康保険料、NHK受信料などを支払えば、それこそ生活もままならない。低賃金で働いた者の収入より、「働かずに得られる収入」の方が多いという不公平感は拭えない。

低賃金で働くよりも、生活保護をもらった方が収入が多いのでは、それは間違いなく「不公平」である。こうした「不公平」観を母胎に「あいつらは働きもしないのにウマイことをやりやがって許せない!」という民衆のルサンチマンが膨らんでゆく可能性もあるだろう。「あいつら」の指示対象も「不正受給者」のみならず、生活保護受給者の総てがあたかも不正受給しているかのような危険な「偏見」や歪んだ「差別意識」も醸成するに違いない。片山さつきという国会議員は、そうした民衆のルサンチマンや危険な「偏見」や歪んだ「差別意識」にタダ乗りして自らの政治家としての知名度をあげているようにしか見えないのは私の「偏見」なのだろうか。
いずれにしても、国民に等しく健康で文化的な生活水準が保障されているのだとすれば、河本の一件を機にして民衆が抱きはじめている「不公平」観を解消することは国家の義務であると言って良い。当面、二つの方法が考えられる。生活保護の水準を下げるか、最低賃金を上げるかである。そもそも最低賃金が低過ぎるという指摘はある。非正規労働が増えたことも生活保護を増やす温床になっているとも考えられる。最低賃金を上げ、正規雇用を増やすことで「不公平」感を解消する。これに対して、現在の日本の経済状況からすれば大企業は別にして中小企業では消費増税に加えて、最低賃金をアップしなければならなくなると、それでなくとも苦しい経営が立ち行かなくなってしまう。
後者の考え方のほうが国家が実行に移すにあたって政策的にリアルだという判断になるのかもしれない。実際、国会でそのような答弁があったらしい。朝日新聞デジタルによれば厚生労働相小宮山洋子は次のような見解を披瀝したらしい。

衆院消費増税関連特別委員会で、自民党永岡桂子氏が「保護費の水準を少なくとも10%は下げるべきではないか」と求めたのに対し、小宮山氏は「(今の水準に)年金との差などで納得できないという声が強いことは承知している。引き下げの意見も踏まえて検討したい」と応じた。 5月27日9時55分

しかし、ここで忘れてはならないのが、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という憲法の規定をどう考えるかである。生命を維持することしかできないような低賃金や生活保護費であっては、それは憲法違反の疑いがあるということだ。累進課税や贅沢税を強化し(少なくとも累進課税小泉改革によって解体される以前の水準に戻すことはできるはずだ)、その税収を国民はが健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を実現するための原資にするという考え方もできるかもしれない。そうして国家が低所得に甘んじざるを得ない層に生活保護を上回る水準で最低所得保障をしてしまうというベーシックインカムの導入である。ベイシックインカムについては『週刊ポスト』の記事でも鈴木亘学習院大学教授に次のようにコメントさせている。

「これはノーベル賞経済学者のミルトン・フリードマンが提唱したもので、所得の高い人に課税するのに対し、一定の所得を下回る人には一定の給付を与えるという考え方。これによってベーシックインカム(最低所得保障)を実現し、この額が生活保護による収入を上回るようにする。英国やオランダ、カナダなどで導入されています。また、15年近く続くデフレの中で生活保護費が下がっていないという点も改める必要があると思います」

生活保護法の規定を逸脱した不正受給は許せないにしても、保護費の水準を下げるというだけでは問題の何の解決にもならないのである。当然、国民の健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を実現するのはカネの問題だけではあるまい。そういう意味ではベーシックインカムの考え方を最低生活保障というように更に深めなければなるまい。生活保護の不正受給を摘発したり、受給の削減をはかるといったようなことでは本質的な問題の解決にならないのである。それは国民の権利が蹂躙されたままの状態が続くということにほかなるまい。片山さつきの所属する自民党憲法改正草案で天皇を「元首」に位置づけたが、「一君万民」や「協同自治」の政治を理想とはどうやらしていないようである。見かけは日本でも性根は案外アメリカンなのかもしれない。