司法の歪みについて

東電OL殺害事件の再審請求が認められた。これによりマイナリさんが釈放された。事実上の無罪となったわけだ。
被害者の体内に残った精液のDNA型と殺害現場にあった第三者の体毛のDNA型が一致し、有罪の前提とされたマイナリさん以外の男性が殺害現場となった部屋に入ったとは考え難いという検察の認定が崩れたためである。事件から15年も経過してのことである。
驚くべきは、事件当時は血液型が鑑定されただけで、体液が冷凍保管されていたにもかかわらず、DNA型は調べられていなかったということである。しかも、愕然とするのは、検察が体液が冷凍保管されている事実を認めたのは、再審請求の弁護人が証拠開示を求めてから3年8カ月も後のことであった。
検察はマイナリさんの「人権」をいったいどう考えているのだろうか。何しろ検察は高裁が再審を認める決定をしても尚、刑の執行停止を取り消すよう高裁に求めたが、それが認められなかったから、つまり仕方なく釈放したのである。
そもそも検察が掴んだ総ての証拠が開示されずに進むのは「暗黒裁判」にほかならず、民主主義国家の裁判とは言い難いのではないだろうか。検察は「有罪そのものを目的とする姿勢」で一貫し、裁判所は検察を追認することを第一義としている。検察官と裁判官の広範な人事交流による両者の事実上の一体化がこうした現実をもたらしているのではないだろうか。
足利事件でもそうであったし、狭山事件でもそうだし、東電OL殺害事件でもそうなのだが、これらの「暗黒裁判」には同じ裁判官がかかわっていたということだ。足利事件で1996年5月9日、東京高裁裁判長として控訴を棄却して無期懲役判決を下したのも、狭山事件で1999年7月7日、東京高裁裁判長として第2次再審請求を棄却したのも、東電OL殺害事件で2000年12月22日、東京高裁裁判長として一審の無罪判決を破棄して無期懲役判決を下したのも、同じ高木俊夫裁判官であるのだ。高木は2001年に定年退官し、2007年に瑞宝重光章を受章している。
日本の司法権力に人権無視の非民主主義的な「歪み」が頻発するのは、検察も含めて司法権力が「戦前」を温存し続けた結果なのではないだろうか。三権の一角たる司法権力において、戦争責任の追及がさほどなされなかったために戦前の幹部の大半が戦後も重要な役割を担ったという歴史的経緯は忘れがちなことである。ミシェル・フーコーではないが、権力の諸関連の間には連続性が存在することを歴史は教えてくれるはずだ。