韓国の李明博大統領による竹島上陸について

私たちの常識では竹島は日本固有の領土である。教科書にも、そう書かれている。李明博が、韓国の大統領として初めて竹島に上陸した一件も、大半の日本人からすれば、非は明らかに韓国の李明博大統領にあるという理解になる。8月12日付讀賣新聞の社説「大統領竹島入り 日韓関係を悪化させる暴挙だ」は、こう書き出されている。

日本固有の領土で、韓国が不法占拠している竹島に、韓国の李明博大統領が上陸を強行した。
係争中の領土を一方の国家元首が踏めば、相手国を度外視した暴挙と言える。日韓関係も、これまで築いてきた信頼は損なわれ、冷却化は避けられない。 

竹島が日本固有の領土であるという表現を(敢えてに違いないが)避けた8月11日付朝日新聞の社説「竹島への訪問―大統領の分別なき行い」にしても、李明博大統領の竹島上陸は「責任ある政治家の行動としては、驚くほかない」と批判している。

韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領が、竹島を訪れた。日韓がともに領有権を主張している島だ。
これまで韓国の首相が訪れたことはあったが、大統領の訪問は初めてのことだ。
自ら「最も近い友邦」と呼んだ日本との関係を危うくしたことは、責任ある政治家の行動としては、驚くほかない。
日本政府は強く抗議して、駐韓大使を呼び戻す。日韓の関係が冷えこむのは避けられない。

毎日新聞の8月12日付社説「竹島問題 深いトゲをどう抜く」もまた論調としては朝日新聞と同じようなものであるが、こちらは「理解に苦しむ」と朝日よりも李明博大統領批判のトーンは落ちる。

日本と韓国が領有権を主張している竹島(韓国名・独島)に李明博(イ・ミョンバク)韓国大統領が上陸し、実効支配をアピールした。なぜ今、大統領が先頭に立って日韓関係に無用な波風を立てるのか。理解に苦しむ。

最も李明博大統領批判のトーンが強い社説を掲載したのは予想されたように産経新聞であった。8月11日付主張「李大統領竹島入り 暴挙許さぬ対抗措置とれ」は次のようにアジる。

韓国の李明博大統領が、日本固有の領土である島根県竹島(韓国名・独島)に日本政府の中止要求を振り切って上陸した。日韓の信頼関係の根幹を否定する暴挙というほかない。
野田佳彦首相は「到底受け入れることはできず、極めて遺憾だ」と述べた。当然である。政府は、武藤正敏駐韓国大使を直ちに帰国させる事実上の召還を決めたが、それだけで済ませていい問題ではない。
日本の領土主権をあからさまに踏みにじる外国元首の行動に対して、より強い対抗措置をとる必要がある。国内の政局に揺れる野田政権が、領土主権で断固たる姿勢を示さなければ、韓国による竹島の不法支配はますます強化されることになる。  

日本の一般的な民衆の感情は産経新聞のトーンに最も近いのではないだろうか。しかし、「より強い対抗措置をとる必要がある」とまで書く産経新聞にとって「より強い対抗措置」は何なのだろうか。それは経済制裁を含めてのことなのか、あるいは自衛権の発動までも含めての「より強い対抗措置」なのだろうか。しかし、産経新聞の社説を読む限り、「より強い対抗措置」として提案されているのは国際司法裁判所への提訴と「李大統領の暴挙を国際社会に訴え、日本への支持を取り付ける毅然(きぜん)とした措置」である。最もリベラルな新聞と言って良い東京新聞の8月12日付社説「大統領竹島訪問 日韓の未来志向壊した」は、さすがに「日韓の信頼関係の根幹を否定する暴挙」とは書かず、「李大統領の訪問は日韓の協力関係を台無しにしかねない」という表現にとどめているが、日本が何をなすべきかという提案に関しては、産経新聞の主張とさほど違わない。

日本政府は駐韓大使を一時帰国させたが、併せて竹島は歴史的にも国際法上も固有の領土だと各国に訴える必要がある。竹島が日韓両国の「紛争地域」だという認識が国際社会に広まれば、交渉を拒否したまま実効支配を既成事実にしようとする韓国にとって、マイナスに作用しよう。

要するに産経新聞は「より強い対抗措置」と感情をヒートアップさせて書いてみたものの、「より強い対抗措置」を具体化できないのである。となると、「より強い対抗措置」という表現は読者大衆を煽動するだけの無責任なものと言わねばなるまい。しかし、言葉の激しさにおいて韓国のメディアも産経新聞に劣らない。8月11日付東亜日報の社説「日本に『独島は韓国領土』を知らしめた李大統領」の書き出しにおける古代史まで持ち出しての大袈裟な表現は、韓国の隣に位置する独裁主義国家のプロパガンダメディアを彷彿させる。

10日午後2時、東端の島、独島(トクト、日本名・竹島)上空の雲を突き抜け、李明博(イ・ミョンバク)大統領を乗せたヘリコプター「S92」が着陸した。太古の神秘が漂う火山島独島は、新羅の智證王13年(512年)、于山国の服属として韓国の領土になったが、大韓民国大統領としては初めての訪問だ。8・15光復節(日本の植民地支配からの解放記念日)を控え、大統領が独島に足を踏み入れ、韓国の領土であることを明らかにしたことは正しかった。韓国の領土主権を狙ういかなる試みも断固として対処しなければならない。

李明博大統領の竹島訪問に批判的なのは8月11日付朝鮮日報の社説「李明博大統領の独島訪問」だが、批判的な理由は何かといえば、「領土を実効支配している国が取るべき態度として適切なのか、あるいは戦略的な検討を十分に重ねた上で行動したのかどうか疑問に感じられる部分もある」という理由からであり、朝日新聞の社説の文言を借りるならば「竹島の領有権問題に決着がついていないことを国際社会に印象づけることに」なるからだ。つまり、領土問題は存在しないという立場である。これは日本が尖閣諸島に対して取る立場と同じなのだ。
李明博大統領の独島訪問に批判的な論調の朝鮮日報にしても日本に対しては産経新聞が韓国に対して感情的になる以上、朝鮮日報は日本に対して感情的である。朝鮮日報が一刀両断するところによると日本は「時代錯誤的かつ反平和的なトラブルメーカーの国」なのである。

日本は数年前から政府と国会が一部の極右勢力と手を握り、独島問題に対して様々な方面から攻勢を強めてきた。またその一方で日本は、憲法改正によって再武装核兵器保有の道を開く意向もにじませている。日本は現在実効支配している釣魚島(尖閣諸島)周辺で、中国と一触即発の危機に直面しているほか、ロシアとは北方四島の領有権をめぐって今なお対立を続けるなど、東アジアにおいて時代錯誤的かつ反平和的なトラブルメーカーの国となっている。

朝鮮日報が書くように「政府と国会が一部の極右勢力と手を握り、独島問題に対して様々な方面から攻勢を強めてきた」と考える日本人は右から左に至るまで殆どいないのではないか。政府と国会が一部の極右勢力と手を握るとは具体的に説明できる日本人は私も含めて殆どいないのではないだろうか。更に「憲法改正によって再武装核兵器保有の道を開く意向もにじませている」という表現も大半の日本人にとっては意外にして、心外なことであろう。しかも、竹島問題ばかりではなく、尖閣諸島問題や北方領土問題を含めて、日本が領有権を主張していることが、日本を「東アジアにおいて時代錯誤的かつ反平和的なトラブルメーカーの国」とする朝鮮日報の論拠になっているのだ。日本に住む私たちからすれば日本は話し合いによる平和的な解決を模索しているのに挑発しているのは中国であり、ロシアであるという認識であったが、隣の国からは、そう見られていなかったのである。驚くのは未だ早い。朝鮮日報は「盗人猛々しい」を意味する「賊反荷杖」という四文字を日本に投げつける。

日本は過去100年間に隣国に対して犯した罪過に対し、徹底した反省をするどころか、時には口だけの反省の言葉さえ覆し、従軍性奴隷問題や歴史わい曲問題では完全に賊反荷杖(盗人猛々しいの意)の態度で居直っている。

朝鮮日報は日本の盗人猛々しい態度には「韓国の国民すべてが憤りを感じて」いるとまで言い切るのだ。「この点も李大統領による今回の独島訪問を後押ししたと」朝鮮日報は解釈している。大半の韓国人からすれば、もともとの非は日本にあるという認識なのである。
では世界は竹島をどう見ているのだろうか。例えば日本にとっても、韓国にとっても同盟国であるアメリカは竹島をどのように認識しているのだろうか。実はアメリカは竹島を韓国の領土として認識しているのである。孫崎享の『日本の国境問題』によれば、アメリカの地名委員会は竹島を韓国領としているのである。孫崎によれば見逃せないのは2008年の地名委員会の動きである。同年7月下旬に地名委員会は、それまで韓国領としていた竹島を「どこの国にも属さない地域」とした。これが韓国内では大問題となり、当時のブッシュ大統領がライス国務長官に検討するように指示し、再び韓国領とする表記に戻ったのである。
ところが信じられないのは、この時の日本政府の反応である。孫崎によれば当時の朝日新聞町村信孝官房長官が記者会見で「米政府の一機関のやることに、あれこれ過度に反応することはない」と言って事態を静観してしまったのだ。孫崎が言うとおり福田康夫内閣で官房長官をつとめた町村は「歴史的な過ち」を犯してしまったのである。韓国はアメリカに竹島は韓国の領土だと訴え、地名委員会の表記を変更させたが、日本はアメリカの再度の表記変更に対して何も訴えなかったのである。町村といえば、どちらかといえば自民党内にあってタカ派の政治家として知られている。しかし、タカ派ほどアメリカに弱腰で従米色が強いのも、日本の職業政治家の特徴かもしれない。いずれにしても、この時、日本政府が抗議なり何なりの何らかの行動をアメリカに起こしていたならば、韓国の大統領が簡単に竹島入りを実現できないような状況をつくりだすことができたのかもしれない。日本はそのチャンスを逸してしまっていたのである。
竹島に関して日本が当面できることというのは、竹島が歴史的にも国際法上も固有の領土だと国際社会に訴えつづけるしかないのである。領土問題こそ戦争の撃鉄になるのだというリアルな認識を一刻も手放してはならないということである。日本が「東アジアにおいて時代錯誤的かつ反平和的なトラブルメーカーの国となっている」とは思えないが、日本がたとえ憲法9条を掲げていようとも、国境・領土問題において「戦争」の可能性を孕んだ国家であることは間違いない。そうしたリアルな認識を持たない平和への努力は、どこかうそ臭くなることであろう。私たちに必要なのはナショナリズムを訳知り顔で否定して見せたり、逆に安易に滾らせることではなく、ナショナリズムを飼いならす知恵なのである。