領土ナショナリズム、山本美香さんの死、首相官邸前抗議行動の呼びかけ人と野田首相が面会

日本政府が前提とする竹島ナショナリズムは韓国の独島ナショナリズムの鏡であり、韓国政府が前提とする独島ナショナリズムは日本の竹島ナショナリズムの鏡である。竹島問題を報じる日本のメディアは独島問題を報じる韓国メディアの鏡である。その逆も言えよう。しかし、鏡に映る自画像において結論は逆立する。ただし、政府もメディアもその正当性において一歩も譲らないという点では一致する。
韓国の李明博大統領が竹島上陸を契機に、国際司法裁判所(ICJ)への共同提訴を提案したのに対し、韓国政府は拒否したが、これについて産経新聞は8月23日付の主張「竹島提訴拒否 韓国はなぜ背向けるのか」でこう述べる。

韓国による島根県竹島の不法占拠をめぐり、日本政府が李明博韓国大統領の同島上陸を機に、国際司法裁判所(ICJ)への共同提訴を提案したのに対し、韓国政府は拒否してきた。上陸などへの遺憾の意を表明した野田佳彦首相の親書も突き返すという。
「わが国固有の領土。裁判で争う必要はない。日本との間に領土問題は存在しない」との従来の立場に沿ったものだ。
だが、藤村修官房長官らも指摘したように、「グローバルコリア」を標榜(ひょうぼう)する韓国が領有の正当性に自信を持つなら、なぜ国際的な裁きの庭に背を向けるのか。

一方、韓国の東亜日報は8月18日付社説「他国領土を狙う日本の『独島提訴』」で次のように書いている。

日本は、韓国が国際機関による「平和的解決」を拒否するという印象を与え、1965年の国交正常化時に交わした合意文書に基づく調停や国際仲裁委員会の付託まで念頭に置いているとみえる。裁判に応じないとしても、独島領有権を主張できる根拠を十分に蓄積する努力を疎かにしてはならない。裁判で勝てる万全の準備ができてICJに行かないことと、ICJに行く場合、敗訴する可能性があるため回避することは明らかに違う。独島に対する実効支配を強化する措置も必要だ。

竹島上陸に日本からの批判が高まると李明博大統領は話に日本の天皇までも持ち出して、「韓国を訪問したいなら亡くなった独立運動家に謝罪する必要がある」といった趣旨の発言をし、「『痛惜の念』などという単語ひとつを言いに来るのなら訪韓の必要はない」とまで語ったことに対し、産経新聞は8月16日付主張「陛下への謝罪要求 政府は暴言の撤回求めよ」で言い切った。

天皇陛下に対する礼を著しく欠き、日本国民の気持ちを踏みにじる暴言というしかない。
韓国の李明博大統領が「韓国を訪問したいなら亡くなった独立運動家に謝罪する必要がある」などと、陛下に直接的表現で過去の歴史をめぐる謝罪を求めたことだ。
平成2年の盧泰愚大統領来日時の陛下のお言葉を取り上げ、「『痛惜の念』などという単語ひとつを言いに来るのなら訪韓の必要はない」とも語った。
そもそも天皇陛下のご訪韓は、韓国側が要請したことこそあれ、日本側が具体的に計画したことはない。にもかかわらず、李大統領は、日本側に訪韓の希望があるかのように言って、条件を付けた。事実関係の歪曲(わいきょく)も甚だしい。(中略)非礼発言を二度と許さない断固たる姿勢を示さなければ、同じ事態が繰り返されかねない。

しかし、韓国のメディアからすると「暴言」ではないらしい。8月20日朝鮮日報は「記者手帳」で政治部記者の李河遠(イ・ハウォン)は「天皇への謝罪要求、何が間違っているのか」と題し、次のように言い切っている。

日本の政治家たちはこの発言が報じられると同時に「礼儀知らずだ」「無礼だ」などと先を争って批判した。野田内閣が追加の「報復措置」に着手したのも、この天皇王批判が大きく作用している。しかし韓国の立場からすると、天皇批判に日本の政界がこれほどまでに敏感に反応する理由が理解できない。
国史から見ると、今上天皇の父親、昭和天皇は1926年の即位後、日本が朝鮮半島を統治した時代に民族全体を迫害し、弾圧した人物で、太平洋戦争では韓国の若い男性を銃の盾とし、若い女性を日本軍の性的奴隷とした、まさに「特別A級戦犯」だ。今なお韓国民族を苦しめる南北分断も、昭和天皇が統治していた日帝時代の統治が原因になっている。その日本の王室に対し「韓国に来たければ、韓国の独立運動家が全てこの世を去る前に、心から謝罪せよ」と求めたわけだが、これはある意味当然の要求だ。李大統領による発言は、時期的には問題があったかもしれないが、決して言ってはならない言葉というわけではない。
これまで韓国の大統領や政治家は、天皇を神聖視する日本の特殊な状況を意識し、可能な限り天皇に関する発言を公の席では控えてきた。今考えれば、こちらの方がおかしなことだ。

政府という統治権力が竹島は日本固有の領土だと主張している以上、日本の民衆からすれば、竹島を不法占拠している韓国に対して面白くないと感じるのは当然のことである。そうした日本の民衆ナショナリズムもまた韓国の民衆ナショナリズムに鏡を持つということだ。日本の民衆からすれば、日本は話し合いで解決しようとしているのに韓国の不法占拠は許せないという心情を抱くのは当然のことである。日本の民衆にとって、標準的なこうした竹島ナショナリズムもまた韓国の民衆の独島ナショナリズムの逆立した鏡にほかならない。竹島に限らないことだが、領土・国境問題は論理においても、心情においても世界史の現段階において平行線を辿るしかないのである。もし、領土・国境問題を早急に解決しようと考えるのであれば「戦争」という殺し合いの政治に手を染めなければならなくなるであろう。そうした愚を避けるためには、結局、日韓に横たわる平行線の幅を埋める作業に日本及び日本人はナショナリズムを飼いならしながら、対話によって粘り強く小さな一歩を積み重ねながら取り組むしかないのである。「…分かり合えないことで憎み合い戦争になる」のである。これは山本美香の『戦争を取材する〜子どもたちは何を体験したのか』にあるフレーズである。
それにしても私たちは「戦争」から遠く離れて生活している。しかし、世界には「戦争」が今尚、やむことなく充満している。これでもかと、殺し合いの政治が繰り広げられているのだ。もともとはアサド独裁体制に対する民主化要求が内戦へと発展し、更にその内戦が大国の代理戦争という様相を帯び始めているシリア内戦で日本のジャーナリストが犠牲となった。「…分かり合えないことで憎み合い戦争になる」と書いた山本美香である。シリア内戦の報道にそれほど熱心であるとは私には思えない主要紙もこの件は一面で伝えていた。朝日新聞OBである山本の父親が8月22日付朝日新聞の社会面で「戦場ジャーナリスト」と言われるのは認めたくないと話していた一方で次のように書く同じ紙面に掲げられた天声人語に私は異和感を抱かざるを得なかった。

戦争ジャーナリストは割に合わない仕事である。殺し合いの愚かしさを伝えるために我が身まで狂気にさらすのだから。しかし、男でも女でも誰かがやらないと、情報戦のウソで塗られた戦場の真実は見えてこない。

天声人語は何の疑いもなく「戦場ジャーナリスト」という言葉を使っているが、何故、このような言葉が成立するのか?天声人語氏は想像力を働かせたことがないのだろうか。戦争の取材は、誰かがやらなければ戦場の真実が見えて来ないのは、その通りだろう。しかし、大新聞やテレビ局といった立派なメディアが、誰かがやらなければならないにもかかわらず、戦争を正面から取材しようとしないから、「戦場ジャーナリスト」と言わざるを得ない「割の合わない仕事」が生まれるのである。もし既存メディアが戦争と正面から向き合って報道していたならば、「戦場ジャーナリスト」などという言葉は成立しないでも済むのである。
この10年でも、イラクでは橋田信介小川功太郎が、ミャンマーでは長井健司が、タイでは村本博之が山本同様に取材中に凶弾に斃れている。全員が朝日新聞讀賣新聞毎日新聞といった大新聞に属する社員記者ではない。全員がフリーか海外通信社のカメラマンかであった。アフガニスタン戦争でも、イラク戦争でも、現場に最後までとどまったのは、既存メディアに属する社員ではなく、フリーのジャーナリストであった。戦争報道においてサラリーマンであることを優先するのが既存メディア(日本国内では排他的な記者クラブを運営していることで知られる)のジャーナリストであり、志や使命感を優先するのがフリーのジャーナリストなのである。そのジャーナリストの非業の死がニュースとして飛び込んで来れば、非業の死がジャーナリストとして伝えたかったことなどそっちのけで、彼や彼女の死それ自体を報じることに狂騒するのが、日本を代表する新聞やテレビの実態なのである。こうした現実を恥ずかしいことだと天声人語氏は思わないのであろうか。むろん、朝日新聞は言い訳を捻り出すことにおいては天下一品である。社会面に次のような「官僚文学」を駆使しての文章を見つけたとき、私は新聞を破り捨てたくなった。曰く―。

朝日新聞社は危険地帯の取材について、本紙記者に代わってフリージャーナリストに依頼することはない。取材場所や取材方法を含め、記者を危険地域に派遣するかどうかは独自の判断で決めている。

私は昨年の福島第一原発の過酷事故を思い出さずにはいられなかった。放射性物質が放出されるや否や住民の多くが現地に残っているにもかかわらず、揃いも揃って記者を撤退させたのが朝日新聞をはじめとした既存メディアにほかならなかった。あのときも住民とともに残ったのはフリーのジャーナリストであった。既存メディアの記者たちはフクシマから遠く離れて、ひたすら最悪の事態を妄想しまくったのである。「本紙記者に代わってフリージャーナリストに依頼することはない」というのは、自らがジャーナリズムを放棄してしまっていること以外のことを意味しないはずである。今の時代、いわば「成り下がる」ことなしにジャーナリストとして仕事を全うすることはできないのだ。山本美香も戦争を取材するにあたって朝日ニュースターから成り下がっているのである。
既存メディアにしても、その周辺に屯している知識人や政治家にしても「成り上がり」の視点でしか未来を考えようとしていないのだ。しかし、例えば「これからの民主主義」にとって大切なのは成り上がることではなく、「成り下がり」にとどまり続けることではないのだろうか。朝日新聞といった進歩派気取りのメディアに重宝されている小熊英二や元首相の菅直人が仲介してと言って良いと思うが、毎週金曜日に首相官邸前で繰り広げられる抗議行動を主催し、リードしてきた「首都圏反原発連合」の代表者と首相の野田佳彦が昨日、首相官邸で面会した。「首都圏反原発連合」が毎週金曜日の首相官邸前の抗議行動を主催していたのは間違いないことだが、「首都圏反原発連合」がそこに集まった何十万人かを代表しているかといえば、そうではない。そのような旧来の組織論(レーニンの組織論を頂点にしての!)に全く依拠せず、ひたすら「烏合の衆」であり続けることによって、「これまでの民主主義」が前提としていた間接民主主義が民主主義の最高形態ではないことを知らしめ、かつ直接民主主義の様々な可能性を示唆しているという意味において、私は首相官邸前抗議行動がパリコミューンに劣らないほどの歴史的役割を果たしているのではないかと思っている。組織や運動に成り上がることを拒絶していたからこそ、「これからの民主主義」の豊かさを予感させるのだ。決して無理矢理、「これまでの民主主義」との間に回路を持つ必要はないのである。人々は肩書や役職をひけらかすことなく、いわば成り下がって首相官邸前に集まって、そこを誰にでも開かれている「広場」にしたのである。その「成り下がり」に見るべきは民主主義が進化する余地である。しかし、学者や政治家は「成り上がり」を考えたのであろう。それが首相との僅か30分間の会見である。そうした進歩派の「成り上がり」が時代遅れだと気がつかぬ学者や政治家は私からすればバカとしか思えない。もちろん、私は「首都圏反原発連合」の面々に野田首相と会うなと言っているのではない。会えるものなら会えばよい。ただし、「首都圏反原発連合」がそれを機に広場性を捨てて、組織に成り上がることを考え始めたならば、その時点で「首都圏反原発連合」の歴史的使命は終ることになるだろう。
予想通り、野田と会ったからといって、そのことで何も変わらなかった。「反原発連合側は『承服しかねる。福島の事故も収束していない。安全を保てない政府を国民は信用していない』と反発。首相に官邸前での抗議活動の参加者に直接、説明をすることを求めた」(8月23日付東京新聞)という。たった30分の会見の中で「首都圏反原発連合」は大飯原発の再稼動中止、停止中の全原発を再稼動させず、全原発廃炉への政策転換、原子力規制委員会の人事撤回を主張し、野田首相野田首相で政権の基本は脱原発依存にあり、大飯原発再稼動は安全性を確認し、国民生活への影響も加えて総合的に判断したことを語り、原子力規制委員会の人事は国会が判断し、中長期のエネルギー政策は様々な意見を聞いて判断することを述べた。要するに野田佳彦は毎週金曜日に開かれた首相官邸前の抗議行動という民衆の自由な表現から何も学べなかったのである。「これまでの民主主義」を最前線で担って来た国会の政治家に問われているのは、その自由な表現から何を学べるかにほかならない。また、ひとりの意志で首相官邸前にやって来た人々がなすべきは、断固として「成り上がり」を拒絶しつづけ、まずは一票を一揆として行使することにほかなるまい。