尖閣諸島で燃え盛る中国の反日デモについて

中国の「愛国無罪ナショナリズムが燃え盛っている。標的となっているのは、わが国である。政府が尖閣諸島を国有化したことに反発しているのだ。YOMIURI ONLINEから、ここ数日の反日デモにかかわる記事を拾ってみよう(http://info.yomiuri.co.jp/)。
日本大使館前では15日午前8時半(日本時間同9時半)ごろからデモ参加者が集まり始め、大使館に卵や石などを投げつけた。参加者は大使館前に設けられた鉄柵を突破しようとして、一時は当局の制御が利かない状態となった」「長沙では、数千人が日系スーパーの入り口を破壊し、日本車を転覆させるなどした。重慶でも日本総領事館が入居する商業ビルをデモ隊が取り囲み、一部はビル内への侵入を試みたが警官に阻止された。日本大使館によると、各地で邦人への被害の情報はない」(9月15日「中国27都市で反日デモ…当局の制御利かず」)
「中国山東省青島市のジャスコ黄島店では、一部の反日デモ参加者がガラスを割って店内に侵入し、商品を壊したりした。
湖南省長沙の平和堂でも、暴徒化した参加者が入り口を破壊した。上海の日本総領事館などによると、いずれもけが人が出たとの情報はないという。広東省東莞では、複数の日本料理店の店内が破壊された」(9月15日「日系スーパーや日本料理店に被害拡大…反日デモ」)
山東省沿岸部の威海市で開かれている自動車展示会では、ホンダが主催者側から日本車を展示しないよう要請を受けて参加を取りやめ。スズキの車を扱っている現地の販売店も、同展示会への出展を見合わせた」(9月16日「『大声で日本語』控えて…在留邦人に広がる不安」)
「11日の国有化以来、6日連続。複数のデモ隊が大使館前を相次いで行進し、「釣魚島(尖閣諸島の中国名)は中国のものだ」などとシュプレヒコールをあげている。一部のデモ隊は、ペットボトルや卵を大使館に投げ込んだ。デモは正午(日本時間午後1時)までに1万人規模に膨れ上がった」「国有化後、初の週末となった15日は、中国の40都市以上で抗議デモが発生。山東省青島では日系のショッピングセンターや工場などが略奪、放火されるなど、各地で暴徒化しており、1972年の日中国交正常化以来、最大規模の反日デモとなった」(9月16日「北京も1万人デモ…ペットボトルや卵、大使館に」)
「同省広州の日本総領事館前では、同日午前11時(日本時間正午)ごろ、1万人以上が道路を占拠し、一部のデモ参加者が総領事館に侵入しようとして警官隊と激しくもみ合った。デモ隊はその後、総領事館と同じ敷地内にあるホテル、花園酒店の正面玄関を占拠し、2階にある日本料理店に押し入り、窓ガラスを割るなどの破壊行為をしている模様だ」「同省深センでは午前9時(同10時)ごろ、中心部の広場に約2000人が集まり、デモ行進を開始。デモ隊の一部は暴徒化し、規制線を乗り越えようとして警官隊ともみ合いになり、警官隊が催涙弾30発以上を発射した。デモ隊は1万人規模に膨れあがり、正午(同午後1時)現在も抗議行動を続けている」(9月16日「広東省各地で1万人デモ…日本料理店破壊か」)
「日本政府の尖閣諸島国有化に反対する中国各地の抗議デモは16日、さらに拡大し、十数人規模まで含めると約100都市で行われた」「また、江西省南昌でも6000人規模の抗議デモが行われ、一部の暴徒が日本車約10台を破壊し、日本製品を販売する店も襲撃した」(9月17日「反日デモ、100都市以上に…破壊行為止まらず」)
こうした反日デモにとどまらず、中国の1000隻にも及ぶ大漁船団が尖閣諸島に向かっているというし、インターネットでは「戦争になる」という書き込みがあり、浙江省温州市の一部地域で市民多数が食塩を買い求めて長蛇の列を作ったそうだ。中国の環球時報が17日に発表した世論調査では、尖閣諸島問題をめぐり日中両国間で「戦争が起こる可能性がある」との回答は52・3%と過半数にも及んだ。
かつて昭和前期の日本は万宝山事件、中村大尉殺害事件を引き起こした中国の「反日」ぶりを「暴戻なる支那」と厳しく批判している。マスメディア(当時は新聞だけである)も一般の国民も中国の横暴ぶりに業を煮やしていた。だから、昭和6年(1931)9月18日に満州事変が勃発した際には多くの日本国民は溜飲を下げ、気分をスカッとさせたのである。やがて昭和12年(1937)の日華事変に際しては「暴支膺懲」をスローガンにした。「暴支膺懲」とは暴虐な中国を懲らしめてやろうじゃないかという意味である。この当時の日本人は日本が中国を侵略しているなどとは夢にも思っていなかったはずである。原因は明らかに中国の横暴にあるのだと信じて疑わなかった。昭和8年(1933)、日本共産党の幹部であった佐野学と鍋山貞親は「共同被告同志に告ぐる書」をもって転向するが、そこにはこう書かれている。佐野、鍋島は満洲事変に「進歩的意義」を見いだすことによって転向するのである。

戦争に一般的に反対する小ブルジョア的非戦論や平和主義は我々のとるべき態度でない。我々が戦争に参加すると反対するとは、其戦争が進歩的たると否とによって決定される。支那国民党軍閥に対する戦争は客観的にはむしろ進歩的意義をもって居る。

まがりなりにも普通選挙を実施し、民主主義に踏み出していた日本からすれば、中国は選挙もまともに行えない野蛮な国家であると目に映ったのだろう。その後、日本は大東亜戦争の敗戦により、アメリカから日本国憲法を押し付けられるとともに軍国主義も、超国家主義も一掃されて現在に至るが、一方の中国はといえば現在もまた共産党一党独裁であり、未だに民主主義に背を向けたままである。とはいえ、日中は日本が戦前において中国国民に対して戦争を通じて重大な損害を与えたことの責任を痛感し、深く反省することによって国交を今から40年前に回復した。ところが―。
連休中、大半の日本人はテレビに映し出される中国の100都市以上にも及んだ反日デモの映像を見て、あまりの中国民衆の横暴ぶりに眉を顰めていたのではないだろうか。その「心情」は満州事変前夜における日本の大半の民衆が抱いていた「心情」に通底するものである。そうした「心情」の織り成す社会の空気に煽られて、政治家は有権者に「弱腰」であると批判されるのを恐れて強気の発言を次々に繰り出す。自民党総裁選の候補者など、その典型である。安倍晋三は「首相が断固として島を守るメッセージを中国に伝えるべきだ」と言い、石破茂は「領海侵犯されても対処する法律がない。領土を守る海兵隊も必要だ」と言った。下手をすると日本と中国は戦争の歴史を繰り返すことになるのかもしれない。そのくらいの危機感を為政者は持つべきだ。国境や領土に関わる対立は武力衝突や戦争をともなわずに解決に至ることは世界史的に言って稀なのである。
そもそも野田佳彦尖閣諸島の国有化を決断するに際して、確固たる信念に基づくとともに、中国側の反発を想定し、これに対処する方法を木目細かく考えてのことだったとは私には思えない。それほどの深謀も遠慮もなかったのではないだろうか。敢えて言う、尖閣諸島を実効支配しているのであれば、たかだか無人島の都有地化問題で右往左往すべきではなかったのである。そうした王者の態度もあり得たはずである。尖閣諸島の所有権が個人から東京都に移転されようとも、粛々と尖閣諸島近海における警察権を行使していれば、それで良かったのではあるまいか。都有地であった方が中国を牽制するに際して打つ手も色々とあったように私には思えてならない。
日本からすれば尖閣諸島は日本固有の領土であり、日本が実効支配しているから、尖閣諸島に関しては領土問題は存在しない。しかし、中国からすれば、たとえ日本が実効支配していたとしても、尖閣諸島は中国固有の領土であり、尖閣諸島に関しては領土問題は存在するのである。この場合、中国の認識が客観的に正しいかどうかを論じるのはナンセンスである。中国からすれば正しいのである。そのようにして中国は例えばチベットを占領し続けているし、ウイグル独立運動を弾圧し続けているのだ。もし、日本が中国との武力衝突も含む「摩擦」を回避したいのであれば、尖閣諸島無人島のまま現状維持で実効支配をつづけるしかなかったのである。尖閣諸島の所有権が個人から東京都に変更になる程度では、現状維持を崩すことにはならなかったろう。しかし、国有化するともなれば、現状維持から一歩踏み出すことになる。中国に「棚上げ」の看板を下ろす絶好の機会を与えてしまったのである。その辺の認識が野田政権は甘いのである。野田佳彦は「戦争を知らない子供たち」の限界を露呈してしまったと言って良いだろう。ちなみに中国の言う「棚上げ」とは尖閣諸島の主権は中国にあるが、日中が主権を主張しあっていては武力衝突にすら発展しかねないので、当面、主権を主張することはやめようという意味である。日本が尖閣諸島を国有化したことで、「棚上げ」を反故にした以上は、中国からすれば尖閣諸島の主権を主張する行動に出ることは当然の帰結であろう。ある意味、尖閣諸島の国有化に踏み切った野田佳彦尖閣諸島を領土問題にしてしまうという愚を犯してしまったのである。例えば中国が尖閣諸島問題を国際司法裁判所に持ち込んだとしたら、日本政府は一体どうするのだろう。日本の「宗主国」たるアメリカのパネッタ国防長官は来日して尖閣諸島について日中の対立を懸念していると述べ、日本の冷静な対応を求めたが、日米安保条約の適用について、条約上の義務を守るとした上で「主権に関する対立では特定の立場をとらない」と明言した。何てことはない、尖閣諸島に関しては中国側の言い分にアメリカはお墨付きを与えているのである。
確かに中国に比べれば、日本の民衆は落ち着いている。極端な反中国の空気は社会に流れてはいない。しかし、反中国や嫌中国の感情が社会に徐々に蓄積されていくことは間違いあるまい。日本が島国であることを考えれば、蓄積された反中国、嫌中国の社会的感情は凝縮されて密度を高めていくのではないだろうか。凝縮の密度が臨界点に達し爆発しないとも限らないし、「反中」「嫌中」ナショナリズムの民衆的な爆発を企むような陰謀家が絶滅とも言い切れまい。「愛国」だからといって総てが「無罪」であるということは民主主義においてはあり得ないし、「売国」につながる「愛国」もあるのである。