沖縄タイムスはオスプレイを社説でどのように論じたか

「本土」と沖縄の非対称性を感じざるを得ない。「本土」に拠点を置くマスメディアが連日のように竹島尖閣諸島にかかわる領土・国境問題の報道を続けていた時期に沖縄では尖閣諸島が行政区分では沖縄県に属するにもかかわらず、関心はオスプレイ普天間基地配備問題に集中していた。
例えば沖縄タイムスは9月5日から10月4日にかけて、オスプレイに関する社説を14本掲げている。民主党の代表選や自民党の総裁選でもオスプレイ問題抜きに社説を書くことはなかった。特に9月27日付の自民党総裁選を論じた社説では、オスプレイ配備に対する「怒りのマグマ」(沖縄タイムスが使っている言葉だ)が底流には激しく流れていた。これもカウントすれば15本になる。「本土」の新聞はどうであったろうか。毎日新聞(全国紙では最もリベラルな社説を掲げている)がオイプレイ配備を社説で取り上げたのは9月1日から10月4日までの間に3本である。具体的に言えば「オスプレイ 市街地飛行に不安強い」(9月1日)、「オスプレイ安全宣言 不安拭えぬ見切り発車」(9月20日)、「オスプレイ配備 沖縄の不信に向き合え」(10月2日)である。
一方、尖閣諸島「国有化」問題やこれに端を発した日中関係の緊張について論じた社説は7本である。こんな具合である。「尖閣諸島 対立緩和が日中の利益」(9月6日)、「自民『外交』論戦 骨太で体系的な方針を」(9月16日)「尖閣と日中対立 対話解決に全力挙げよ」(9月18日)、「野田民主代表再選 対中外交の練り直しを」(9月22日)、「日中記念式典中止 長期戦覚悟し打開探れ」(9月25日)、「日中経済関係 より深め対立抑えよう」(9月26日)、「日中国交40年 あの原点に立ち戻ろう」(9月28日)と。
これに対して沖縄タイムスが中国との対立の地政学的には最前線に位置する県であっても、「[中国公船尖閣侵入]事態沈静化へ知恵絞れ」(9月15日)、「[反日デモ拡大]「法治」はどこへ行った」(9月19日)、「[日中40周年式典中止]外交立て直しが急務だ」(9月25日)、「[日中国交40年]政府間対話を重ねよう」(9月29日)の4本に過ぎない。
沖縄での関心は中国や尖閣よりも、断然、オスプレイなのだ。「本土」の住民が尖閣諸島から遠く離れて領土ナショナリズムの炎を燃やしているとき、「沖縄」ではオスプレイの配備を巡って、琉球ナショナリズムが燃え盛っているのである。この非対称性は沖縄に暮らす民衆の感情の底流に「反米(軍)」であり、「反政府」(=野田政権)が流れているということではないのだろうか。このことに「本土」は余りにも鈍感である。むろん、この鈍感さは今に始まったことではあるまい。もしかすると明治政府が琉球王国を日本に「併合」して以来のことかもしれない(教科書に出て来る「琉球処分」という言い方は明らかに沖縄に対する差別用語だろう。何か沖縄が日本に対して悪いことをしたというのだろうか)。
取り敢えず、私は沖縄タイムスの掲げたオスプレイ配備に関する社説を「[米軍機事故累累]よみがえる土地の記憶」(9月5日)から読んでみることにした。

森本敏防衛相が来県し、米軍普天間飛行場へのオスプレイ配備を宜野湾市に伝えたのは、今年6月30日。1959年、石川市(当時)の宮森小学校にF100戦闘機が墜落した日だ。児童ら17人(後に後遺症で1人)が死亡、210人が負傷した大惨事だった。
なぜ、そんな日に、県民の気持ちを踏みにじる行為ができたのか。配備がもたらす痛みへの想像力が、ゼロに等しいからではないか。
9日にはオスプレイ配備に反対する県民大会が開かれる。そこで示される民意は、沖縄の土地の経験、歴史の記憶に根差したものに他ならない。

沖縄の小学校に米軍のF100戦闘機が墜落したという事件が返還前にあったことは知っていた。しかし、それが6月30日であったとは知らなかった。恐らく防衛相の森本敏も、首相の野田佳彦も知らなかったに違いない。もし、知っていたのならば、よりによって6月30日を選んでオスプレイ配備を伝えないことだろう。オスプレイ配備に関して政府は沖縄の土地に刻み込まれている流血の記憶(歴史というには未だ生々し過ぎよう)に対する「無知」によって沖縄の感情を最初から踏みにじってしまっていたのである。尖閣諸島を国有化するに際しても満洲事変が昭和6年(1931)9月18日に起きたという歴史を踏まえていなかったことと同じ政治センスである。こうした「無知」は野田佳彦が「戦争を知らない子供たち」のひとりであるということと決して無縁ではあるまい。ちなみに戦闘機のパイロットはパラシュートで脱出し、一命をとりとめたという。「[きょう県民大会]命と尊厳を守るために 」(9月9日)には、こういう一節がある。

詩人の中里友豪さん(75)は、あの日のことを今でも鮮明に覚えている。1959年6月30日、米空軍のF100D戦闘機が石川市の宮森小学校に墜落し、17人が死亡した。
琉球大学国文学科の4年生だった中里さんは、現場に駆けつけ、米軍の規制線をくぐって、死体安置室をのぞいた。焼けこげた教室、黒い肉のかたまり。11人の児童が墜落事故の犠牲になったが、パイロットはパラシュートで脱出し、無事だった。

沖縄では生々しい「記憶」として脳裏に焼きついて離れない忌々しい事件が「本土」では「記憶」として忘れ去られてしまっているのみか「歴史」としてすら残されていないのである。実はオスプレイ配備で何よりも「本土」に問われなければならないのは歴史認識の問題なのである。「沖縄」が「本土」にとって「記憶」としては、どんなに薄れたとしても、「本土」はオスプレイ配備問題に限らず、アメリカの基地がらみの問題では沖縄の「歴史」を踏まえなければならないはずだ。
「[米総領事暴言]認識不足も甚だしい」(9月6日)はアメリカのマグルビー総領事が就任会見で「『特に危険とは認識していない』などと、ぬけぬけと発言」したことを捉えたうえで、氏の就任会見での発言は矛盾に満ちていると批判している。

マグルビー氏の発言は矛盾に満ちている。
垂直離着陸輸送機MV22オスプレイは「安全」と言いながら、「人口密集地の上を飛ぶのが一番の問題だ」と発言する。「辺野古に代替施設があれば異論はない」ともいう。何が言いたいのか。
普天間からオスプレイを飛ばすのを避けたいのならば辺野古移設を受け入れよ、と言っているのに等しい。
9日の県民大会を前に、県民感情を逆なでするようなマグルビー氏の暴言。県民の生命と財産を人質にして辺野古移設を推し進めることがあってはならない。

例えば、国民新党幹事長の下地幹郎も自らのブログ(http://www.mikio.gr.jp/blog/index.php)のなかでマグルビー発言を次のように批判している。下地は沖縄選出の衆議院議員である。

…日米両政府は危険だから辺野古移設を決めたのであり、あの基地は“危険ではない”というのは世界中でアルフレッド・マグルビー総領事ただ一人でしょう。
もう少し丁寧に細やかに総領事としての仕事をこなそうという気持ちがなければ私は沖縄の総領事は務まらないと思います。

保守政治家である下地はこう書いたうえで「もう、占領下の沖縄ではないのです」と結んでいるのだが、現在に至るもこうした言い回しをしなければならない情況が沖縄には横たわっているからなのではないだろうか。未だに「占領下」を抜け出しきれていないからこそ「もう、占領下の沖縄ではない」と自らに言い聞かせているのである。

9月8日からは三日間続けて「オスプレイ配備に反対する県民大会」に触れた社説である。「[県民大会不参加]予算と取引したのか」(9月8日)は 「オスプレイ配備に反対する県民大会」に不参加を表明した仲井真弘多沖縄県知事を批判している。沖縄では県民大会が非常に重要な意味を持つ。県民大会とは沖縄の民意そのものにほかならない。沖縄が育んだ「直接民主主義」と言えるのかも知れない。

何があったのだろうか。参加するかどうか、ぎりぎりまで引き延ばした上で、はしごを外すような判断である。
仲井真弘多知事は、宜野湾海浜公園で開かれる「オスプレイ配備に反対する県民大会」に参加しない、と正式に表明した。
2日前である。大会は超党派で開催されるものであり、冷や水を浴びせるものと言わざるを得ない。

この社説によれば知事は2010年4月の「米軍普天間飛行場の県外移設を求める県民大会」や2007年9月の「教科書検定意見の撤回を求める県民大会」には出席したという実績があるだけに今回の欠席の裏側には「2013年度予算の概算要求と取引したのではないか―との疑念が消えない」というわけである。
「[きょう県民大会]命と尊厳を守るために 」(9月9日)には次のような一節がある。

沖縄の基地問題はこれまで、本土の人たちにとって、自分たちとは直接関係のない「よそ事」だった。だが、今回は全く様相が異なる。

果たして、そうだろうか。野田佳彦首相にしてからが初めに沖縄ありき、であった。「本土」にとって基地問題は自らが安全圏にいる限り、相も変わらず自分たちとは直接関係のない「よそ事」としてしか認識されていないのではないのだろうか。その証拠に「本土」で唱えられていたのは、どこまでも観念的なオスプレイ配備反対であり、沖縄の現在に対する想像力をやはり欠如していたといわざるを得ないのではないだろうか。オスプレイを沖縄に押し付けるのではなく、中国の脅威に対抗するためにどうしても必要なのであれば、「本土」で引き受けようという意見が殆ど聞かれなかったからである。それどころかオスプレイが沖縄に強行配備されるに際しては「在日米海兵隊」のツイッターアカウント@mcbjpaoに「飛行、ホバリング時のエンジン音が静かな事に驚きました。全機無事到着する事を願っています」「おはようございます。うれしき知らせですね。歓迎です」「おめでとうございます!オスプレイの飛ぶ姿かっこよかったです」「お疲れ様てした!今後ともよろしくお願いします」「オスプレイ沖縄デビューおめでとうございます。極東安全保障のため、存分にご活躍くださいませ」といったツイートが「本土」から続々と寄せられているのである。オスプレイ配備では、こうした様相もまた現実なのであるし、こうも言えるだろう。「本土」は沖縄の基地問題に関して熱したとしても、冷めやすいのである。今回のオスプレイ配備で本土が熱したのはオスプレイが「本土」経由で沖縄に配備されたからである。「本土」からオスプレイが姿を消した段階で、「本土」は冷めてしまったというのが、私の見立てである。
「[オスプレイ県民大会]民意は明確に示された」( 9月10日)では普天間基地へのオスプレイ配備が強行されたならば、沖縄の「『怒りのマグマ』は臨界点に達するだろう」と県民大会の結果を踏まえて書いている。事実、沖縄では「怒りのマグマ」が噴出している。

日米両政府は民意を正面から受け止めなければならない。配備はあり得ない民意だ。強行すれば「怒りのマグマ」は臨界点に達するだろう。
2004年8月13日、沖縄国際大学普天間所属のCH53大型輸送ヘリが墜落、炎上した事故は、奇跡的に民間人の被害は出ず、「最後の警告」といわれた。
相次ぐオスプレイの墜落と緊急着陸普天間配備に対する危険性のシグナルである。
広大な土地の中にある米本土の基地と住宅密集地の中にある普天間飛行場とでは基地の在り方が全く違う。

「[森本防衛相再来県]大会直後だというのに」(9月11日)は、またまた防衛相の森本の無神経振りが批判されている。

森本敏防衛相が11日、来県する。県民大会の直後に、大臣は何をしに来るのか。
6月に米フロリダ州で起きた米軍の垂直離着陸輸送機CV22オスプレイの墜落事故について、「人的要因が大きい」との分析結果を仲井真弘多知事や佐喜真淳宜野湾市長に説明し、配備への理解を求めるのだという。
事実だとすれば、あまりにも無神経な振る舞いだ。住民感情への配慮が一かけらもない。

政治に何ができるのかが問われているはずだったにもかかわらず、政治は何もしなかったのである。オスプレイの安全性を防衛相に説明させることが政治だと考えたら大間違いである。原子力発電の例を見るまでもなく、絶対安全などあり得ないのだから、安全性を説明したところで住民感情を鎮めることは絶対にできまい。政治にとって第一義的に問われているのは「本土」が沖縄県民とともに痛みを分かち合う覚悟を行動で示すこと(一部の在沖米軍を「本土」に移転することで沖縄の基地負担の軽減を図ること!)であり、次に問われているのは沖縄県民にいかに安心してもらうかであるはずだ。しかし、政治は何も実現していないのである。沖縄においてオスプレイ配備反対の県民大会が何故に超党派で開かれたかを政治は全く理解していないということだ。
「[オスプレイ阻止]運動は多面的・持続的に」(9月12日)に書かれた次のような沖縄の戦いの成果をこれまた「本土」は「歴史」としてとどめていない、忘れてしまっている。沖縄の「反基地」はイデオロギーに還元できるような単純な代物ではないのである。その裏側には生命を賭けても沖縄を守ろうとする生活ナショナリズムが染み付いているのだ。それは琉球王国以来のDNAでもある。

復帰前からの反基地闘争を振り返ると、住民や県民が心底「許せない」と憤り、行動に移した事案は結果として成果を勝ち取っている。
象徴的なのは県道104号越え実弾砲撃演習だ。復帰直後から24年間も続いた演習を本土へ分散移転させた原動力は、演習のたびに現地で繰り広げた抗議集会だった。
着弾地点での阻止行動は刑特法の発動で終息し、労組や平和団体主導の抗議集会には「マンネリ化」の声も付きまとった。それでも地道に続けた運動は実を結んだ。
このほか、1988年に恩納村側へ強行建設した都市型訓練施設は、村民から全県的に運動が広がり、4年がかりで撤去に追い込んだ。
復帰前の米軍占領時代でさえ、国頭村では伊部岳闘争があった。70年の大みそか山麓に結集した約600人の住民が砲座のある場所に押し掛け、一部乱闘の末に実弾演習阻止を勝ち取った。
オスプレイ配備阻止に向けては今後、日米両政府への要請行動や市町村ごとの大会、県民大会への参加団体による取り組みが繰り広げられることになろう。多面的かつ持続的な運動が必要だ。

「[日米防衛相会談]県民の声は届いてない」(9月18日)はニューヨーク・タイムズの記事を取り上げている。「本土」にとって辛辣な言葉が並んでいるが、その声は「本土」にどれだけ届いているのだろうか。インターネットで沖縄タイムスの社説は読めるのだけれど。

米紙ニューヨーク・タイムズは、県民の懸念や不安を社説で取り上げ、過重な基地負担に苦しむ沖縄県民にとってオスプレイの配備は「傷口に塩をすり込むものだ」と厳しく批判した。
自国の大臣よりも自国の大手メディアよりも、米国の有力紙のほうが沖縄に寄り添い沖縄の現実を深く理解している−それが、沖縄から見える日本の姿だ。

沖縄にも我慢の限界があるということを私たちは想像すべきなのである。また、次のような指摘にも私は同意したい。尖閣諸島武力衝突が起きたとしても、そこに米軍はやって来はしまい。

パネッタ長官は尖閣の領有権問題について「相対する主権に関する紛争には、肩を持たない立場だ」と中立性を強調した。中国で大規模な反日デモが吹き荒れた翌日に、同盟国の首都で、あえて中立だと語ったのである。
オスプレイ尖閣問題を結びつけ、配備を正当化するのは、現実のリアルな認識を欠いた議論というほかない。

沖縄は野田政権=米軍によって一歩ずつ追い詰められていった。「[オスプレイ安全宣言]民意踏みにじる暴挙だ」(9月20日)を読めば沖縄が安全宣言をするだけの「本土」に呆れかえっていることがわかる。ニューヨーク・タイムズの言葉を借りればオスプレイの安全宣言は傷口に塩をすり込むことと全く同じなのである。

森本敏防衛相と玄葉光一郎外相は19日、官邸で記者会見し、「オスプレイの運用の安全性は十分確認された」と、事実上の安全宣言を発表した。21日から山口県岩国基地で試験飛行を開始し、10月から普天間飛行場で本格運用する方針である。
「安全性が十分確認された」とは、よくもまあ言ったものだ。事故が起きたとき、一体誰が、どのように、責任を取るつもりなのか。
できるだけ規制を設けず自由に運用したい米軍と、地元説得のため目に見える規制を打ち出したい日本政府。今回、日米合同委員会でまとまった安全確保策は、あれやこれやの合意事項を集め、努力の跡が見えるように繕ってはいるものの、合意内容が順守される保証は何もない。

沖縄の「怒りのマグマ」が臨界点に達しようとしているにもかかわらず、オウムのようにオスプレイの安全性を繰り返し説明するばかりだというのは、「本土」にとってはアリバイになり得ても、沖縄にとっては「本土」が傍観したままであることの、何よりもの証拠なのである。
沖縄にとっては自民党総裁選にしてもオスプレイ配備問題抜きには論評できない。というよりも、自民党総裁選で尖閣諸島問題は話題になっても、オスプレイ配備問題は争点にはなり得なかった。民主党の代表選にしても然りである。「[自民総裁に安倍氏]沖縄の現実に向き合え」( 9月27日)によれば「さらりと触れる程度で、争点からはずされた」のである。

民主党の代表選でも、自民党の総裁選でも、米軍普天間飛行場辺野古移設問題や、垂直離着陸輸送機オスプレイ普天間配備問題は、さらりと触れる程度で、争点からはずされた。ここでも、中央の政治と現場の民意のかい離が顕著だ。
現在、衆議院に、民主党自民党も、県選出議員が1人もいない。なぜ、そうなったかを考えてほしい。
2001年4月の自民党総裁選で大差で勝ったのは小泉純一郎氏である。小泉氏は大量の地方票を獲得したが、沖縄では橋本龍太郎氏に敗れた。10年9月の民主党代表選に大差で勝ったのは菅直人氏だったが、しかし、沖縄では小沢一郎氏の得票が上回った。野田佳彦首相は、9月の代表選で他を寄せ付けない圧倒的な強さを発揮した。だが、沖縄では赤松広隆氏が野田氏を上回った。
なぜ、このような現象が沖縄で、沖縄だけで、次々に起きているのか。その理由はあまりにも明白だ。

こうした沖縄特有の現象があることじたいが「本土」では知られていないのではないだろうか。沖縄は「本土」の政治に疎外されるだけではなく、明確に「本土」の政治に対して「否」を叫んでいるのだ。沖縄タイムスの社説は「その理由」について次のように言い切る。

普天間飛行場辺野古移設についても、オスプレイの配備についても、県・県議会、県内政党、市町村、各種団体の考えは一致している。政治的主張の違いを超え、足並みをそろえて、辺野古移設とオスプレイ配備に反対しているのである。
沖縄特有の選挙結果は、住民の声を無視し続ける政治に対する強烈な不信感と、尊厳の回復を求める「叫び」だといっていい。

その「否」を「本土」がどこまでも無視しつづけるのであれば、沖縄、いや琉球は「独立」を「自治共和国」というカタチも含めて未来の選択肢のひとつとして真剣に検討すべきなのではあるまいか。「[オスプレイ配備]私達は合意していない」(9月28日)では「『一つの民意』ではなく、『民意は一つ』」と書いているが、沖縄の「民意はひとつ」であり、それに対して日本政府が露骨に踏みにじりつづけるのであれば、「独立」が必ずやリアリティを帯びてくるはずである。そこまで「本土」は沖縄を疎外しているということに政治家はいま少し敏感であるべきだ。

自国民の生命を守るのが最大の責務であるはずの政府が日米同盟重視の名目の下で県民の訴えに背を向ける。本来、政府の不作為をただすべき政党も米国の顔色だけを伺う。県民大会で示されたのは、「一つの民意」ではなく、「民意は一つ」である。沖縄の総意が、これほど露骨に踏みにじられるのは、かってなかったことだ。異常事態である。

「[ゲート前抗議]マグマが噴出し始めた」(9月30日)は「痛めつけられ、虐げられてきた思いが強ければ強いほどその力は増す」と書くが、このような「心情」を「本土」は、「本土」の政治は理解しなければならないのに理解しようともしないのだ。オスプレイに向かった「怒りのマグマ」はきっかけさえ得れば、その方向は「本土」に向かうはずだ。

垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの米軍普天間飛行場への配備が週明けにも強行される見込みだ。これをはね返すのは県民の憤怒の情だ。荒ぶる自然と違って、人為的な政治は人の力で動かすことができる。痛めつけられ、虐げられてきた思いが強ければ強いほどその力は増す。
そうした県民のエネルギーを見せつけているのが、26日から本格始動した普天間飛行場のゲート前抗議だ。オスプレイ配備に反対する県民大会実行委員会メンバーや一般県民が、早朝から同飛行場の大山ゲートや野嵩ゲート前に集結。米軍は勢いを増す抗議集会や座り込み行動を前に、ゲート封鎖に追い込まれた。

自民党佐藤正久は「オスプレイの飛行妨害のための凧揚げや風船飛ばし。単に妨害だけでなく、本当にオスオウレイを落としたいと思ってやっているのなら異常だ。何が何でも落としたいのか!落とさないと気が済まないのか?米軍機は航空法適用されないことを逆利用して、風船妨害も罪になりにくいと考えているのか?」と10月3日に怒りのツイートしているが、沖縄の総意が、かつてないほど露骨に踏みにじられるという異常事態にあることを忘れてはなるまい。吉田松陰の一首をもじっていえば「かくすればかくなるものと知りながら已むに已まれぬウチナー魂」なのである。そうした「心情」を民主党であろうと、自民党であろうと「本土」の政治家は自分たちのこととして想像できないのである。「[MV22きょう飛来]民意は踏みつぶされた」(10月1日)は、こう書いている。

米軍の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイが10月1日、普天間飛行場に本格配備される。大型台風が過ぎ去ったとたん、今度はオスプレイの飛来だ。
県内のさまざまな団体や組織が、およそ考えられる限りの意思表示を繰り返してきたにもかかわらず、ことごとく無視され、配備が強行されようとしている。
県民大会で示された民意も、県知事や宜野湾市長の申し入れも、市町村議会の度重なる抗議決議も、ゲート前での首長や市民の抗議行動も、結局、一顧だにされなかった。
スケジュールに従って機械的に配備を強行するだけの日米両政府の姿勢からは、地元と意思疎通を図り問題解決に取り組もうとする熱意が少しも感じられない。
このような政治不在の現実を民主主義と呼ぶわけにはいかない。異常な事態だ。

「県民大会で示された民意も、県知事や宜野湾市長の申し入れも、市町村議会の度重なる抗議決議も、ゲート前での首長や市民の抗議行動も、結局、一顧だにされなかった」以上、沖縄からすれば品性が疑われるべきは「本土」なのである。沖縄の「歴史」にあまりに「無知」な「本土」の品性なのである。沖縄と「本土」の非対称性は「歴史」によって生み出された。沖縄は日本の陸地面積の0.6%を占めるに過ぎないが、日本の在日米軍基地の何と74%が沖縄に集中しているのだ。

次々と普天間飛行場に着陸する米海兵隊のMV22オスプレイ。怒りに声を震わせ、シュプレヒコールを繰り返す高齢の市民。ゲート前の抗議行動だけではない。県内各地で失望と不安の声が上がり、激しい憤怒が渦巻いた。
オスプレイ配備は野田政権の失策である。これによって民主党政権の負担軽減策は完全に破たんした。野田佳彦首相の責任は極めて重大だ。[オスプレイ飛来]住民を危険にさらすな 10月2日

那覇市長の翁長雄志は保守系の政治家だが、その翁長をして「沖縄を植民地としか思っていない。ウチナーンチュを日本人と思っていない。もし思っていても日本国防衛のためなら致し方ないと思っているのだろう」と言わしめているのが、まさに「民意はひとつ」なのである。沖縄の保守系現職市長から「植民地」という言葉が飛び出さざるをえないほど、「本土」は沖縄を追い詰めているのである。その無神経さは「琉球併合」を「琉球処分」と言い換えた日本の歴史認識の無神経さにほかなるまい。明治新政府植民地主義を隠蔽するために「処分」という言葉を使ったのである。「本土」の植民地主義オスプレイ配備では糾弾されているのだ。

沖縄から見た野田第3次改造内閣は、米軍普天間飛行場の「辺野古移設」シフトだ。危険なオスプレイを危険な普天間に配備することによって固定化の懸念を増幅させ、一つにまとまった民意を分断する。同時に「アメとムチ」で辺野古移設を推し進めようとする狙いである。
玄葉光一郎外相、森本敏防衛相が留任した。オスプレイ普天間配備、普天間辺野古移設を野田内閣の意思としてはっきり示した。
森本氏は民間から起用され、選挙を気にする必要がないことから、あからさまだ。留任会見で、オスプレイの安定的・安全な運用に言及し、普天間辺野古移設に道筋を付けたいと語った。
普天間ゲート前で、県民がやむにやまれぬ直接行動をしているさなかである。民意を踏みにじっているという認識が欠如していると言わざるを得ない。無神経も甚だしい。 [野田改造内閣]「次は辺野古」の布陣だ 10月3日

沖縄で問われているのは「日本」の国家としてのあり方そのものなのである。